僕にとって、体の性を、心の性に適合させるための治療というのは
するか、しないか、すべきか、せざるべきかは、大きな悩みの種でした。
ここで、なぜ悩むのか、という理由として、
そもそも、治療することで解決するのか?
という自問があるわけです。 これは、治療しても完全には
望む性にはなれない、という事実に端を発します。
その答えを探すうち、
今、自分が持っていないものを求めて、それを手にしても
自分が持っていないものをさらに思い知らされるだけなのでは?
という恐怖が浮かんできます。
いくら見た目が男に近づいても、周囲は僕が女だったことを知っている。
何かにつけ、(どれだけ男っぽくなっても)やっぱり女じゃん、と
言われることに、思われることに、耐えれるだろうか。
そんな時、自分の中に生まれる感情はどんなだろうか。
治療をしたことについての後悔だろうか?
理解されないことへの悲しみだろうか?
こんな人生を歩んでいる自分へのやるせなさだろうか?
そもそも、男として生きるって?
そんなことをぐるぐる考えてたわけです。
そして、元々深く考えるのが苦手な僕は、うだうだした挙句に結局
治療をやらずにこのままよりはマシ、という考えで始めたいと思いました。
今、僕は治療をすることに対して、希望を持っています。
治療をすれば、今、感じている苦しみから解放されるはずだ
という希望ですね。
同時にやはり恐怖もあります。
男にも、女にもなれない恐怖です。それぞれのグループに入れない
マイノリティーの恐怖です。
それでもやっぱり、僕は、男になろうと、足掻き続けるでしょう。
そうすることが、多分僕という人間を決めてるから。
僕自身の、根っこの部分は、何の疑いも無く男なのだけど
それを覆ってきた今までの人生全部ひっくるめて
僕という人間になっていくしかないのです。
結論になってませんけど、結局のところは、
やりたいことやったら、その結果に気が済もうが済むまいが、
やるべきことを一生懸命やって、生きていくしかない
ということです。
その時その時で、新たな悩みが生まれるでしょうが、そうした
「新たに悩みが生まれること」 を先に覚悟しておこうってことです。
なんというか、治療によって全て解決する、という思い込みは
自分を追い詰めてしまうことになりそうなので、
刻々変化する自分の感情を受け入れていこう、という覚悟ですね。
もしかしたら、自分が理想とするところの状態になれるかもしれない。
全然望む変化を得られないかもしれない。
どちらにせよ、今の自分の気持ちとは全く違った感情を抱くでしょう。
どちらにせよ、さらに願望が出てくるでしょう。
だとしたら、それはきっと、今ここでした決断のせいじゃない。
ならば、今、決断することを恐がらなくてもいい。
ただ、なりたい自分になるために、死ぬまで足掻き続ける覚悟する
そんな感じです。
足掻き続ける自分のことを、僕はきっと好きになれると思う。
ちなみに、上記の事の他にも、
2.健康上の問題・リスク
3.社会的な倫理感からの逸脱
という問題もあります。
2、は不明な点がまだまだ多いです。
僕も調べてますけど、結論は出ないです。
そして、3。
健康な体をいじって、わざわざ不健康になる、
という見方もできます。子供産めなくなりますからね。
かといって、生殖行動ができるようになるわけでもないし。
望んでも子を持てない人もいるのに、
けしからんという人もいるでしょう。
親から授かった健康な体をいじる、ということに抵抗が多少なりとも
ありましたね。
これらについては、僕は自分の精神の安定を優先しました。
治療をすすめることで、肉体的には不健康になっても
精神的には健康に向かっていける、だろう、という考えです。
わからないですよ。先のことですから。