何かを食べてから夜7時頃に行くとホースショーはまだ始まっていなかった。馬場を囲む観客席に心地良い春の微風に当たりながら待っているとライトに照らされ立派な騎馬隊が見事なギャロップで鼓笛隊の音楽に合わせて入場してきた。ほーっ、と映画撮影の生シーンを見ているような錯覚を覚えた。次々と繰り広げられる野外ショーに大勢の観客は拍手して大満足だ。



その時、一人の白人の中年男が僕の方に近づいてきた。ここからはすべて英語モード。「どこから来たのか、日本か?」「そうだ」

「私はパンナム(パンアメリカン航空)のパイロットで今日は休みでここにきた。テクサスのダラスに住んでいる。内ポケットから写真を出し、これが私の息子達だ。白黒写真で3人ともカーボーイハットをかぶって西部の男らしく正装している。僕の警戒モードも写真を見て話しているうちに解除されていった。


パリ・マドリッド10日間家族旅行記


ショーが終った後、「パブにいかないか」と誘われ、同意し、ピカデリーのど真ん中のパブ目指して並んで歩いた。彼の嗅覚で適当な店を選び入った。そこで僕の旅の話や彼の友人に日本人のパイロットがいて、いい奴だとか話していると数名の女性も含めてビールを片手に楽しそうに飲んでいる客が会話に参加してきて結構盛り上がった。時計はまだ10時頃だった。




すると彼が、腹が減ったからどこかレストランへ行こうと言い出した。僕も勢いでOk.Let'sgo.と誘いに乗った。パブの勘定は彼が持つと言ったので素直におごってもらうことにした。外に出て彼の食べたいという中華料理店を探したが見つからない。ふと見るとフランスレストランが目の前にあった。彼がそこにしようというので入ったが、高級そうでちょっと心配したが、ええいままよと地下の店に入った。

僕はなるべく安いものを注文した。彼はうまい、うまいといって結構食べた。



時間も遅く、アンダーグラウンドの終電も気になるので切りあげて店を出た。今度は勘定はGOダッチつまり割り勘でいこうと彼は言った。僕も2度もおごってもらう程厚かましくはないので勿論同意した。急いでピカデリーのメトロに行ったが、終電は出てしまっていた。

驚いたことに彼は今日着いたばかりで自分の宿泊ホテルの名前が分からないという。



近くにアーチと公園があったというのできっとハイドパークの一角にあるスピーカーズコーナーだろうと見当がついたので歩いて行こうと僕が提案し、彼は僕について来た。1時間ぐらい歩いてその付近にたどり着くと「これだ、このアーチだ。ここからならホテルに帰れるというのでそれではと別れた。



一人になってさて僕のホテルはどこだと冷静に考えロンドンは結構分かりやすい街なので大方の方向は分かった。しかしながらハイドパークに沿った道は思いの外距離があり暗いポイントもあって、一度一人の男とすれ違うときは緊張が走った。無事に我がホテルについた時は3時を回っていた。そんな遅くでも自由に自分の部屋に入ることができた。ホッとして横たわったが、こんな危険なことはこれを最後にせねばと体得した。


思えば、パンナムのパイロットでカーボーイハットの写真を見せるなど、何だかよくある詐欺の手口っぽくもあるわな。特別な被害があったわけではないので、

多分なんでもなかったんだろうが。




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1978年の5月下旬に初めてロンドン、ヴィクトリア駅に到着。駅の案内所で紹介してもらったホテルに向かった。地下鉄でサウスケンシントン下車。徒歩10分。煉瓦作りのこれぞイギリスという感じの外観。朝食付きのいわゆるB&Bで出入りも自由にできた。


リュックを置いて早速観光にでかけた。ロンドンタワーブリッジ、ロンドン塔、セントポール寺院、バッキンガム宮殿、国会議事堂とビッグベン!どれもこれも教科書で学んだ名所だ。痛く感動した。夜はサウスケンシントン駅近くでフィッシュアンドチップスを食べた。薄い味付けだが、要はタラのフライとフライドポテトだから、後はテーブルのビネガー、ソルトで好みの味にできるので凄く美味しいとは言わぬが、合理的で結構いけると思った。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記


翌日、朝早くからリージェントストリートからピカデリーサーカスのダウンタウンをうろつき、昼はある店に入りサンドイッチを食べたが味がないというか超薄味だった。パリのフランスパンにハムやトマトを挟んだサンドの方がはるかにうまい。そこからどんどん歩いてハイドパークに向かったが、その前に懐かしい小話を一つ。



