今日、カズがばあちゃんちへお泊りに行くというので、送っていきました。
普段は「おかあちゃんの車で」というカズが、久々に電車で行きたいと主張。
この暑いのに……と思わなくもなかったけれど、幸いうちからも実家からも最寄り駅はさほど離れていないし、なかなか電車に乗る機会のないユンもきっと喜ぶだろう。
というわけで、電車で行くことに。カズは月に一回ヘルパーさんと電車で出かけているので、改札などは手馴れたもの。逆に、慣れているせいでどんどん先に行ってしまいがちで、ユンを連れて追いかけるのが大変です。ユンはユンで、自動改札ではしっかり教えながらでないと通れず、目が離せない。
どちらかといえばユンの方が、いろいろと理解していない分心配なので、基本的にユンの手を引いてカズは声かけで制止することになります。カズの方も、口うるさい母が隣にいるのは嫌そうでした。
電車に乗ると、いそいそと先頭車両へ。運転室へのドアの窓から走行中の線路を見たくて、早速その場所に立って眺めていました。そもそもこのために電車を希望していたので、ご機嫌なあまり、つい、
「エエッ」「アアッ」とか声が出てしまっていました。
なるべく声は出さないよう制するのですが、本人にしてみれば、わざと出しているわけではなく自然に出てしまうものだから、止めろと言われてもなかなか止められない様子(私はしゃっくりのようなものではないかと思っています)。
ユンはというと、少し離れた席に座って動かない。多動が出てはまずいし、奇声ではなくてもおしゃべりの音量はカズよりも大きいのでそばに付かざるを得ず、やむなく2mほど離れたその席からカズを見て、時々声をかけに行くくらいしか出来ませんでした。それでも、カズの発する声はそれほど大きくもないし、一番前は優先座席で、空いている車内では誰も座っていません。周囲にあまり人がいなければまあ迷惑になるものでもないかと思っていました。
ところが。
後から乗ってきて私の隣に座った中年女性が、声をかけてきました。
「(カズを指して)あの人、おかしいですよね」
私がじっとカズを見ていたので、自分と同じく気味悪く思っていると思って声をかけてきたのでしょう。私は内心動揺しつつも、努めて冷静に返事をしました。
「すみません。うちの子なんですが、障害がありまして……。社会勉強のためにこうして利用させていただいています。特に悪いことをしたりということはないのですが、どうしても声などは出てしまうようで……不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
私がそう言って頭を下げると、女性は慌てて「いえ、私の方こそ失礼しました」と謝ってきました。さすがにばつが悪かったのか、その後も「大変ですね」「こういう子でも反抗期とかあるんでしょう?大変ですよね。うちの息子も中2から高校卒業までは……」など、いろいろ話しかけられましたが、正直、この人はカズを「手のかかる厄介な子、親に迷惑をかけるどうしようもない子」としか見ていないなと思いました。
「うちの子は同年代の健常の子たちよりも、ずっと真面目で素直ないい子ですよ」
と言いたかった。状況からして言えなかったですけども。
そのうちに下車駅に着いたので、「ご迷惑かけました、失礼します」と挨拶して電車を降りました。
実家に着いて、母にこのことを話すと、「上手に対応したじゃないの」と言ってくれましたが、私は反省しきりでした。
「これくらいなら大丈夫だろう」という認識が甘すぎた。
特別支援学校に通っていることの弱点はこれだと思います。きっと先生も保護者も「障害児だから仕方ない」という特別扱いに慣れすぎていて、一般人の感覚を忘れがちになるのです。実際、カズが地元小学校から転校して以来、先生の言動からそれを感じたことは何度もあります。
地元校に通っていたときには、いつも周囲の反応に目を配り心を配り、毎日ピリピリしていました。それが、支援校に転校してからはすっと楽になりました。本当に、それが自分にとっていかに負担になっていたか思い知らされるくらいでした。
ただ、その緊張が解けた分、社会に戻った時に(変な表現ですが、実際支援校の環境は一般社会とは別世界だと思うので)必要なアンテナの感度が鈍ってしまったようです。
日本はまだまだ知的・精神障害者に冷たい社会です。この状況で周囲の無理解を嘆いていても仕方ありません。
勿論、啓発は必要ですが、それだって一朝一夕に出来ることでもありません。
当面は、アンテナを研ぎ澄まして自己防衛するしかないのでしょう。
夏休みは始まったばかりですが、正直言って、これから子供たちを連れて出かけるのが怖くなってしまいました。また、他人の冷たい視線にさらされるのに耐えなければならないのかと思うと……。いや、それ以上に、今回の声のこともそうだけれど、「本人にもどうしようも出来ないことをやめろと強制しなければならない」のが辛い。私は仕方ないことだと思っていても、世間ではそうは思ってくれないのだから。社会に出かけるのであれば、ある程度はそれに合わせないと、受け入れてはもらえないのが現実なのです。
でも、家にこもってばかりもいられません。ここは何とか折れた心をもう一度修正するしかない。
「強くならなければ」
当事者や障害児の親はよくこんなことを言われます。今回のようなことがあると、私も自分に言い聞かせたりもする。
けど、その度に吉村敬子さんの「わたし いややねん」という詩を思い出します。
『そやけど なんで わたしが 強ならなあかんねんやろーか』
……偉そうに言ってても、社会の末端にいるものとしては結局そういう世の中に迎合するしか生きていく道はないんだよね……。なんか、いろいろと自己嫌悪……。
※教材のため全文は載ってないですが、この詩の大まかな部分はここでわかります。 http://www.eonet.ne.jp/~mnzbo645/watasi%20iyaya.htm