大学生のある日、アルバイト先で怪訝な表情の店長から

 「お母さんから電話だよ?大丈夫?」

 と囁かれた。

 

 (ああ、また来たか。また辞めなきゃ。なんて言おうかな。このことが理由だと思われないようにしなきゃ。ちょっと日がたってから、引っ越しとか、病気とか、適当にメールすればいいか。とりあえずゆっくり帰ろう。この駅にはもう来ないだろうから、駅ビルであのリップだけ買って帰ろう。)

 

 余裕の表情を作り電話口に向かいながら、わたしの脳内は多くのことを順に整理していた。

 

 電話に出ると母は金切り声で

「助けて!またお父様が浮気したの!そのことを言ったら、怒って暴れている!どうしよう!わたしにはどうしようもできない!わたしは悪くないのに!助けて!助けて!」

 

「それは大変だね。今すぐ帰るね。」

 

「何なの?その言い方!本当は心配していないんでしょ!?わたしの味方じゃないの!?わたしの子どもなのに、わたしの味方じゃないの!?」

 

「うん、帰ったら話聞くから。」

 

 

ちょっと母が具合悪いようなので、今日は帰らせてください。と伝え、わたしはそのままそのバイト先に行くことはなかった。

仕事ができてすぐにリーダーに任命されたわたしなのに、母親がこんなだと知られたら大変だ。

これ以上なにかがバレる前に、みんなの記憶の中で、1番いいわたしを残さないといけないのだ。

そうやってわたしは多くの小さな社会で、わたしのよい足跡だけを残して生きていくんだ。

ばれないように。自然に。だってあれはただのわたしのお荷物で、本当のわたしじゃないんだから。

 

 

ポケットにリップを転がしながら、家の前では悲しげな表情と走った息遣いを忘れずに纏って、わたしは帰路に着いた。