モンゴル4日目
午前中、国会議事堂前の広場
を見学し、ウランバートルの町を一望できる小高い山に登り
町並みを眺める。





この山は記念碑になっており、ロシアの兵士が旗を持っている大きな石碑があった。
また、モニュメントにはモンゴルの歴史が描かれ、世界第二次大戦の名残か、その中には日本の旗を踏みつけている絵もあった。
町の外れには大きな川があり、上流から取った水が市民の飲み水として利用されている。
また、その上流には幻の魚イトウ(開高健がその昔釣り上げた)が生息しているらしい。
開高健のモンゴル大紀行
裏山には学校が
建設され、リゾートマンションとも思われる建物もあった。
その後、モンゴルに輸入組合設立の陳情をする為、商工会議所の会等に会った。
しかし、会等は約30分間、一方的に延々とモンゴルの現状を話してくれて、モンゴルの今後の計画とその計画に沿った援助・協力をして欲しいと話された。そして、面会は終わった。
結局、こちらの陳情を聞いてもらえる時間はなくなってしまい、交渉失敗に終わった。
その後、昼食を取ってホテルに戻り、皆は前日に続きモンゴルの輸入業者と商談会を行った。
私は商談会には参加せず、一人タクシーで、国防省に向かった。
最初の目的は、集金だった。以前、インターネットに掲載していた車を購入するから、その条件としてタイヤを買ってプレゼントして欲しいといわれた。私は、先方の言われるまま、一生懸命タイヤを探してあげた。それだけではない。おまえをどうやって信用するんだ?とか、銀行証明書を出せとか、やたら面倒なことを言ってきた。もちろん、一生懸命先方の不安を取り除くために色々な資料を取り揃えてやり取りをした。
ところが、いつまで経ってもお金を振り込んでこない。結局、年式的に税金が高くなるから買えない。と一方的に言ってきて、それまでに費やしたタイヤ代などを支払う素振りは全く見せなかったので、少々頭に来ていた。
一言文句を言いたいのと、その費用の責任取って欲しいと思うのは当然のことだろう。もちろん、間に入ったツムル(国防省の少佐)氏も、通訳するから直接会って話してくれと言った。
そこで、国防省に向かい、ある個室に通された。お客さんは、国防省の大佐だったのだ。
軍服にバッチを沢山付けた紳士が個室の大きな机に座っていた。
まず始めに名刺交換をした。
ところが、驚いたのは、今までに経験したことの無い名刺交換方法だった。
大佐は、年齢60歳前後ぐらい。もちろん私より年上だ。品のいい親父さんだった。
その大佐が、私に名刺をくれる際、名刺を持った右手の肘辺りを、左手で支えて、名刺をとても大切に扱い、私に敬意を表す感じで手渡してくれた。日本の名刺交換方法と違うスタイルに最初は戸惑ってしまった。
名刺交換が終わると、そこの椅子に座れとジェスチャーされた。
椅子に座って、わざわざモンゴルまで来たこと、車を買えない理由、その他色々なことを話あった。
そのうちに、私は3万前後のタイヤ代の集金よりも、この大佐に喜んでもらえることが出来ないだろうか?と思った。そのほうが、タイヤ代を集金して帰る自分より、大佐に喜んでもらえた自分の方が自分の心に満足感が残るのではないだろうかと思ったのだ。
そこで、大佐がタイヤ代はいくら払えばいいのか聞いてきたので、「タイヤ代はいりません。それよりも、大佐の車の面倒を見させて欲しい。そのほうが、私にとっては光栄です。」と話した。
そしたら、大佐は自分の欲しい車を色々と説明してくれた。
私は、メモを取り、大佐の車を見つける約束をした。
大佐は、机の中からなにやら取り出し、私にくれようとした。
「これは、私が胸につけているバッチと同じ、国防省のメダルです。これをあなたにプレゼントします。またモンゴルに来てください。今度モンゴルに来るときには空港まで迎えを出すので、連絡ください。私の家にも遊びに来てください。私は8人兄弟の長男です。私はあなたの為に協力します。何か望むことが有ったら何でも言ってください。帰りは私の運転手にホテルまで送らせます。」
と、そこまで言ってくれた。
その後、一緒に写真を取りたいと言ったら、建物入り口のチンギス・カーンの像の前で撮ろうと言ってくれて、記念撮影をしてきた。
また、それだけでは終わらず、別の大佐も紹介してもらい、その大佐からも車を探して欲しいと言われた。結局4台の見込み注文をもらうことになった。
私は、オートベルジャパンブランドを日本一にするため、恥ずかしくない仕事をするつもりだ。
午前中、国会議事堂前の広場

