11月19日(日)愛とは押しつけるものではない!断じてない! | 京都のフリーライターのたわごと

11月19日(日)愛とは押しつけるものではない!断じてない!



16日13時31分
ぼくは、氷雨の降る京都府北部の港町にいた
鉛色の海と空、演歌的なシチュエーションだ
スリーピー・ジョン・エスティスのしゃがれ声が聞こえてきそうな気分
このとき、東京では白昼堂々と、ファシズムへの1ページが、静かに静かに開かれようとしていた。
与党の多数で、教育基本法改定案が、強行可決されたのである。


とんでもないことである
問題はいくつもある
①内容が「愛国心」の押しつけや、政府による教育内容への介入など、ときの政府・国策に従順な人づくりをめざすもの――もっと有り体に言えば、「戦争をする国」や「格差社会」にものを言わない国民をつくっていく教育統制の第一歩である

②いま噴出しているいじめや自殺、不登校・中退など、教育をめぐる大問題――その根本には教育基本法の理念からかけ離れた現在の教育行政の問題がある――にもかかわらず、その問題にメスを入れることなく、さらに悪い方向に誘導しようとしている

③「教育の憲法」といわれる根本法であるにもかかわらず、わずか100時間(しかも夏休みをはさんでいるので実質的にはもっと少ない)、国民的議論は担保されず、「タウンミーティング」なる猿芝居は、「やらせ」であったことが明らかになるなど、議論や合意形成の過程がインチキで不十分である

などなど、大きな問題をふくんだものなのだ

ニドランはよい生徒ではなかった
少なくとも、学校というものを通じ、大人たちに反抗することを学び、「『おかしいことはおかしい』とはっきり言うこと」をバックボーンにして今にいたっておるのである

永遠のホールデン・コールフィールドをめざすニドランなのだが、学校なんていらんねん――という立場には立たへん
なによりも憲法前文が描いた、一人ひとりが大切にされ、わかりあえる平和な世界の理想、それを実現する人間をつくりあげるのが教育のはずやねん
「生きる力と学力」――人類が積み上げた知の成果をわがものとして、自分で考え判断する力、これこそが憲法の掲げる理想の社会をつくりあげる未来の主権者に求められる力であり、その目標の実現は教育によるものとされておるのにゃ
この教育の理想に接近するどころか、「受験学力」への偏重をすすめ、現場には管理統制を押しつけてきた教育行政こそが、替えられるべきなのにゃ
たかが官僚の作文にすぎない「学習指導要領」なるものが、「法的拘束力」をもつものとされ、いじめを減らす目標までもが押しつけられる。学校長はこのノルマを達成するために、実際のいじめや不登校の数を低く見積もって報告する。こんな事態が起こっておるのねん

なぁ~にが、「愛国心」であろーか
こんなことはだれでもわかっておることなのだが、わかっていないバカどもにニドランがやさしくゆーてやろー


愛とは押しつけるものではない!


「内心の自由」は憲法で保障されておる
だいたい、「愛」とは帰属する地域の自然や集団をよりよくする不断の努力の積み重ねのなかで、まさしく内発的に培われるものであって、「美しい日本を愛しましょう」なんてゆーのは、デキの悪い旅行会社の広告である

こんなことが進んでしまったら、ますますこの国が大嫌いになりそーなので、もっとも熱烈な愛国者であるニドランは、「醜くクソッタレな日本」にしよーとするくわだてと断固としてたたかうのねん
(^u^;)ハァハァゼェゼェ…

社会派ライターモードが炸裂した今宵のネタの最後に、美しい理想を掲げたマニフェストを紹介して終わるのであったぁああ・・・・・・★


教育基本法
(昭和二十二年三月三十一日法律第二十五号)
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。