★大韓帝国勅令41号の「石島」の正体は・・・ | ☆杉野洋明 極東亜細亜研究所

★大韓帝国勅令41号の「石島」の正体は・・・

こんにちは!杉野洋明です。

 

 

さて、前回、石島がどの島なのかを示唆する文献を、新たに発見することが出来た、ということをお伝えしました。

 

 

 

さて、この石島ですが、大きさ等を考慮すると、やはり一番の候補地は

 

「観音島」になると思われます。

 

 

ところで、この観音島について、竹島研究の韓国側の権威(?)である半月城氏は、ネット上で以下のような発言をされています。

 

 

 


http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html

 

 

石島と観音島
Yahoo!掲示板「竹島」1619
2003年5月02日

半月城です。

鬱陵島のすぐ東にある観音島ですが、(中略)この島について、韓国語サイトにこう書かれてありました。

Ggak sae seom または観音島
初期開拓民182名の命をつないだのが、ニンニク科の Myong i 草と動物性タンパク質を提供した Ggak saeであった。この Ggak saeが集団で棲息していたのが Ggak sae seomである。今は観音島と呼ばれている。
(中略)


 さて、観音島は昔も今も Ggak sae seomと呼ばれているうえに、上記のように野生植物の天国であってみれば、下條正男氏がこじつけるような、この島が石島と呼ばれた形跡はまったくありません。

 

 

 

 

なるほど・・・では、石島と呼ばれていたと類推出来るような資料があれば良いのですね。

 

 

 

 

というわけで、過去の韓国語の資料を探って見たところ・・・ありました。

 

 

 

1928年の9月、東亜日報が鬱陵島の特集を組み、12回(11回だったかな?)連続で鬱陵島紹介記事を連載していたのですが、この特集記事で「観音島」の語源について書かれていたのです。

 

 

 

可能性のレベルの資料ですが、以下の文献を見ると、当時やはり「石島」と呼ばれていたのではないかと思われます。

 




1928年9月8日東亜日報
1928年9月8日東亜日報

 

 

漢字交じりで「石柱優恵(?)観音島」という小見出しの後、赤線部分には

 

 

その中には石仏形状の岩が幾つかあるとのことで、この島を観音島という

という記述が見られます。

 

 

つまり「観音島」はかつて「石仏の島」だったわけですね。

 


ようするに観音島は、「石仏」という「石」を含む言葉が由来の島だったわけです。となれば、今まで「石」という言葉となんら関係が見られない、という従来の主張は間違いだったということになるわけです。

 

 

「石仏」が語源であれば、かつてこの島は「観音島」ではなく、むしろ「石仏島」に近い韓国語の固有語表現で呼ばれていた可能性が出てきます。

 


「石仏島」→「石島」となった・・・と推測するのは無理があるでしょうか?

恐らく、韓国側からは「何故、なんの前触れも無く、”仏”の文字が無くなって石仏島が石島になったのか、根拠を示せ!」と反論してくるかも知れません。

 

 

ここで、「大韓帝国勅令四十一号」の第一条をもう一度、読み直してみます。

 

 

 

第一条

鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は5等にすること



最初の条文から、何の前触れも無く、漢字の一字を削除して鬱陵島を鬱島にすることが記載されています。

 

 

 

となれば、その附属島嶼の石仏島(?)も漢字一字を削除して石島になったとしても、可笑しくはありませんな。

 

 

 

 

 

これ、全く根拠の無い話でもないわけです。

 

 

実際に1905年の「鬱陵島見取図」で”観音崎”と呼ばれていた島が、1909年の鬱陵島全図(韓国水産誌)では”鼠項(ソコウ)島”と記載されてるのですから。

 

まあ、勅令四十一号が1900年に発令された勅令なのに、なぜ1905年の記録が「観音崎」で、1909年の記録で「鼠項島」なのか、少し根拠が薄い気もしますが、それは「1905年ではまだ勅令の呼び方が浸透していなかったので、古くからの名前(石仏島が”訳されて”観音崎)で記載されたが、1909年には石島の名前が現地でも浸透し、その”Seok-Do”という発音を鼠項島と記録した」と、これまた大胆な仮説で反論することとします。

 

これはまだ仮説の域を出ていないわけですが、以前このブログで紹介し「山陰中央新報」で記事化して頂いた「皇城新聞」の、「東西が60里で、南北が40里なので、合わせて2百余里」の条件を満たし、且つ「石」という言葉に関連する島となれば、もはや観音島しかないというのが杉野の見解です。

 

以上、石島=観音島説を述べさせて頂きました。

竹島関係の記事はこれを以って一つの区切りとしたいと思います。
 

ところで・・・最近は学習指導要領で竹島をどう扱うかについて国内外で注目を集めているわけですが、政府が学習指導要領に記載する覚悟があるのなら、まずは竹島研究の体制をしっかりと築いて頂きたい。

小生が発表した皇城新聞の記事が山陰中央新報で記事化されてから、韓国側は国レベルで反論してきているわけです。

7月になって、また柳美林氏(韓国海洋水産開発院独島研究センター責任研究員)が反論記事を発表しています。

118.129.184.33/pub/docu/kr/AM/06/AM062008BAA/AM06-2008-BAA-006.PDF

 

あちらは大学院を卒業した博士号保持者でプロの研究員。こちらは学士号しかない地方のリーマンです。

只でさえ一人じゃ限界があるのに、僕が反論しても、

全く援護射撃がない・・・・

政府がこんな態度で、本当に領有権を主張する気があるのでしょうか・・??

 

島根県だけが孤軍奮戦しているような今の状況では、いずれ竹島は韓国の領土として世界に認められていくことになりますよ・・・本当に・・・

 

以上、33歳兵庫県在住の会社員のボヤキ。

(そういえば、文科大臣の渡海さん、ウチの県の議員さんじゃん・・・しっかりやって下さいよ渡海さん!)

 

 

 

以下、余談として・・・半月城通信で、半月城氏が観音島の別名のGgak sae Seomについて面白い報告をされています。

 

 

Ggak saeは方言で、標準語は Seom saeというそうです。Seom saeを意訳すると島鳥になりますが、日本語では俗称カツオドリ、正式にはアホウドリと同じ属のオオミズナギドリというそうです

(半月城通信)より引用


カツオドリの英語名はBrown Booby、そしてアホウドリの英語名はShort-tailed Albatrossというらしいのですが、ブービーとアルバトロスではゴルフじゃエライ差ですねw