1985年8月25日大阪フェスティバルホール。
当時激流行だったLAメタルの中でもバランスがピカイチだったラット。
つまり、
ルックス
ギターテク
売れ線
が、モトリー・クルーだと毒々し過ぎ、ドッケンだとマニアック過ぎ。
ヴァン・ヘイレンはやオジー・オズボーンはやや世代上。
聖飢魔Ⅱやトゥイステッド・シスターは下手っぴ過ぎ、といった感じで、ラットはバランス的に最も優れていたのです
とは云いつつ、ラットはデビュー作がそのピークで、急速にその輝きを失っていくのですけれど・・・
メタル系ギタリストはそのライヴでピッキング・ハーモニクスを多用しすぎるきらいがあり、御多分に洩れずピキピキいいまくりで当時の自分の耳にすら全く響きませんでした。聴きに行ってそのジャンルから永らく離れるという・・・
雑誌『BURRN!』で当時の編集長・酒井康が、「HR/HMを聴き始める人は多いが、生涯聴き続ける人は少ない」みたいな事を言っていて、(なに〜一生聴いてやるぜ)なんて息巻いてましたが、舌の根も乾かぬうちにあっさりと撤退してました
半年くらいしか聴いていないと思う。ライヴが引き金になるとわ
それでもアクセプト、アイアン・メイデン、ディープ・パープルとかカッコ良かったなぁ・・・
クワイエット・ライオットやナイト・レンジャーやボン・ジョビは大ヒットしていたし。
それ以降はそれこそ、
まで。
しかしながら、奴ら(エディは当然ミック・マーズも)もピキピキいってたのでした