1995年1月17日。午前5時46分。

あの日から25年が経ちました。

四半世紀経っても、寸分も薄くならない記憶。

未だに地震が来ると、小さな揺れでもしばらくは呼吸が乱れ…。

今まで毎年行きたかった、その時刻の『震災のつどい』に、今年は初めて参加しました。

始発電車に乗って会場に向かうも、電車は始発なのにプチラッシュ状況。

乗客すべてが会場に行くわけではないとわかっていても、ほとんどの方々が行くのであろうことは察せられ、

神戸では終わっていない震災を実感しました。

新年明けてから、駅には冒頭のポスターが貼ってありました。

毎年、新聞も街も、この日に向けて心が整えられていく。

未だ、神戸はそんな街なのです。




あの日、スマホはおろか、携帯電話も然程普及しておらず、デジカメすらまだだった。

けれども25年が経った今、スマホ・携帯電話はほとんどの人が持っていて、

立ち止まっては写真を撮るのが当たり前になりました。
(かくいう私もその一人ですが…)

そんな中、朝早い時間なのに、小さな子供連れの方、制服姿の学生たち、

スーツを着こなした若いサラリーマンの方を多く見かけました。

彼らは生まれていたとしても記憶にないだろうし、小さな子供たちや学生たちは尚更知らない事実。

それでも神戸に生まれ、その体験の記憶を受け継ごうとしてくれていることに心が熱くなりました。



25年を迎えたその時刻。

黙祷の中で、その日の揺れの記憶が甦り、胸が痛くて苦しくて辛くて…

このような思いをする人が、さらに増えることがないようにと願うばかりでした。


会場の片隅には、このようなものがあり


東日本大震災での津波の高さを知るものでした。

まだ明るくなっていなかったので、うまく撮れませんでしたが、

上にある看板が海抜10mの位置です。



2階以上の高さもある津波。

どれ程恐ろしかったことでしょう。


阪神淡路大震災から次々と起こる震災や災害。

昨今は毎年のようにどこかが被災地となり、被災者となる方々が出ています。

本当に今年こそは災害のない年であってほしい。

それを切に祈らずにはおられません。

どうぞ皆さんも、この日を忘れないでください。


すべての災害で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り致します。