現在につながる、かつお節製法の発祥の地
和歌山県印南(いなみ)町
*和歌山県日高郡印南町
なぜ、印南町で、かつお節製法が生まれることが、できたのでしょう
印南の周辺で、昔はかつおが、たくさん獲れたのでしょうか
実は、今も昔も、印南の周辺では、かつおはほとんど獲れないそうです
そこで、印南漁民は、江戸時代の初め、「潮御崎会合(しおのみさきえごう)」と呼ばれる、かつお漁を中心とした、今で言う広域漁業組合に入って、潮岬周辺で漁をしていたそうです
ところが、
印南漁民は、何人もの豪商の船主が生まれるほど、あまりに腕が良かったため、ほどなく紀州沖から閉め出されてしまいます
そのために、印南の豪商のひとつであった、角屋の甚太郎に代表される印南漁民は、紀州沖を飛び出し、東西の海に漁場を広げて行きます
結果、
印南漁民は、遠く離れた漁場で獲れた、傷み易いかつおを、いかに印南に持って帰るかという課題に悩まされることに、なったわけです
この環境こそが、印南から優れたかつお節職人が多く生まれた要因だったのかも知れません
かつお節の製法を考案し、広げていった印南漁民のお話は、次の機会に