私が死んだら、灰を海にまいてほしい。

骨を墓に収めるなんて絶対に嫌だ。墓石なんていらない。



私は墓参りをしたくない。

理由は、手入れをされて花や線香が供えられた墓が大半を占める中で、誰の手入れもされていない墓を見てしまうことが嫌だからだ。


手入れのされていない墓とて出来たときは祈る人がいたはずなのに、もう居ない。誰も。



あぁ、なんて喧しい。だから墓なんていらないし、見たくもない。

私はは前々から自分に価値は無いと思っていたのですが、最近は違います。


確かに私の人間性に価値は無くても、身体には価値があると思います。


今まで高い金をかけてしてきた習い事や教育、食べてきた物などの価値が身体にあるのだとしたら、身体自体はとても価値のあるものだと思います。


臓器移植を待っている人は、身体をあげるといわれれば一体いくら出すのか?想像できません。




自殺する人はこのことに気がついているのでしょうか?


自殺する人は、そのくだらない人間性のために、今までかけてきた労力と金の結果である身体を無くすわけです。

くだらない人間性と身体、天秤にかけたら身体の方がずっと価値があります。価値の無いもののために価値のあるものを貶めることになります。




ならば、死にたい私はどうすればいいのか?


精神と身体とを完全に切り離せたら、私は精神のみを捨てることができるのに。