まずは、今回の事故で犠牲者になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


僕と妻は1982年5月、ポルトガルからスペインのガリシア地方の聖なる古都サンチアゴ・デ・コンポステーラに普通列車で向かっていた。途中でアメリカの青年マイケルが乗って来て親しくなった。スペインではあれが美味しい、これがうまいと話しているとコンポステーラに着いた。「うちに宿泊しなさい」というおばさんの勧誘にヘミングウェイ似のマイケルが乗り、僕たちにも一緒にどうだと誘ってくれたが、何となく気が乗らなくて丁重に断った。二人で行動していたから何事も自力でやろうと前のめりになっていたのだろう。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



かなり歩き回って見つけた宿は小さな屋根裏部屋でトイレが付いていない。安いとはいえ、階下の家主のおばさん宅のトイレを借りるという、まことに今から思うと不便極まりない宿だった。

街に出てさっそく大寺院を訪問した。古いが左右対称の立派な寺院だ。階段を上って中に入ると、一瞬暗くて何も見えない。奥の方に聖ヤコブの聖像があったようだが、記憶にあるのは、入ってすぐの一本の大理石の支柱

みんなその柱に右手を伸ばし触れている。僕たちも触れてみた。驚いたことに、スコンと手のひらが入り込むほど凹んでいるではないか!



パリ・マドリッド10日間家族旅行記


ペストでヨーロッパの総人口の4分の1が死んだ14世紀辺りに始まった巡礼以来あまたの人々が命からがらここに辿り着き、自分と頼まれたご主人様のために懸命に祈った軌跡がこの窪みを作り出したのである。今も忘れられない手の感触だ。

現在も南フランスのとある町やスペインのバスク地方のとある町を出発点にして定められた宿に宿泊しながら杖と貝殻を持って歩いてコンポステーラまで歩いて行く巡礼は人気があるそうだ。

その夜は案の定トイレに困り、一階下の家主さん宅に真夜中ブザーを鳴らして使わせてもらった。更に僕が早朝再度行った時は、右手を腰に当て、「またか」と不快そうな顔をしていた。しゃーないですわな、とこっちも開き直ったが。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記


翌日は祭りがあって、踊る人がいたりした。レストランでの昼食後、妻と祭りを見ているとマイケルと再会した。彼の宿は居心地良いと言っていたので、「昨日、一緒の宿にすればよかったかな」などと妻と話した。
その翌日「ラ・コルーニャ」に行きたいという妻の要望を、もうその日の列車が出てしまってないという理由で却下し、マドリッドに帰ることになったのだが、そのことを今も事あるごとにチクリと非難されるので、いつの日か、ラ・コルーニャに行きたいと思っている。




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 機内食の後、コーヒーを飲みながら隣の少年に初めての訪問だという日本の紹介をした。時が過ぎ、ライトを消して睡眠時間になった。僕は機の僅かな振動と乾燥した空気の中で今回の旅に思い馳せた。
自分が日本に生まれながら、国籍は大韓民国である大きな齟齬をどう受け止め、未来に向かって生きて行けばよいのか? 自分は日本人なのか韓国人なのか或いは在日韓国人なのか?一体ヨーロッパではどのように多民族が暮らしているのか?



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



それらの解答は僕なりに明瞭に見つけた。つまり、自分は韓国系日本人であること、そして何よりもコスモポリタンであるということだ。前者は動かし難い厳然とした事実で別になんら劣等感を持つべきものではないということが様々な多民族が渾然一体となって国家が形成されている欧州の国々を旅して体感し体得した。
厚い壁というか若きウエルテルの悩みが解けた。
これは僕にとって大きな収穫だった。



それに対して、後者のコスモポリタンであることは自分が意識して自認し、尚且つそれ相応の教養を身につけ、他者の多くの人に認められてはじめてなりうる存在である。
また今だけでなく、将来もそうあり続けねば意味がない。
そのためには、日本にいる時も世界の動きに関心を持ち続け、何と言っても、定期的にヨーロッパを再訪せねばならない。僕はもう一端のコスモポリタンになった気分でいた。
何か自信のようなものが腹の底から沸き起こってきた。
事実、隣のイギリス人の英語がスイスイ理解できたし、僕もスラスラ喋れた。
ただし、相手が小学生の少年だったが・・・。

何時の間にか機はアンカレッジに近づいていた。
たまらなく愛おしく思えてきた、僕の故国である日本のことが。さようなら、パリ! また会う日まで!




