先日、おやすみプンプンの最終巻を読了しました。
なかなかおもしろかったので、感想文を書いてみたのですが、
数人に約束してしまったので、アップしておきます。
以下、読みたければどうぞ(笑)
(ちなみに3000字を超えますので、読むのであれば心してどうぞ。)
※あまりにも読みにくかったので文字ポイントを少しだけあげてあります。
以下より
おやすみプンプン最終巻を読み終えて
1.
おやすみプンプン最終巻を読み終えて、まず抱いた感想は「案外良かったな」と「ソラニンに似ているな」というものでした。
最終巻では、今まで並行的に展開されてきた二つ(と私は思う)のストーリー、そして最後の最後に突然降って沸いた一つのストーリーが、意外な終結に向かいます。今回はそれぞれの物語について考えつつ、私の抱いた感想の原因を探りつつ整理していこうかと思います。
2.
まず驚いたのは、メインとなるプンプンの物語の最終話の語り部を「振って沸いた、プンプンの名前すら思い出せない、毎日を平凡にこなしている、『他人』」に任せたことだと思います。
おやすみプンプンは、自意識の物語であったと友人が熱く語っていましたが、この最終話はそれを決定的に意識しながらそれを徹底的に叩き潰すような話になっているように感じます。
プンプンの波乱に満ちた大冒険、家族も、友達も、手に入れかけた幸せも、愛する人も、「神様」も、全てを失い、どん底まで落ち、それでも人に助けられ、生き恥をさらしながら生きていくことを決めた、そんなプンプンの青春・自意識の大冒険。
しかし作者はそんな大冒険の結末を、「ハルミン」の視点から、いろいろあった青年がいろいろありながらも今を懸命に生きている、そんなとてもありきたりな普通の幸せとして描いて「しまっている」のです。
この表現には読んでいて感嘆しました。今まで一人称で捉えていた人間(しかもそれはとても世界から遠く、現実に適合できないと思われていたもの)を他人から描くことで突如示される、世界からの平凡な評価、現実からの許容。
プンプンの(私たちの)自意識(卑屈、悩み、逃げ)が他人から(世界から)みたらどれだけ意味の無いものかということ。そして普通に幸せになることって意外と誰にでもできて、誰にでも許されているということ。
それらを突然(それこそ降って沸いた他人が)思いっきり叩きつけてきたと感じたのです。プンプンの物語は、ハッピーなバッドエンドで終わったのだと思います。
プンプンは、自意識の中でもがき、苦しみ、そして結局は普通の人だったのです。愛する人と永遠を約束することも、神様から世界から自由になることもできない、つまらない普通のいい奴として物語を終えたのです。
3.
私が今回一番注目したのは、もうひとつの物語である(と私が思っている)清水と関くんの物語です。今までなんのために続いているエピソードなのか?マークだったのですが、最終巻で大きく存在感を示したなと感じました。
巻の冒頭、清水のピンチに関くんは自分の身を省みず、清水を助けに向かいます。そして彼は清水を確保して、「俺は俺の意思で、ちゃんとできている。」といった内容の台詞をはくのです(うろ覚え)。
関くんはこのおやすみプンプンの世界の中で、数少ない主人公補正を持った人間だったように思います。彼は、意思を貫き行動を完遂し、結果に動じず次のベストに目を向けて生きていける。プンプンとは違う、世界に干渉できるほどの力を持っている人物であるように私には感じられました。
自意識との対峙に勝利し世界と対等に向かい合えたのは、意外にもプンプン達のような自意識に取り付かれた人間たちではなく普通の奴に思えた関くんだったのだと。
そして清水と関くんの物語は、違う側面を持って最後の最後でプンプンたちの物語に合流します。
「グッドバイブレーション」、清水を助けに来た関くんの横で、既に死体となっためがねの変な奴(名前もわすれた)が回想する台詞です。彼はだいたいこんなようなことを回想します(うろ覚え)
「我々の行動も全て、アカシックレコードに刻まれた音符のひとつに過ぎないのかもしれない。ならば、せめて、最高の振動を刻もう。」つまりは「グッドバイブレーション」
この考え方は私はプンプンとよく似た考え方だと思います。とても卑屈で、自虐的な考え方。違うとすれば、まだ少し世界を俯瞰してみようとしているところでしょうか。世界の中で私たちが取るに足らない存在ならせめて、せめて最高の音を刻みたいと。
プンプンも愛子ちゃんとの夢の中で、自分はいつか誰からも忘れられていなくなりたいと語ります。それが唯一のワガママだと。プンプンという役目を世界から与えられ、お役ごめんになったら消えてなくなりたいと。
プンプンもまた、自分はアカシックレコードに刻まれた音符にすぎないと思っているのです。(いまだに)
そして話は最終話の語り部「ハルミン」につながっていきます。「自分はアカシックレコードに刻まれた音符のひとつだと思っているヤツ」は、結局プンプンなのです。普通の、ごく普通のいい奴なのです。
プンプンの唯一のわがままもかなわないのは明白です。彼はやさしい人達に囲まれながら、誰かの記憶に残りながら、消えていくことすらできないまま、生きていくのです。
4.