 1995年に僕の両親とロンドンにやってきた時のことだが、リージェントストリートの横道を入ったところに老舗のオーダーメイド紳士服店が立ち並ぶサヴィル・ロウ通り があり、折角来たのだから、背広を新調したいから入ろうと背広姿の父が本気モードで言い出したので3人でいかにも王室専用のような店構えの老舗に入った。



昼だというのに少し暗く、誰もいない。「Excuse me,Excuse me」と大きな声で呼ぶと奥の方から中年の背の高いジェントルマンが背広姿でこちらの存在に気づき近づいてきた。何かご用ですか?と不審そうに尋ねた。親父に何を言えばよいか尋ねたら新調するのに幾らするか聞けとのこと。忠実に通訳すると日本円で一番安くて64万円とのこと。

鷹揚に構えていた父がその金額を聞くと「そうか、よくわかった。店を出よう」とアッサリ諦めた。ジェントルマンに「ありがとう。参考になった。又いつか。さようなら」と言って店を出た。今は亡き父の懐かしい思い出だ。



そして話は78年に戻るが、ハイドパークからさらに上に位置するリージェントパークにも足を延ばし、そこで初めてパンダを見た。日本のように人だかりはまったくない。むしろチンパンジーの子どもが人気者だった。

その夜はピカデリーの近くで馬のちょっとしたショーがあるとガイドブックにあるので再度ダウンタウンに向かった。

明日に続く。




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暑い~~~!
まさしくこれは「インド人もびっくり!」な暑さである。

さて、昨夜遅くにアップした記事の続きです・・・。


列車でベナレスからブッダガヤへ向かった。それにしても独特の雰囲気がある聖なる古代的な不思議な都だった。列車に揺られてまずガヤで降り、小型バスで舗装していない土ぼこりの上がる小さな村迄行った。タイムマシンの世界だ。幼い頃の道を思い出した。まだ戦後が残っていた日本。ここがあの深夜特急にも出てくるブッダガヤだ。


小高い所に建つ良いホテルに泊まることにした。翌日ブッダが悟ったという大きな彫刻が立派な石塔を見に行った。その中に見事な菩提樹(4代目だそうである)が1本、たくさん枝を伸ばし美しい葉をつけていた。正にこの菩提樹の下で何日も瞑想してブッダ(目覚めた人という意味)になったとのこと。何の疑いもなくそうに違いないと僕は思った。そう思わせる力があった。特に陰を作ってくれるこの菩提樹の木には・・・。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記


 翌日愈々インド最後の訪問地パトナにバスで行くことにした。

デコボコ道をガンジス川沿いの大都市パトナに向けてバスは快調に走ったー

と言いたいところだが、現実はガヤでこの大型バスに乗り込んだ時には空きの席が一番後ろしかなかった。その後たくさん乗って来て後ろの端にぎゅうぎゅう押しつけられた。しかもアスファルトの道路とは名ばかりの強烈な振動を伴うあまたのデコボコ。僕の胃腸は変調をきたした。これがのちに起こる異変の伏線となる。



地球の歩き方に載っているホテルにリキシャで行ったが満杯だった。リキシャが例の如く別の所へ連れて行こうとするが、僕らはガイドブックにあった格上のホテルに決めた。

ガンジス川をブラブラ歩いて見に行った後はそのホテルにで過ごした。そして夕食は面倒だからそのホテルで取ることにした。実に美味しいチキンカレーだったが、食後ホテル周辺を暗い中散策している時から腹の調子が悪くなってきた。



散歩を切り上げ早足でホテルにに帰ってトイレに駆け込んだ。激しい下痢だ。延々と排出と腹痛を繰り返すが、ちっとも良くなる気配がない。途中同伴者の二人が様子を見にきたがどうしようもない。何か薬を飲んだが効果がない。またトイレへ行く。少し収まると水分を取った方がよいと思い、フロントに飲み物を数回注文した。最後は汚い話だが、水のようなものが断続的に出る。



夜は更けそして白らんできた。これは実にヤバイと恐ろしくなってきたが、ジッと横たわるしか手はない。少しうつらうつらしたらしく多少気分が良くなった。一刻も早くこの恐ろしいインドを脱出しなければと気がせく。

早朝早い目にチェックアウトしてリキシャに空港まで急がせた。

人のあまりいない空港の待合室に座って僕たちの便を待つ段になって初めてこれで脱出できると確信が持てた。



間もなく小型の飛行機が離陸してガンジス川が小さくなっていった。弱った体がニューデリー空港到着のアナウンスをまだかまだかと叫び続けた。ニューデリーに着いた時はこれで生きて旅を続けられると思った。そしてエアコンのガンガン効く空港内で寝転んだりして長時間待った後、ルフトハンザの大型の飛行機でイスタンブールへ向かう機上の人になったのである。

