3.10 ニコが悪性リンパ腫消化器型に侵されていると診断されてから約50日、

昨日AM10.00 ニコが空へと還っていきました。

(享年8歳2カ月)



深呼吸

何も治療をしなければあと1週間の命と言われ、3.11から抗がん剤治療を始めた。

最初はとても怖い病気になってしまったという現実に動揺して悲しくて、ただただ泣いていたけど、

にこが嘔吐せずご飯を食べれるようになり、屋上に行きたがる程元気を取り戻し、穏やかな日が続いていた。


一時は8キロ台に落ちてしまった体重も、2週間で10キロ台にまで回復した。

ニコに食事をあげることが大好きなお父さんは本当にうれしそうだった。


それでも抗がん剤(5回目投与)が効かなくなった後からの衰弱はあっと言う間だった。

多少の無理をしてでもまだ試したことのない抗がん剤投与を続けるか、

緩和治療に切り替えるかのタイミングでは家族で衝突しながら何度も話し合った。


普段は見守り役のお母さんの強い意思に家族が従う形で、4月中旬に緩和治療に切り替えた。

ニコが病院嫌いになっているのが分かってきたのも大きい。

できるだけおうちで家族と過ごす時間を優先させよう・・・と。

Quality of lifeという言葉を知ったのもこのとき。



痛みに波があってて、ニコの場合、夜がいつも辛そうだった。

4.18の夜は今まで見たことないほどに呼吸が激しくなり、眼も口も開いたまま苦しそうだった。

4.19の深夜は本当に見ていられない程だった。


真夜中、そんなニコを隣にしていると、天国にいる大好きだったおばあちゃんを思い、早くお迎えに来て

あげてほしいと祈ったりもした。

あんなに食いしん坊だったニコが食事を受け付けなくなっていき、水しか飲めなくなり、日に日に

痩せこけていく姿をみると、なんて残酷な時間なんだろう、もうそんな時間は止めて欲しいと思ったりもした。

それでもやっぱりニコがいなくなった今、喪失感はとても大きくて。


お風呂から出たら廊下で寝転びながら待っていた姿

化粧台の足元奧に窮屈に収まり、朝支度をする私を上目遣いで見ていた姿

リビングのソファーの端に顎を置いて気持ち良さそうにウトウトしていた姿

私がベットに向かうと私を追い越して真っ先にジャンプし一番いい場所を陣取っていた姿・・・

家中どこをみても、ニコの姿が重なってしまう。


ニコがとても強い子だったということは病気になってから知った。

お漏らししていいのにって何度も言ったのに、亡くなる前日までフラフラになりながら自力でおしっこを続けた。

4.22からモルヒネパッチをしてからはほとんど寝たきりになった。

それでも仕事から帰宅するとトボトボと歩き、出迎えてくれた。

翌日には起き上がれなくなって、それでも首だけ持ち上げて目を見てくれた。

首すら持ち上げられなってからは顔を覗き込むと、トローンとした優しい目で‘お帰り’をしてくれた。


痛みで呼吸が荒くなっても、背中に痙攣が走っても、食事が喉を通らなくなっても、体を起こせなくなっても

水しか受け付けられなくなっても、お別れを意識した日から1週間も頑張った。



今日家族で深大寺にてお葬式をしてきた。

がりがりに骨が浮き出てしまったおしり、ふかふかの真っ白な胸の毛、爪が伸びたちょっと太めの前脚。

あっという間に骨になってしまった。


本当にニコはいなくなったんだ。


でもニコは痛みから解放されたんだ。

同じ病気を経験したおばあちゃんときっと空の向こうで仲良く暮らしていけるはず。


ニコ、

ニコは本当に穏やかな、やさしい子だったね。

家族の様子をいつも見ていて、私が落ち込んで帰ったらそばにずっと居てくれたし

食べ物の袋を開ける音が少しでもすると、必ず駆け寄ってきたよね。

ニコと過ごした時間を思うとどうしようもない悲しみで涙が止まらない。


早くまたニコに会いたい。

ニコにおやつをあげたい。

ニコとまた一緒に寝たい。


ニコに出逢い、過ごした8年間はきっとこの先絶対忘れないと思う。

本当にどうもありがとう。

また必ず会おうね。




深呼吸



深呼吸

深呼吸

深呼吸

深呼吸

深呼吸

深呼吸

この前、やっとのことで古代ギリシャ展に行ってきた。

こういう美術館とか芸術に触れるの、ひさしぶり。


退屈するかなーと心配したりもしたけど、

卒業旅行でギリシャに行った経験もあり、

オープニングの映像の中で実際訪れた場所が映し出され、

なんだか一気に引き込まれた。


印象に残っているのは

展示されていた彫刻や坪のその人物に表情は無くて、

体のラインに違いはあるけど、どれも涼しい表情のものばかり。


それが気になったあたりから不思議だなーと思っていたら、

解説文の中に今から2500年とか3000年前の西洋では

「個性<不変性が美徳とされていた」とあった。


あとは紀元前の世界においても、

五体満足でない人が、その体を商売道具にして

芸者として生計をたてていたということ。

ギリシャに行ったとき、そういう光景とかジプシーの多さに

すごく戸惑っていたことを思い出した。


あの頃はギリシャに来た!ってことに満足して

建築物の芸術性とか価値を(今でも十分には分かっていないだろうけど)

今以上に浅い感覚で味わっていた気がする~。


残暑が厳しい9月半ば。

芸術の秋に相応しい1日だったな。



深呼吸





深呼吸