そうしたら残されたドナルド・フェイゲンはひとりでもスティーリー・ダンの名前でバンドを続けていくと発表したから驚いた。
ベッカーとフェイゲンはどちらかが死んだ段階でもうバンドはなくなるとふたりで話していたということだったのに、やっぱり続けるとかどういうこと?
と思ったのはわたしだけではなく、ベッカーの未亡人も疑問に思ったのは当然だと思う。
そんな約束を反故にし、ベッカー夫人を訴えてまでバンドの名前を残したかった訳はこの2014年に出た自伝の後半のツアー日記を読むとよくわかる。
ライブの時にツアーグッズの売り場で買ったサイン入りのこの本を、わたしは何年も本棚に置いたまま開きもしなかったんだけど、ふとまた思い出して読んでみた。
日本でも訳が出版されている。
タイトルは「ヒップの極意」でなんだかちょっと恥ずかしい語感。
フェイゲンはヒップの極意を語っているんじゃなく、自分に間接的、直接的に関わってきたヒップスター(カッコいい人たち)の話を素直に感じたまま、時には皮肉な口調で書いてるんだけどなあ。
表紙はたぶん大学時代のフェイゲンが外の椅子に座り手で顔を覆っているアメリカ版とは違い、フェイゲンの2006年のソロ・アルバム「モーフ・ザ・キャット」のジャケットと同じ写真を使っている。
まあこの方が誰だかわかりやすいと言えばわかりやすいけど。
前半は自分の音楽の原体験の話。
12歳の時からニュージャージーの自宅からマンハッタンのジャズクラブに通っていたフェイゲンは大学でベッカーと出会う。
そこからバンドを結成し、デビュー・アルバムから大成功を収め、出すアルバムはみなヒットした。
その後ドラッグやアルコールの問題でベッカーはニューヨークを離れ、バンドも休止状態になった。
フェイゲンの自伝ではバンド結成直前までが前半に書かれ、後半はツアー日記になっていてそれがおもしろい。
スティーリー・ダンが休眠状態になり作ったソロ・デビューの「ナイトフライ」がヒットし(大好きなアルバムのひとつ)、マイケル・マクドナルドとボズ・スキャッグスとザ・デュークスというトリオを結成しツアーを行った。
チャーターバスで町から町へ回るツアーは会場も今までより小さく、ホテルも一流ホテルではなく、自分以外のバンドメイトはバス泊でホテルにも泊まらない。
スティーリー・ダン時代のツアーはプライベート・ジェットをチャーターし、フォーシーズンズを始めとする一流ホテルに泊まり、ゆとりを持ったツアー・スケジュールだった。
でもデュークスだといきなり何もかもがレベル落ちして、フェイゲンはマネージャーにそれを愚痴る。
マネージャーの返事は「いい思いをしたいならスティーリー・ダンでツアーすることだね。デュークスは知名度もヒットもないから。」だった。
フェイゲンはもちろん、マイケル・マクドナルドもボズ・スキャッグスも個々のヒットがあり、ツアーではそれらやカバー曲も演ってはいたけれど、スティーリー・ダンの知名度には敵わなかった。
ポール・マッカートニーですらビートルズ解散直後はライブの動員に苦労したから、ヒットしたバンドを抜けるとなかなか以前のようにはいかないものなんだろうな。
ショウビズはシビアだ。
これを読むと、ベッカー亡き後もバンド名に固執していた訳がわかる。
印税だけでは食べていけないミュージシャンが多い中、ツアーやツアーグッズの売り上げに支えられているケースが殆どだから。
亡くなったベッカーと違いフェイゲンはファン・サービスも笑顔もなく、皮肉屋で自分の気持ちを隠さずそのまま出す、本人も認める子どもっぽさのある性格、それをそのまま書いているのがおもしろい。
どこかでロゴ入りの大してオシャレでもない野球帽を見て、「自分たちもツアーグッズでこんなようなのを売ってる。野球帽、マウスパッド、そんなゴミみたいなものを。」と書いていて、あまりにも彼らしくて笑った。
フェイゲンとは世代も違うから、前半のラジオ番組から得た影響やジャズ・ミュージシャンなんかはビッグ・ネームしかわからずあんまりピンと来なかったけど、後半の愚痴や不満を中心としたツアー日記は面白かった。
これだけで1冊書いて欲しいぐらいだ。
ニューヨークの自宅で夫婦喧嘩になり、妻を殴って逮捕されたり、まあなんだかなあと思うこともあるけれど、音楽的な才能は間違いない。
この本が出たあとに奥さんを殴った容疑で逮捕されたけれど、これはその奥さんのリビーに捧げている。
いろいろあるだろうけど、彼には平和に長生きしてもらいたいものです。
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