母が腎盂炎で倒れて1年・・・

一度寝込むと、急激に体力が衰えると言いますが、

今は独りで歩くこともできなくなり、自宅療養を諦め、

施設のお世話になっています。


この半年で、認知症の症状も進み、

母との会話も成立しなくなり、

震災への対処で、忙しかったのと、そろそろ良いかなと思い、

施設の方及び友人が僕の代わりに母のケアを大変良くやってくれるのに甘えて、

母の事を任せ、少し介護をサボっておりました(ノ_・。)


でも、やっぱり違うんですね・・・

今日、昼間に時間が有ったので、施設に行って、

久しぶりに食事介助をしてきました。

以前に比べ、食べるペースはゆっくりになりましたが、

それでも、しっかり完食した母に安堵しながら、

仕事に戻ると告げると、帰るなと真っ赤にした眼で訴える母・・・


認知症が進むと、自分の子供も分からなくなると言いますが、

本当は違うのではないでしょうか?

脳は認知症の進行で退化しても、心は死なず・・・

そんな気がします。


次のアポをずらし、30分母のとなりに、僕はただ座っていましたが、

母はずっと僕の手の上に自分の手を載せていました。

この半年、顔を出しても無表情で、

僕の事を忘れてしまったのかと思っていましたが、

自分の感情を上手く表現できないだけだったんですね。


片付け上手の友人の力を借り、

父の遺品整理や震災で散らかった我が家も落ち着いた今、

もう1度、自分の介護に対するスタンスを見直す時がきたのだと思います。

以前のように24時間介護に没頭する必要は無くなりました。

これからは、もっと自分の為に時間を使う事ができます。

今後は、自分のための時間と家族のための時間・・・

このバランスをうまくとりながら、自分の今後を充実させたいと思っております。


母が認知症になった当初は、なんで自分ひとりでこんなに苦労しないといけないのかと思った事も有りますが、禍福はあざなえる縄のごとし、たくさんのことを学ぶことが出来た自分は、幸せだったのかもしれません。

今、自分が心から尊敬できる武道家とカメラマンに色々ご指導して頂いておりますが、彼らに弟子入りを認めて頂けたのも、介護を通じて人間的に成長できていたからなのではないかと思っています。


父をおくり出す事から始まった2011年・・・

いろいろ有りましたが、決して大変なだけではなかった!

そう思っています。



氣が付けば、10月に半ば・・・

あっという間に時は過ぎ、2011年もあと2か月半で終わろうとしています。


いろいろ経験しました。

いろいろ考えさせられました。


そして、たくさんの方に力をお借りして、

私は、ここに存在しています。


生きているというより、生かされている・・・

そんな氣がします。


1989年8月20日、鉄のカーテンが破かれた瞬間を現地で目の当たりにし、

1995年1月17日、阪神大震災を大阪という近隣都市で眺め、


そして、2011年3月11日・・・

数日前に、父の納骨を済ませ、

叔父と母を病院預けた状態で、

前日に車のガソリンを満タンにし、

地震発生1時間前にワークブーツを買い、

云わば準備万端な状態で被災・・・


人は、どんな人生を送るか予めシナリオを決めてから、

この世に生を受けると聞いたことが有りますが、

天は、一体何をこの世で私に学べというのだろう?


多くの方が命を落とした震災を2度も経験した自分が、今後何をすべきなのか・・・

自分自身の震災の後始末がやっと終わりつつある今、

自問自答を繰り返しています。


もしかしたら、この10年の介護生活も、

これからの自分の活動のための訓練だったのかもしれません。

というか、そうだったと言えるようになるかは、今後の自分の心掛け次第ですね。


今月、私が住む宮城県内の避難所が全て閉所され、

復旧から復興の段階に移りました。


特殊技能を持たない一般人がボランティアに行って、

何になるという考えもあるようですが、

決して、そんな事はありません。

たとえ微力で有ったとしても、

誰かの為にと汗を流す、ボランティアの皆さんに

多くの被災者が勇気づけられ、

たくさんの力を頂きました。


本当にありがとうございました。


復興の道のりは、長く険しいものになりますが、

私たちは、決して諦めません。

東北人は、粘り強いですから!

