わたしが大学3年の時、母はアルコールによる病気で数ヶ月入院した。

 身体が少し落ち着いてからは薬の影響もあり幻覚や幻聴や人格障害に苦しみ、


理不尽なことで看護師にキレ(タバコを吸わせろなど)
叫び(今すぐ退院するから娘を呼べなど)
虚言(夫=わたしの父 が明け方に入院している部屋に来てコップの水を頭からぶちまけてきたなど。不可能。)
暴れ回り(頭を打って精神科ではないのに家族の了承のもと拘束された)


精神科の医師とも何度も面談を重ねたが、継続した入院や精神科への強制入院は叶わなかった。
半ば追い出されるような形で退院しなくてはならなかった日、わたしは1人で手続きをした。

父は仕事と言っていたが、ただ来たくなかったのだと思う。当時まだ浮気相手と続いていたのかもしれない。
大学1年生だった妹は行くと言ったがわたしが止めた。


あれから社会人を経験してみてより一層思う、医師や看護師だって神様ではないのだから、誠意があんなにも伝わらない患者は早く退院してほしかったに違いない。本当に本当に申し訳なかった。
周囲の明らかな冷たい視線を浴びながら、一刻も早くこの人を連れてどこかに逃げなくてはと焦り、わたしは退院手続きをする横ですました顔をしている母を心から疎ましく思った。


退院したてでまだ体力も戻らずヨロヨロとやっとの思いで歩く母に、元々痩せ型だけど更に小さくなった母に、大嫌いだけど確かに20年前にわたしを生んだ母に、わたしは歩幅をあえて合わせずに、5メートルは前を歩いていた。

面倒だな、この人をどうしよう、と考えながら。

もっと早く歩いてほしい、幼稚園に行く時わたしの歩く速さに合わせてくれたことは1度もなかったからわたしも合わせなくていいんだ、と自分に言い聞かせながら。

 


その時に母が

オムライスが食べたい。入院中ずっと食べたかったんだ。

と言った。


わたしは、一瞬、ちょっと胸が詰まるような、息がしずらくなるような、色や形で表すと黒い霧のような、そんな苦しさを感じて、すぐにその感覚に蓋をした。

聞こえないふりをしてタクシーをとめ、家からも病院からも少し離れたハイクラスなホテルに向かい、1か月の宿泊手続きをした。


妹の待つ家に、帰せなかったから。


父はどうでもいい。妻のことは夫が責任を取ればいいのだ。でも、妹だけは、わたしが絶対に守らなければならない妹だけは、母と触れさせてはいけない。


チェックインして、ホテルのロビーで別れた。わたしは部屋までも行かなかった。入院中の荷物が全て入った大きなキャリーケースもそのままに。別れの言葉も無く。じゃあ、と言って背を向けたら、後ろで母が何か言っていたが、それは本当に聞きとれなかった。


振り返らず歩いたわたしは、ホテルのドアあたりから号泣していた。
電車に乗れる気がしなくて、すぐタクシーに乗って、激しく声を上げて泣いていたけど、運転手さんは最後まで何も言わなかったのを覚えている。
家に着いて、台所で父と妹に
「無事にホテルに送ったよー♪」
と明るいメールをした。



母はあの後、ひとりで部屋までキャリーケースを運んだと思う。わがままだから、ホテルマンに頼んだかもしれない。頼んでいるといいな、と思った。

オムライスは食べられただろうか。ホテル内のレストランにきっとオムライスくらいはあるだろう、あるといいな、と思った。

このままホテルで死んじゃえばいいのに、と思った。そうすれば20年間の母との想い出が、わたしが全て悪くて、わたしが母に謝れば済むような気がした。



母が死んだ時、ひとつだけ思い出すとしたら、わたしが泣くとしたら、あの時オムライスを食べさせてあげられなかったことだけだ。

母はもう忘れていると思う、というか病気の種類や薬の副作用などもありあの頃の記憶はほとんどない様子だ。
それでいいんだけど。父も妹も、この日のことをただ病院からホテルに移動した日と記憶していていいんだけど。



それでもわたしは、オムライスを食べられない。