よく訊くと彼らの会話は英語からフランス語に変わっていた。 これはますます僕の出る場ではないなと自分の手帳にこれからのことや過ぎたことを顧みて書き込む。
これって海外旅行経験者の多くが同意すると思うが、妙に心持ち良いんだよね。
いつの間にか眠ってしまい、朝を迎えた。久しぶりのパリの匂いが近づいていた。ガール・ド・リヨン駅に着いた。僕よりも早く彼が大きな荷物を降ろした。何だろうね、この素早さは!嫌になっちゃうよ、まったく!


パリ・マドリッド10日間家族旅行記


行きつけの「プログレス」に着いたのは10時頃だった。
いつものムッシュがいてホッとした。
翌朝、KALの事務所に再確認の電話を入れて万全を期した。パリ、オルリー空港1978年7月17日発、7月18日成田空港着。まだ出発まで2日ある。明日明後日、どう過ごそうかと考えながら、行きつけの安レストランで夕食を終えたあと、これまた行きつけのカフェで久しぶりカフェオーレを飲んだ。


(写真は'78年当時のパリ、ホテル・プルグレス前)




にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします

↑こちらにも登録してみました。




 スーパーでパン、チーズ等を買って、早い目にジェノバ駅に戻った。ロンドン行のローマ・エクスプレスに乗るつもりだったからだ。またもや、夜行列車だ。
目的地はパリ・リヨン駅。
簡易な夕食を済ませて、少し薄暗い広い駅のホームに座っていると、見知らぬ男が近寄ってきて、「財布を失ってしまったので、お金を貸してくれないか」と英語で僕に言ったので、「実は僕も一銭もお金を持っていない。だから少し貸して欲しいんだ」と言い返すと、こいつは何を言っとるんだ?!おかしな奴だーと怪訝な顔をして頭を振りながら離れて行った。その後姿を見て、俺も75日ヨーロッパ中を旅している間に、相当旅ずれしたもんだなと思った。


パリ・マドリッド10日間家族旅行記



列車に乗ってひとりオシャレなコンパートメントを独占して脚を伸ばしてくつろいでいると、白人の美しい熟女がドアを開け「空いていますか?」と言ったので、「僕以外誰もいません」と言うと、大きな荷物とともに入って来た。勿論僕は欧米風に荷物棚にそれを載せるのを手伝った。彼女はアメリカ人で、イタリアの旅を終えて知人のいるパリへ向かうとのこと。これは退屈せず会話が楽しめるぞと思っていたら、出発間際に一人の白人男性が入って来てしまった。


なんでやねん~~、、、と正直思ったが、仕方がない、普通通り彼に挨拶したが、彼は窓側の席の僕の真向かいにいたアメリカ人女性の隣に席を取り、僕を殆ど顧みず彼女と活発に自分がテキサスへ行った時の話をし始めた。


(写真は本文とあまり関係のないカンヌの駅で見かけたポスター、しかも'78年ではなく'82年の物です。当時の美女繋がりということで・・・。)




にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします

↑こちらにも登録してみました。




 翌朝、ミラノセントラル駅で列車を待っていると日本の若者と出会い少し会話した。旅の情報交換をしていると列車が入ってきたので僕は車輌に乗り込んだ。彼はもう少しミラノに滞在すると言っていた。

昼過ぎにジェノバ に着いた。僕の乗る予定の、ローマ~ロンドン間を走る列車「ローマ・エクスプレス」は夜発車なので、ロッカーにリュックを預けて街を散策することにした。

駅を出てどんどん海へ向かって下って行った。
途中、美味しそうな魚介類の天ぷらを揚げて売っている 店で昼ごはんを食べた。これが久しぶりの大当たりでメッチャ美味しかった。それは日本のイカ・イワシの天ぷらを思い出させた。俄然元気が出てきた。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



ローマ時代の古い通りを抜けると、ドーンと地中海が眼前に広がった。 立派なプロムナードが海沿いに続いている。これは素晴らしい!