ここまで読んできて、おやすみプンプンは、普通のつまらない幸せを得ることへの拒否感を描いた、それに取り付かれてしまった人を描いた物語なのだと思いました。
それを愛子ちゃんや神様との別れを経て、南条さんや仲間たちとの再会を経て、少しずつ受け入れていく物語なのだと。子供が、不安と戦いながら大人になっていく物語なのだと。
まてよ、それって同じテーマの漫画をどこかで読んだことがあるな・・・と思ったら、なんのことはない浅野いにおの「ソラニン」でした。
ソラニンも又、普通の日常に飲み込まれていく不安さ、普通の大人になってしまう怖さを描き、それに取りつかれてしまった青年、種田との別れを、仲間とともに受け入れ乗り越え大人になっていく話でした。(と私は思います)
私はソラニンもいろいろ考えながら何度も読み返したので、今回プンプンが同じような結末に落ち着いたのは少しさびしい気もしてしまいます。感想が「案外良かった」程度に収まっているのもこの気持ちがあるせいかとおもいます。
プンプンには、ソラニンよりももっと突き抜けた結末を迎えられる可能性があったのではないか、こぢんまりと収まらず、もっとおかしな、不幸せな、でも満足な、バッドでダークなハッピーエンドを迎えて欲しかったような、そんな気持ちが少しあるのです。
それが、プンプンの主人公としての報われ方だったのではないかと。ただ、その結末をもし私が読んだとしてそれはそれで何か違うような気がしたのかもしれませんね。
あと、これは私の妄想なのですが、プンプンとソラニンが似たような、違うような結末を迎えたのは、浅野さんは種田にも幸せになってもらいたかったからなんじゃないかと思います。
おやすみプンプンは種田の話なのじゃないかと。自意識と不安にとらわれて、世界と向き合えなくなって・・・種田は生きることはできなかったけど、プンプンは生き延びた。芽衣子たちに負けないくらい良い仲間に囲まれながら、種田の生まれ変わりのプンプンは生きていくことができる。
それでやっと、終わったのではないかと。
・・・飛躍しすぎかもしれませんが。
5.
いろいろ書き連ねてきましたが、「おやすみプンプン」、総じてよく出来た、青春群像劇だったように思います。
浅野いにおさんの人間観察力、あるかもしれない日常を思わせる描写力、死を悲しみだけではなく課題→解決のプロセスとして書くところなんかは今後もずっと、徐々に大人になっていく自分たちにいろんなことを投げかけてくれるのではないかと思います。
もう年を越しそうなので、ここらで今回は締めようかと思います。読んでくれた奇特な方がいらっしゃいましたら、乱文お目汚し大変失礼いたしました。
ご意見・ご指摘・ご感想ございましたら、是非ご連絡いただければと思います。ちょっとした話のネタ程度にはなるかと思いますので。
それでは。
以上となります。
最後まで根気よく読む変な人はいるのでしょうか。
それでは、今回はこれで。