を見学し、ウランバートルの町を一望できる小高い山に登り

町並みを眺める。





この山は記念碑になっており、ロシアの兵士が旗を持っている大きな石碑があった。

また、モニュメントにはモンゴルの歴史が描かれ、世界第二次大戦の名残か、その中には日本の旗を踏みつけている絵もあった。

町の外れには大きな川があり、上流から取った水が市民の飲み水として利用されている。

また、その上流には幻の魚イトウ(開高健がその昔釣り上げた)が生息しているらしい。
開高健のモンゴル大紀行裏山には学校が

建設され、リゾートマンションとも思われる建物もあった。

その後、モンゴルに輸入組合設立の陳情をする為、商工会議所の会等に会った。

しかし、会等は約30分間、一方的に延々とモンゴルの現状を話してくれて、モンゴルの今後の計画とその計画に沿った援助・協力をして欲しいと話された。そして、面会は終わった。
結局、こちらの陳情を聞いてもらえる時間はなくなってしまい、交渉失敗に終わった。

その後、昼食を取ってホテルに戻り、皆は前日に続きモンゴルの輸入業者と商談会を行った。
私は商談会には参加せず、一人タクシーで、国防省に向かった。

最初の目的は、集金だった。以前、インターネットに掲載していた車を購入するから、その条件としてタイヤを買ってプレゼントして欲しいといわれた。私は、先方の言われるまま、一生懸命タイヤを探してあげた。それだけではない。おまえをどうやって信用するんだ?とか、銀行証明書を出せとか、やたら面倒なことを言ってきた。もちろん、一生懸命先方の不安を取り除くために色々な資料を取り揃えてやり取りをした。
ところが、いつまで経ってもお金を振り込んでこない。結局、年式的に税金が高くなるから買えない。と一方的に言ってきて、それまでに費やしたタイヤ代などを支払う素振りは全く見せなかったので、少々頭に来ていた。
一言文句を言いたいのと、その費用の責任取って欲しいと思うのは当然のことだろう。もちろん、間に入ったツムル(国防省の少佐)氏も、通訳するから直接会って話してくれと言った。
そこで、国防省に向かい、ある個室に通された。お客さんは、国防省の大佐だったのだ。
軍服にバッチを沢山付けた紳士が個室の大きな机に座っていた。
まず始めに名刺交換をした。
ところが、驚いたのは、今までに経験したことの無い名刺交換方法だった。
大佐は、年齢60歳前後ぐらい。もちろん私より年上だ。品のいい親父さんだった。
その大佐が、私に名刺をくれる際、名刺を持った右手の肘辺りを、左手で支えて、名刺をとても大切に扱い、私に敬意を表す感じで手渡してくれた。日本の名刺交換方法と違うスタイルに最初は戸惑ってしまった。
名刺交換が終わると、そこの椅子に座れとジェスチャーされた。
椅子に座って、わざわざモンゴルまで来たこと、車を買えない理由、その他色々なことを話あった。
そのうちに、私は3万前後のタイヤ代の集金よりも、この大佐に喜んでもらえることが出来ないだろうか?と思った。そのほうが、タイヤ代を集金して帰る自分より、大佐に喜んでもらえた自分の方が自分の心に満足感が残るのではないだろうかと思ったのだ。
そこで、大佐がタイヤ代はいくら払えばいいのか聞いてきたので、「タイヤ代はいりません。それよりも、大佐の車の面倒を見させて欲しい。そのほうが、私にとっては光栄です。」と話した。
そしたら、大佐は自分の欲しい車を色々と説明してくれた。
私は、メモを取り、大佐の車を見つける約束をした。
大佐は、机の中からなにやら取り出し、私にくれようとした。
「これは、私が胸につけているバッチと同じ、国防省のメダルです。これをあなたにプレゼントします。またモンゴルに来てください。今度モンゴルに来るときには空港まで迎えを出すので、連絡ください。私の家にも遊びに来てください。私は8人兄弟の長男です。私はあなたの為に協力します。何か望むことが有ったら何でも言ってください。帰りは私の運転手にホテルまで送らせます。」
と、そこまで言ってくれた。
その後、一緒に写真を取りたいと言ったら、建物入り口のチンギス・カーンの像の前で撮ろうと言ってくれて、記念撮影をしてきた。

また、それだけでは終わらず、別の大佐も紹介してもらい、その大佐からも車を探して欲しいと言われた。結局4台の見込み注文をもらうことになった。
私は、オートベルジャパンブランドを日本一にするため、恥ずかしくない仕事をするつもりだ。