去年の秋から始めた季節限定のパート、みんなやる気がある人ばかりで、忙しいけど楽しく働いてる。



アメリカ生まれじゃないアメリカ人は半数近く、みんな英語を話すけれど文化的な違いもあり、話し方や使う単語のニュアンスがみなそれぞれ。



そんな中、ランチの雑談中にフィリピン人の同僚がイラン人の同僚の言い方にプチンときて怒り出した。
イラン人の同僚は顔色も変えず反論してるけど、フィリピン人の同僚はものすごく怒って怒鳴り出した。普段は温厚でジョークも面白い彼女らしくない言動にランチルームは一瞬静まり返ったけど、彼女の隣にいた違う同僚が肩を抱いて部屋から連れ出した。



イラン人の同僚は憮然として「あんな風にどなる権利は彼女にない。」と言っている。




よくよく話を聞くと、イラン人の同僚が親切な気持ちで言った言葉の選び方にフィリピン人の同僚がカチンときた様子だった。


「彼女に警告しただけなのに。」
とイラン人の同僚は言った。





「親切心から言ってるのはわかるけど、同僚に対して『警告』は強過ぎる言葉だよ。「注意」とか「アドバイス」ならわかるけど。」




こういうの、時々ある。
英語がわかると思ってるからこその間違い。
自分じゃ悪気がなくても、言葉が強すぎてネガティブな印象を与えてしまうこと。



前に義理の母がアメリカに来た時に、ハイエンドのアクセサリー店でいろいろなジュエリーを見せてもらっていた時に、「I don’t like」と繰り返して言ったらお店の人がムッとしていた。
義理の母はもちろん悪気はない。
日本語だったら絶対に「好きじゃない」とは言わないのをわたしは知っている。
でもボキャブラリーがあまりなく、知ってる単語を使ったら誤解を招く事もある。




そんな事があった翌日、朝のミーティングが始まる前にフィリピン人の同僚とイラン人の同僚にうちから持ってきたプリッツを1箱ずつ手渡した。




なんでプリッツか?
わたしが好きだからなのと、たまたま家にふたつあったから。口笛




食べ物をあげるのって原始的な好意の示し方だなと思ってるから。



フィリピン人の同僚はお菓子が大好きだけど、イラン人の同僚はそうでもないのを知ってる。
でも日本のアニメ好きな息子が喜ぶかも…。



「まあこれでも食べて。」みたいな気持ち。




「わたしが小さい時から好きな日本のプレッツェルだよ。」と言ってふたりが近くにいたところで渡したら、フィリピン人の同僚は喜んでくれた。
イラン人の同僚は「何これ?」みたいな表情。



でも揉め事を見てモヤモヤしたわたしの気持ちはちょっと軽くなった。




ミーティングのすぐ後にイラン人の同僚がフィリピン人の同僚を呼んでコピー・ルームで何が話しているのを見て、2人ともおとなだから落としどころを見つけたんだろうなと少しホッとした。




そうしたらですね。




翌日にイラン人の同僚がこのクッキーをくれたの。ラブ



ひよこ豆のこのひと口サイズのクッキー、きな粉みたいな風味でほろほろしてて甘過ぎず、とっても美味しい。




初めて話した時に彼女がイラン人だとわかって「わたしイランのひよこ豆のクッキーが大好きなんだよねー、息子の小学校時代のクラスメイトがイラン人でもらって以来よく食べてるよ!」
という会話をしたから。




プリッツをあげてクッキーをもらう、わらしべ長者みたいな気分。



彼女に悪気がなかったのも伝わったみたいで良かったです。




わたし達は仕事で集まってるから友だちになる必要はない。
でもおとなだから違いを受け入れつつ歩み寄って仕事する。



そんな事が浸透した気がする出来事だった。











❄︎