今回で'78ひとり旅の記はおしまいです。昨年夏から長々と書いてきましたが読んでいただいた方ありがとうございました。
又お会いしましょう。



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 RERリュクサンブールからサンミッシェルまで行き、そこで乗り換えて郊外のオルリー空港まで行った。80日前、曇り空のパリに到着した時は、バスでアンバリッドまで行ったことを思えば、進歩したものだ。
何時発だったか今は思い出せないが、早い目にバゲッジを大韓航空に渡し搭乗券をもらい、出国手続きを終え、出発ロビーでチョコレート・ジタン等を買いながら時間をつぶした。


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いよいよ搭乗のアナウンスが流れ、並ぶと僕の前に黄色と白の横縞のフットボールシャツにジーンズの出で立ちの金髪の可愛い少年が二人いた。尋ねると兄は小6で弟は小2で、イギリスからパリ経由で東京へ行くとのこと。
「で、両親はどこ?」と訊くと「東京で妹と一緒に僕たちを待っています」と言うではないか! ビックリしたね。26歳の大の男が緊張しながら一人旅しているのにー。

驚く僕に「去年は香港で会ったよ」とさらりとお兄ちゃんが言い、弟が相づちを打つ。
参ったね、これには!
機内の座席も僕の右隣が兄、そして弟が並んだ。
これは往きのときと負けず劣らず楽しい旅になりそうだと僕は喜んだ。


(写真は'78年当時のルーブル美術館界隈)




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 今日がヨーロッパ最後の日だ。ホテルでクロワッサンとキャフェオーレのプチ・デデユネを取り、80日前ホテルを汗だくで探して上って来たサンミッシェル大通りをどんどん下って行き、サンミッシェル広場近くのレコード店で土産にLPを2枚購入した。一枚はスペインのフラメンコギターが名曲を奏でる内容らしきもので、もう一枚は女性ボーカルによるスペイン語とフランス語の歌が入ったもので、両方ともズバリ・・・レコードの表紙で選んだ。



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セーヌ川を渡り、初日訪れたノートルダム寺院に入って、お祈りをした。
またセーヌ川を渡って帰りはドラクロワ美術館前を通ってパリの雰囲気を一杯目に焼き付け、サンジェルマン・デ・プレ教会を左に折れ、リュクサンブール公園に出た。これは僕の庭だ。
永井荷風も「フランス物語」の中でこう言っている。「何故僕は明日面白くもない英国に向かってこの愛すべきパリを後にせねばならぬのか?憧れのパリに来る為にハワイ、サンフランシスコ、ニューヨークそしてまた船でロンドン、さらに ルアーブルからセーヌ川を上って来た。なのにどうして僕はこの美しい街に住めぬのか」と。彼は出発の前日リュクサンブール公園のある木の下の芝で身悶えするのである。



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僕は遠くに宮殿を眺めたり、空飛ぶ鳩を見ながら、「近い将来必ずこの公園に来るぞ」と密かに誓った。
ランチの後、ホテルにに戻り、ムッシュに預けていたダートを返してもらい、すべて清算して部屋に戻った。
窓から中庭を見上げ、白い壁を触り、暫く過ぎし日を顧みた。名残惜しいが部屋を出た。


(写真上・フラメンコギターのLPは今も時折聴きます。、下・'78年当時のリュクサンブール公園)




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 26歳の誕生日である4/29にDC10機でソウルを飛び立って始まった僕のヨーロッパ処女航海も残すところあと2日になった。思い起こせば、新幹線で京都から東京への食堂車で隣にいたまったく見知らぬおじさんに「僕、今からパリに行くんですよ」と今思うと赤面するようなことを唐突に言い出しても「そうですか!それは凄いですね。お気をつけて行ってらっしゃい」と普通に答えてくれたものな。
まだまだヨーロッパは憧れの遠い遠い地だったということだろう。



今日は思い切って昼は「ラーメン亭」でコーン入りに味噌ラーメンと餃子をはりこむことにした。有名人のサインを眺めながら、久しぶりの和食を堪能した。お茶は有料だ。

その後、チュルリー公園をぶらぶらして、いつまたパリを再訪出来るか判らないので、再度ルーブル美術館を見学した。まだピラミッドのない時代だから、当時はドゥノン門から入館した。何をみるともなく流すように絵画をどんどん観て歩いた。疲れたらソファに座り、一瞬うたた寝の後、眼前にドラクロワの「自由の女神」が静かに僕だけのために存在している。何という贅沢なひと時だったことか!



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ルーブルを出てセーヌ川沿いを歩いていると、3人の日本人らしき女の子達がいた。普通なら声をかけないのだが、人恋しいのだろうか、僕から声をかけた。一瞬彼女達に緊張が走ったようで、二人は「こういうのがガイドさんのいう危ない奴だ」と言わんばかりに顔を背けたが、一人の女性が割と気軽に返事してくれた。僕は自慢気にいろんな国へ行ったと長々話すうちに、他の二人もこっちを見るようになった。



セーヌ川観覧はバトームーシュが有名だが、ポン=ヌフから出る船は船賃も安いしお勧めだよ」と僕が言うと、3人相談して「その船着場を教えてください」というので、一緒に歩いて教えてあげた。僕はそこで彼女達と別れ、セーヌ川沿いのブキニストを見ながら当てもなく歩いた。そこでモジリアーニの小さな絵を土産に買った。やがて日も暮れ、残金と相談して、やはりいつもの安レストランで夕食を済ませ、ガイ・ルザック通りの坂を上って我がホテルに戻った。
明日は愈々帰国の準備だ!


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