簡易軌道の浜中町営軌道です
殖民軌道・簡易軌道としては、時代的に最期まで生き残り、昭和47年の廃止です。
最後の簡易軌道としてその名を残しています
よって、写真なども良く残っていて、検索すると当時の写真などが色々でてきます。
 
3支線に別れていて、
茶内線(通称は西円線):茶内 - 西円朱別 13.0km
円朱別線(通称は東円線):秩父内 - 上風蓮 13.4km
若松線:中茶内 - 別寒辺牛間 7.7km
です。
 
茶内駅の東側の牛乳工場に牛乳を運ぶ事が一番の仕事でした。
無蓋貨車にミルク缶を積み込んで行くのと、タンク車にいれるのと2種あったようです。
 
もちろん、現役の頃のことは私は知りませんが、遺構を訪ねて、機関車の保存されている、ふるさと公園に向かいます。
が、位置がわかりません。
茶内駅からすぐの公園に行ったところ、ありません!
ここはコミュニティセンターらしく、公園風で家族連れが遊んでましたが、ここではありません。
で、街を一周。わかりません?
で、少し行って交番のおまわりさんに聞きました
「ふるさと公園って探してるんですが、どこですか?」
すると、「すぐそこですよ、」と教えてくれました
正式には、「ふるさと広場」のようです。
茶内小学校の裏手です
座標軸を示しておきます
ここです。
 
ミルクを引っぱっていた機関車が保存されています。
ただ、保存状態はあまり良くはないです。
実は、茶内中学校とここに、自走客車が保存されていました
中学校のは解体され、ここのものも台車だけになっています。
この機関車も保存状態が良くないので、整備して欲しいですね・・・
しかし、なぜか簡易軌道では気動車やディゼルカーと言わずに自走客車といいます。七不思議です。


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実際の浜中軌道は、ここの場所ではなく、もっと東側を走行していましたので、機関車は公園のここに持ってこられたということになります。(茶内市街ではもはや痕跡はほとんどありません)
 
次に旧秩父内駅に行きます
ここは西円線と東円線の分岐駅だったところです。
で、無人の原野でどこかわかりません。
ようやく、見つけました!
もう、駅のまわりには何もありません。
まさに自然に還っていると、思いきや、他の方のサイトで写真をみると現役当時から駅の周りはあまり何もなかったんですね。
いわんや、駅が廃止されれば、もう自然に戻るだけです。
駅舎と看板があります
座標軸を示しておきます
ここです
807号を北上し、ルパンの看板を通過し、すぐ左手に看板があります。
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最後まで残った簡易軌道ですが、遺構はあまり残ってないようです。
車両も機関車1両ですし
 
もちろん、旅客営業も行っていて、、営業廃止が遅かった事もあり、きちんと廃止記念切符も発売されました。
浜中町には愛着が個人的にあるので、この切符がヤフオクで売りに出されたときに、結構高価でしたが、買いました。

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 茶内駅の中に資料の展示があります。
 
今の時代に自走客車が動態で残っていたら南部縦貫鉄道のレールバス以上に人気が出たと思うのですが、せめて、ふるさと広場の機関車は残して欲しいです。。
 
参考文献
youtubeの記録は圧巻です)
 
ja.wikipedia.org/wiki/浜中町営軌道
tsushima-keibendo.a.la9.jp/hamanaka/hamanaka.htm