ペットボトルについて某かの文章を書こうと思い立った瞬間、文学的なものになりそうです。

私の文章はどれもこれもが文学的で、あまりありきたりなものではありません。

しかし一応のところは、まぁ論理的に書く練習ということで、論理的に書いてみようかと思っています。



我々は普段ペットボトルをリサイクルしているでしょうか。

しかし、リサイクルと言っても本当にリサイクルしているのだろうかという不安があります。

リサイクルというのは、ペットボトルゴミ業者が回収してそしてそれをゴミ処理場に送るわけですが、ゴミ処理場で何もかも燃焼してしまってはもったいないということで、リサイクルという手法を利用して再びペットボトルの資源を新しいペットボトルの資源に還元しようという試みなのです。

これによって地球環境が汚染されるのを防ぐということがリサイクルの目的の一つなのでしょう。

そしてやはり、将来的には資源の枯渇がとても悩まされるものですから、我々が将来に対して好意的な姿勢を保つことができるようにリサイクルは行われるべきなのです。

しかし果たして本当に、リサイクルをしてうまくいくのでしょうか。

それにリサイクルをしたとしても、リサイクルをするということにおいて膨大な費用がかかってしまって、その膨大な費用を拠出する際に膨大な量の資源が必要になってしまうのではないか、という懸念があるのではないでしょうか。

ということで、俯瞰的にごみ処理のシステムを眺めてみれば、資源という観点からやはり、リサイクルをやるべきではないということになるのです。

だからできるだけ、我々はもうペットボトルを消費しないように気をつけなければならないのではないでしょうか。

しかし、どうせペットボトルも何もかも、リサイクルされて再び新しい資源に生まれ変わるのだから、別に資源を消費したとしても問題はない、という、そういう安全意識が我々の意識の中には眠っているのではないでしょうか。

だから、ペットボトルはなるべく消費しないように、気を付けなければなりませんね。

しかし、熱中症が問題になってしまったらそんなことはどうでもよくなってしまうものです。



もうすぐ本格的な夏に差し掛かりますから、お互い熱中症には気をつけましょうね。