何年掛かるか分かりませんが、きっと復興してみせます。

いや、復興ではなく福興します(=⌒▽⌒=)




今回の震災で放射能を含んだ雨が降る中、

僕は、長時間バイクで被災地を走り回りました。


先日NHKの津波に関する特集番組で、

愛他行動の為に自分も津波に呑み込まれて命を亡くした方の事が

問題視させていましたが、


もし、放射能雨に濡れた事で、

癌になって自分の寿命を縮める事になったとしても、

私は原発を恨んだり、人のせいにしたり、後悔したりしません。

それが自分の運命だと受け入れます。


人の一生は、何年生きるかではなく、

どう行動したかで、その価値は決まる。


自分の命を惜しがり、逃げ隠れして

寿命を延ばしたって、

悠久の大地の時の流れからみれば、

微々たるもの・・・

それほど変わりません。


家族の今後について、段取りが済んだ今、

いつでも、どうぞ!

これまで、大した事をやり遂げたとは

言えないかもしれないけど、

自分なりにベストは尽くしてきました。

ですから、もし明日、天に召されたとしても、かまいません。

自分は、明日までが寿命だったという事です。


以前このブログにも書きましたが、

僕らは、誰しも不死身です。

ただし、死ぬまでは・・・( ´艸`)


お迎えが来るまで、最善尽くす。

それだけです。



介護保険制度ができたおかげで、公的介護援助を受けることが出来るようになり、僕ら介護する立場の家族は、かなり楽になりました。本当に有り難い制度だと思います。


しかし残念ながら、改善すべき問題点が多々あるのも事実ですね。


毎月介護保険料を払うかわりに、利用料の1割負担で、介護制度を利用することが出来ます。(ただし、介護度によって限度は違います。)

だから、介護保険を利用するのは権利と言えば権利です。

しかし、介護のすべてを介護保険制度に押し付け、家族が介護しないで良いという事ではありません。家族だけでは介護し切れない部分を補うために介護保険制度が有るのです。一生懸命、家族の事を思っている介護者に、より良い介護ができるよう手伝うためにある制度です。


決して、介護保険制度は、家族が介護について考えなくて良いようにするために、公に親の面倒を押し付けるために、有るのではありません。


また一方、介護に従事するヘルパーさん達も考え違いをしているようです。

いくら介護報酬が低いからと言って、介護は、予め決められた時間だけ、事業所から指示された事だけをやれば良いという仕事ではないという事です。


介護は、接客業です。それも身体に障害を抱えた健常者よりも気を使って差し上げないといけない人を相手にする仕事です。クオリティを求められる貴い仕事です。


被介護者は、身体が弱っていても人格のある人間です。決して物ではないのです。


確かに、今の介護報酬では、ホテルマンや看護師と同等もしくはそれ以上のクオリティを求められたら、厳しいかも知れません。介護制度に問題が多々あるのは承知しています。現状でそれをするのが無理だとしても、本来ならこうしたいとか、こうすればもっと良い介護が提供できるなどの意見を上げるだけでもしても欲しい。


上層部に言われたことに不満を募らせてイライラしながら介護するのは、絶対に止めてほしい。そのしわ寄せが、弱者である被介護者に行くのは困るので・・・


今、自分にできる事・・・

それは、たとえ僕が不満であっても、

介護事業者が不備だらけの制度の中、何とか良い介護サービスを提供しようと彼らも頑張っているという事を認めて上げる事。

実際介護サービスを提供する方に、

照れずにありがとうという気持ちをキチンと伝える事・・・

そこから、介護サービスの改善は始まると思う。


大変だけど、1つ1つ問題を解決しながら前に進むしかない!

ますは、明日サービス提供業者の責任者と面談して話し合う事から始めます。