これでインドの話はおしまいです。



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 翌日再度知人の一人と共に遺体焼き場に行った。途中迷路に入り込み少し苦労した。サドゥー(行者)にも会った。焼かれる遺体をそばで見ていると焼き場の若者が近づいて来た。「この遺体は生前貧しかったので木の量が足りない。向こうに積み上げてある材木を買うお金をお前が出せ」いわゆるバクシーシと思って僕は少額寄付した。

頭がジーンと暑くなってきたのでそこを去った。


昼飯にカレーを食べてからサールナート迄足を伸ばした。シッダールタが最初の説法を始めたところである。その記念すべき建物の近くの博物館にインドのお札の裏に載せられたアショカ王に関する物があった。


その翌日は電車でブッダガヤへ向かったが、その前に一悶着あった。ベナレスで一番大きな銀行でトラベラーズチェックをインドルピーに換金しに行った時のこと。いつまで待っても順番が来ない。よく観察していると、あるおばちゃんが文句言って仕事をしない。しばらくすると奥からおっちゃんが来て無言で高い棚の上に置いてあった大きなファイルを一人で降ろし、ドンと彼女の前に置いて去って行った。彼女は平然と他の男性に水を持ってこさせユックリ飲んで悠然とファイルを開けて仕事を始めた。

これはインド特有のカースト制度から来ている、と隣に座っていたネパール帰りの日本の若者が教えてくれた。



 さて一緒に旅している知人の一人が、確かトーマスクックのだったと思うが、「このトラベラーズチェックは当店では換金できない」とサインをした後言われカウンターで抗議したが駄目だった。

で悔しいからホテルに帰り国際電話をロンドンにかけた。するとニューヨーク支店に回され僕が張り切って事情説明したらヨーロッパのとある街の支店で申し出たらサイン入りの100ドル分のチェックを新しくしてくれるという約束を取り付けることに見事成功、しかも電話代も向こうが持つことになったのである。

電話の周りに集まった4、5人のインド人も結果を聞いてお前はすごい!と拍手してくれた。ちょっと鼻が高かった。




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 翌日バスでカジュラホ まで行き、プール付きのホテルに数日滞在した。あの有名なセクシュアルな彫刻群 を、ホテルに遊びにきていて知り合ったインド人の日本語の案内で観光客が殆どいない中ゆっくり見物した。彼の兄が経営するホテルに遊びに行ったり彼のよく行くイタリアンレストランでパスタを食べたりして僕たち3人は結構楽しく過ごした。



そこからバスに乗りとある鉄道の駅に行き、そこからヒンズー教の聖地ベナレス 行の夜行列車に乗り込んだ。色々話の行き違いがあったが寝台を2台ゲットして、彼ら二人が2段目の寝台に窮屈だがクロスに横たわり、僕は3人分のリュックと寝転んだ。朝、知人の下に置いていた靴が行方不明になっていた。僕も心配で下に降りて調べたら片方がない。さらに寝台の奥を探ると幸運にも出てきた。知人は予備のサンダルでその場を凌いだが「インド、最低!」とこぼしていた。気の毒だが打つ手はなく汽車を降りた。



ガイドブックで目星をつけたエアコンの完備したホテルに到着し、一息ついて、暑い真昼にガンジス川を見に行った。川べりは石の階段で整備され、こちら側の岸に沿ってこの歴史を感じさせる階段がずっと続く。それに対し、対岸は全く何もなく白っぽい砂利だけだ。小舟に乗らないかと業者に誘われ、乗ることになり、酷暑にさらされ結構透明度の高い静かな水面を上流に上ると、吹きさらしの遺体焼き場が見えてきた。



これがあの有名な光景かと思って凝視していると「no photo ,no photo,understand?」と船頭が神妙な表情で僕たちに諭すように言った。船は岸にユックリ近づく。そこで行なわれている光景が手に取るように見える。階段の上から黄色かピンクかの真新しい絹の布にすっぽり覆われた大きな遺体が運ばれて来た。一旦ガンジス川の水に漬けて、積み上げられた鉄道の枕木大の木の上に静かに置かれ身内が最後の別れの言葉と涙を流し、その場を離れた後、火がつけられた。他にもほぼ焼けた遺体もあった。



息することも忘れ恐怖ではなく何か厳かな安らぎのような時空を超えた世界に入ったように感じた。
知人の一人が気分が悪いというので、元の岸に戻った。

次回につづく。


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