今回の旅の神様からの最後の贈り物、そう直感的に思った。双子の小さな少年が伸び伸びと僕の方に走って来た。なぜか僕の心は安寧な状態になり優しい心持ちになった。

下の砂浜には多くの人々が泳いだり、日光浴しているではないか。よし、記念に泳ごうと思い立ち、階段を降りていった。それらしい店で海パン貸してくれるかを訊くとラッキーなことにOKときた。
(これで2度目か?海パン買えよ~!)




パリ・マドリッド10日間家族旅行記



着替え室で着替え、海水に入り、アフリカに向かって泳ぎ出した。

もう超最高!

暫くして砂浜で座っていると、なんと身体じゅうに白い粉が付いている。何だろうと思って触れるとサラサラと塩が落ちた。日本のあのべとついた嫌な感じがまったくない。それほど乾燥しているのだ。ちょっとした発見と驚きだった。これが地中海性気候ってやつだな。何度か泳ぎ、大いに満足したので、シャワーを浴び、浜辺を去った。


(写真は'78年当時のジェノバ、海岸近くのプロムナードとビーチです)




にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします

↑こちらにも登録してみました。



 

 トム・ハンクス主演の話題作「ダ・ヴィンチ・コード」で取り上げられた「最後の晩餐」の壁画のある小さなマリア教会には、今では信じられないだろうが、数人の見学者しかいなかった。教会内はひゃっと涼しい。目が暗さに馴れるまではあまり見えない。馴れてくると、あの教科書で見た絵が壁全体に浮かび上がってきた。古いせいか色調が薄い。縦が軽く見上げるぐらいの高さから天井の少し下辺りまで、横は約20メートル幅の壁一杯に描かれている。

イエスを囲む使徒たちの視線や動作に様々な意味が内包されていることは後に知ったが、当時はやたら剥げ落ちた部分が多く、色が薄くて見にくいなというのが第一印象だった。 ただ、ここで確かにダ・ヴィンチが500年前に描いていたことには痛く感嘆した。この壁の対面にも立派な絵が描かれていた。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記


   http://www.amoitalia.com/milano/cenacolo.html          


そろそろ帰ろうと思って、まさに教会を出ようとした時、そこに白黒の写真が一枚イーゼルに置いてあることに気づいた。それは第二次世界大戦中の連合軍による空爆の後の写真だった。あたりは一面焼け野原、石の残骸だらけだ。このマリア教会も残骸だけの姿なのだが、驚くべきことに最後の晩餐の壁と対面の壁だけが残っている。しかも最後の晩餐の少し上からは壁も吹っ飛んで跡形もないではないか!

神はおわしますと咄嗟に思った。

僕は暫くその写真を見入っていた。
その夜トーマスクックの時刻表を調べ、明日早くジェノバへ向かい、夜行列車で愈々パリに帰る予定を組んだ。




にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします

↑こちらにも登録してみました。




 翌朝、列車でミラノへ向かった。13時頃ミラノ・セントラルに到着。クリーム色の大理石で建造されたえらい重厚感のある駅の建物に圧倒される。例によって駅のインフォメーションで安いペンションを紹介してもらった。行くと駅に近いが、内装は味気ない部屋だった。
身軽になってまずは、スカラ座の大アーケードを歩き、(と言ってもたいした距離ではない)、そこから目と鼻の先に位置するあの金色に美しく輝くドーモ(ミラノ大聖堂)に向かった。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記


まず大聖堂の前の広々とした広場に驚かされた。
教会内部の見事さはいうまでもないのだが、それ以上に印象に残ったのは、階段で昇り、石造の屋根の上を歩いたことだった。僕以外にも結構観光客がいる。最初は恐る恐るゆっくり歩いたが、頑丈に出来ていることが分かってからは緩い傾斜の屋上をどっしり悠々と歩いた。これは珍しい体験だ。「ほんまにええのかいな??」と思いながら、眼下の広場や家並みを見て楽しんだ。
大聖堂見学後、やはりレオナルド・ダ・ヴィンチ作の「最後の晩餐」は見落とせないと思い、酷暑の中地図を見ながら、サンタ・マリア・デッレ・グラツイエ教会へ歩いて向かった。


(写真は'82年二人旅時に大聖堂の屋根の上で撮った物です。たまたま白黒写真です。)




にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします

↑こちらにも登録してみました。