もう5年以上前の画像となりますが…。
JR東日本上越線・水上駅(群馬県利根郡みなかみ町)にて。
当時の上越線ローカル列車はまだ国鉄時代からの115系の天下でした。
水上駅を境に南はJR東日本高崎支社、北は新潟支社の管理で、これは国鉄時代の高崎鉄道管理局と新潟鉄道管理局の境界と重なります。
国鉄時代には高崎駅と長岡駅方面を直通する列車もありましたが、現在では水上駅を境に完全に列車の運行体系が分かれています。
そのため、車両も高崎側が新前橋の高崎車両センターの車両、長岡側が新潟車両センターの車両と分かれています。
5年前の訪問時には高崎側は国鉄時代からのオリジナルカラーを頑なに守り続けた115系、長岡側は新潟地域色に塗り替えられた115系の姿を水上駅で見ることができました。
しかし、それからあまり時を経ずして長岡側では新型のE129系にすべて置き換えられ、高崎の115系も引退、首都圏の運用を離脱した211系へと置き換えられてしまいました。
新潟車両センターの115系車内。
新潟や長野に配置されていた115系は耐寒耐雪強化タイプの1000番台。
115系は国鉄時代の古い車両ですから車両更新などにより内装などにさまざまな形態が見られました。とくに新しいシート取り替えられたものは更新工事を施工した車両センターが想像できるほどの違いが見られました。
画像のシートはどこで施工されたタイプのものでしょうか?
5年前に訪れたのは早春の頃でした。
上越国境を越えて新潟県側の最初の駅である土樽駅で下車。
上越新幹線開業前は東京と新潟、庄内や北陸を結ぶ多くの列車が往来していたのですが、新幹線開業によってそれらのほとんどは姿を消してローカル列車が細々と運転されているだけとなりました。とくに水上〜越後中里間においては定期列車の運転は現在1日5往復だけ。
土樽駅は昔の単線時代は信号場として生まれて後に駅に昇格した駅です。
川端康成の小説「雪国」の冒頭部分で有名な「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」はこの土樽駅の信号場時代が舞台だと伝えられています。
厳密には群馬県側の水上駅付近から雪景色になることは珍しくありませんが、やはり雪国らしい深い積雪に覆われた景色になるのは新潟県側に入ってからです。
真冬の夜…関越自動車道を東京方面から車を走らせて長い関越トンネルを抜けると土樽パーキングエリアを過ぎてすぐに進行方向左側に土樽駅が見えるのですが、夜の闇にホームの照明に照らされた雪に埋もれたかのような土樽駅を見ると旅情をそそられるのは私だけ?
土樽駅ホームにて。
周囲にはお店どころか民家も皆無で降りたのは私だけでした。
この画像は水上方向を見ているのですが、向こうに見える緑色の高架が関越自動車道、右手が関越トンネルとなります。
上越線は上越国境に谷川岳をはじめとする険しい谷川連峰が立ちはだかるため、ループ線により勾配に対応して敷設されました。後に複線化されて直線的な新清水トンネルが貫通してループのある旧線は上り線、直線的な新しい線路は下り線として使用されています。
上り線の越後中里〜水上間においては新潟県側に松川ループ、群馬県側に湯檜曽ループが存在しますが、松川ループはトンネルの中でループを描いているのでその風景を車窓で楽しむことはできません。しかし、湯檜曽ループはトンネルを出て列車が速度を落として下り勾配となっているループにさしかかった時に進行方向右側の車窓からこれから通る線路とその奥に湯檜曽駅のホームが眼下に眺めることができます。ほんの一瞬の風景ではありますが…。
土樽駅の駅舎。ちなみにこの駅のトイレ…汲み取り式です(たぶん現在も…)。
駅を出て関越自動車道の橋脚の上の方にたむろしているたくさんの猿の威嚇を受けながら関越自動車道の下をくぐって越後湯沢方向へと歩きました。
前述のように何もありませんから、人はおろか車もほとんど通らない道を歩きます。
魚野川に沿って歩きます。道路は除雪されていますが、周囲にはまだ多くの雪が残っていました。
反対側は関越自動車道。
乗用車では視点が低いので無理かもしれませんが、大型トラックのように視点が高いと湯沢インターと関越トンネルの間では線路が思わぬ方向から交差したり寄り添ったりする光景が見られ、上越線の複雑な線形を感じることができます。昼間の高速バスに乗車する機会があればそのあたりを注意して車窓を眺めるのも楽しいかもしれません。