今回も現実の話。
たまに夢に出てくる妻の件だが、忘れてしまう前に経緯を書き留めておこうと思う。
最近記憶が定かでないので、間違っている可能性もあります。
直前のブログの記事とも重複しますが、そこはご勘弁。
結婚したのは1996年。
その後子宮筋腫が見つかり手術。
2000年に待望の長男誕生。
2002年に実家近くに引越し、新居建築。
2003年にピオリ菌に感染も、次男出産。
ここからが激動の2006年の年末。
12/17 当時長男の通っていたとあるスポーツスクールの練習に参加し、近所のラーメン屋さんで昼食をとった。
幼稚園で描いた長男の絵が市内の美術館に飾られているとのことで、その美術館へ。
帰宅後、妻はちょっと体調が悪いということで、休んでいる間に、私と子供らは実家にてホタテのお刺身を頂いた。
多少体調が戻ったということで、妻も一緒に食べた。
翌月曜日、私は仕事へ。
妻は当時通っていたエクササイズの教室へ。
ただし体調がよくなかったようで、運動はせずに帰宅。
火曜日、体調がすぐれないようなので、妻の母に来てもらい、昼間は面倒を見てもらった。
水曜日、夜中に近所に住む親戚のおじいさんが、亡くなったとのこと。
どうやら浴室で首を吊っていたらしい。
木曜日、朝に親戚のうちへあいさつに行って、その後仕事。この日は忘年会でしたが、2次会には行かずに帰宅。
金曜日は特に何もなく、翌土曜日、朝から調子が悪いらしく、救急車を呼んでほしいと言われて119番へ電話。
救急車には妻の母に付き添ってもらい、支度をして病院へ。
当時ノロウイルスが流行っていたので、妻もそれだと思っていたらしい。
病院に行き、話を聞いて妻の母を車に乗せて帰宅。
この時、ちょっとだけ話ができたが、これが最後になるとは。
最後に聞いた言葉は、「頑張りすぎちゃったかな?」だったと思う。
入院の支度をして再度病院へ。
しかし、病室に姿はなく、ICUに移ったとのこと。
この時点で、既に意識はなかった。
用意した入院用の支度は全部不要とのこと。
いったん帰宅した夜、日付が変わった日曜日、電話がなり、容態が急変したとのこと。
慌てて病院に行き、心臓マッサージをしているので、私もやらせてもらった。
しかし妻の心臓は再び動き出すことはなく、そのまま死亡診断。
12月の病院内は無茶苦茶寒い。
霊安室はさらに寒い。
暖かい飲み物を買おうにもお金持ってきていない。
今ならSuicaとかPaypayとかが使えるが、当時はなかったので、とりあえず守衛さんにお金借りて暖かいお茶を購入。
なんとか暖を撮ることができた。
親に電話をして葬儀社へ霊柩車の手配をしてもらったが、到着したのは明け方。
人気の無い病院って無茶苦茶怖い。
ましては霊安室に一人だど。
霊柩車が来るまでの間、霊安室と廊下を行ったり来たり。
朝方、医師から話によると、詳しい死因の特定には解剖が必要とのこと。
しかし最後まで頑張った妻の体を傷つけたくなかったので、解剖は拒否。
最終的な死因は敗血症性ショック(多臓器不全)ということになった。
一応血液検査をしてもらったが、特に問題は見つからなかった。
でもって、妻が夢に出てくるようになったのは1週間後。
その話は、以前のブログにて投稿済みです。