英語で書くなら Hate not the person but the vice.(人を憎まずに罪を憎め)
これは「孔叢子」の刑論からの引用ですが、この言葉の意味を簡単に説明するのなら、
殺人罪は憎むべきだけど、殺人犯は憎むな――――ということでいいのでしょうか?
僕は不勉強なので感覚で語りますけど、ようするに刑論においては
「罪を罰するのであって、人を罰するのではない」という、感情を廃したシステム方針を採用している、でOK?
あるいは「そもそも憎しみなんて感情を抱くな」という、感情論なのでしょうか?
それとも「罰とかどうでもいいから、とりあえず発生した問題にケリをつけようぜ」という即物的な考えなのでしょうか?
分かりませんね。不勉強だから。
だから勉強しましょう。知らない言葉の意味を放置するのは、作家として許されることじゃない。
『孔叢子』刑論にある孔子の言葉
「古之聴訟者、悪其意、不悪其人」
意味は 「昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった」
調べてすぐに判明したのですが、原文はこれだけ 「古之聴訟者、悪其意、不悪其人」
いや、前後にもちゃんと「説明」はあるのですが、
親切丁寧に全部を「解説」してくれているわけではありませんでした。
そうか。つまり、解釈しろと、そういうことなのだな。
罪を憎んで人を憎まず。 その意味は、自分で考えろと。
んで更に調べて……というか、簡単に検索をかけて気がついたのですが。
この言葉の意味を探る人は、かなり多い。
きっと他の言葉でも同様の結果が出るのでしょうが、みんな答えを探しているんだろうなぁ、とか思ったり。
閑話休題。
罪を憎んで人を憎まず……。
やはり個人的な見解では 「刑法においては感情は不要」 に近いものでないかと思います。
その犯人がいくら憎くても、死刑には値しない。
逆に、その犯人がどんなに素晴らしい人間でも、死刑に値する。
そんな厳粛さを求められているような気がしてなりません。
ただ判決を下すのは非常に難しい。同一の犯罪はあっても、同一の犯行状況はありえない。
誰かが殺されてしまう事件が起きたとしても。
その被害者にとっては、たった一つの命。
数多の事件と同じカテゴライズをされたとしても、被害者達にとっては、それこそ致命的な、一件と一命。
溢れかえる感情。対立する感情。ドロドロに煮詰まる、感情極地。
だからこそ、それらを律するためには、感情を排する必要があるのでしょう……かね?
でもそこまで考えると 「やっぱり憎しみとか抱かない方が良いよなぁ」 と考えてしまい。
結局は仮説の第二案 「そもそも憎しみという感情なんて抱くな」 に行き着きます。
解釈は、自分でしろ。
なるほど。その曖昧の中に真理はあるのだろうけど。
その真理は一つでなくていいのだな、と。
その曖昧さの中に存在する全てが真理なのかな、と。
そんなことを思いました。
どうせ不完全。
人間も、言葉も、ルールも、正義も秩序も道徳ですら、不完全。
でも、不完全だからこそ、輝くものが、あったりなかったり。
不規則な羅列の中から見いだす意味は、不完全であっても誰かにとっては絶対性に近いものである。
近い例えで言うのなら……好きな十個の数字を思い浮かべてほしい。
たとえるなら、6846521354
この無意味な数列は、円周率のどこかに必ず該当する。
それが何桁目なのかは分からないけれど。
そこに意味を見いだす人は、いるのかもしれませんね。
でもそんなに考えることでもないのかも。
罪を憎んで人を憎まず。
そう言われたら 「そうだね」って、たぶん皆様は答えられるでしょうから。
あらやだ。
シリアスな小説読んだ直後に文章書くと、なんだかそれが移っちゃってる。
堅い話はおいといて、もすうぐ二月だよーーー!!
バレンタイデー? なにそれ?
馬連多淫手?
馬を、連ねて、淫らな、
……卑猥! 卑猥よ!! ばかばかえっち!
ワインで脳が腐ってる雪尋が、一月の末をお知らせいたします。
今週もよろしくお願いいたします。