人生って、わたし専用の1本の太い道だと思って進んでいる。




"わたしの人生"という名前のわたしだけの太い道があって、そこを歩いている。


時にはゆっくりだったり、早足だったり、止まって休んだりしているが、進むスピードはわたしが心地よいように わたしだけの意志で決めている。




その道には、横にあるいくつもの小道から 多くの人が合流してくる。

友だちとか、先生とか、同僚とか、上司とか、家族とか。

娘たちですら、横道からなんかいきなり来た 言い方w



来た後にしばらく並走する人もいれば、

挨拶だけしてすぐ去る人もいれば、

知らんうちにどっか消える人もいる。


家族はずっと並走している。




わたしのために、わたしの道のために、


道端に添えるかわいい花を持ってきてくれる人もいれば、 ありがとう

路に植えるための重〜い木を一生懸命に運んできてくれる人もいれば、 ありがとう

1歩先を行って道の補修工事をしながらわたしが歩きやすいようにしてくれる人もいれば、 ありがとう



あっちの道に一緒に行ってみようよ、

自分の道に来ない?

あっちの道よかったよ、

と善意や好意 または悪意で誘ってくる人もいる。




でもわたしは、進む道は変えない。

だってこれがわたしの道で、あなたたちが急に入ってきただけだから☺️という気持ち。




自分は人生の主人公!と使い古された言葉があるけれど、

その言葉ほど【自分がトップ】というエッセンスはなくて、上とか下とか 主人公とか脇役とか ではなくて、



純粋にただ わたしはわたしの道を心地よく気ままに歩いていて、


ほんとは1人で歩きたいんだけど なんだかやたらと横道から人が来るなぁ。まぁこれが社会であり人生かぁ。

という感じにっこり




だから、


歩行を邪魔してきたり、

歩みを自分のペースに変えようとしてきたり、

寄り道を何度も提案してきたり、

「なんでその速さなの?」としつこく聞いてきたり、

そもそも静かに歩きたいのにずっと話しかけてきたり、

あえて1歩前を歩いてくれているけれどなんか邪魔でこっちは歩きにくいんですけど、みたいな人が無理。爆笑




独特かもしれないんだけれど、幼稚園の頃からこの感覚が潜在的にあった。



幼稚園に大嫌いな先生がいたんだけど 名前出すけどニシボリ先生w わたしの感覚にすぎないが方針に一貫性がなくいつも子どもたちに怒っていた🥲

「まぁ、横の道からちょっと来ただけのひとですぐ去るもんな。」

って思って日々を過ごす 5歳だったし、



恋愛がなんとなくうまくいっている高校生の頃にも

「とはいえ 今だけわたしの道に寄り道してるだけのひとだしな。」

って思って彼にはクールに接していたし、



夫と出逢った時は

「あ、わたしの道でしばらく並走する人だな。一緒に歩いてもいいよ。よろしく〜✌️」

と感じていた。

ちょー変なやつだし、そんなつもりはないのだけれど言葉にすると上から目線。。。




わたしはこれからも、わたしの道を逸れることはないと思う。



時には左右を見て、(へぇ、あんな道もあるんだねえ。素敵だなあ。)

とニコニコしていたり、照れ

いきなり立ち止まって 並走者たちを驚かせたり、びっくり

障害物を蹴り飛ばしたりしながら、グラサン


自由にずんずん進むと思う。



頑固で、自己犠牲の精神に乏しく、利己的で、愛に欠けたわたしだけれど。


そしてそれはわたしが作り上げたわたしなのか、

機能不全家族に育ったせいなのか、

わからないけれど。




でもわたしがわたしを充分に認めているから、それでいいかなと思う。


毒母に育てられたけれど、わたしはまあまあ、大丈夫 大丈夫。




ただ、気持ちを残しておきたくて書きました。

みなさんはどんな気持ちで毎日を生きて、どんな基準で折り合いをつけて、どんな景色の人生を送っていますか?☺️



9月は本業が繁忙期につきブログ書くのはおやすみします😊 読み回りはめっちゃ行く〜♡