寺尾紗穂さんとの出会いは「私は知らない」という曲でした。

この曲を初めて聴いた時、

311当時のことが、まざまざと思い出されて。

 

この歌ほど、あの時の母と子の気持ちを歌った歌はないでしょう。

 

心を鷲掴みにされるような。

311の後、街中で流れる全ての音楽が嘘くさくて、薄っぺらで、音楽が聴けない時期がしばらくありました。

 

寺尾さんの「私が知らない」は、当時の私が一番聴きたい歌でした。直球で響いた曲。

 

寺尾紗穂さんのアルバム「青い夜のさよなら」の中に収録されています。

このアルバムは、311の後に作られました。

 

今でも、このアルバムを聴くたびにあの時の空気を思い出します。

 

忘れちゃいけない、自分との約束を思い出させてくれるような曲です。

 

 

寺尾紗穂「私は知らない」

https://www.youtube.com/watch?v=_bD0NWIuqYw

 

311の時、最も心に残った歌です。

やっぱり忘れられない。

 

政治も選挙も全てが茶番に思えたあの時。

 

ふと聴いてみたくて。

 

アシュカ・エ・レ・サルタンバンクの

「オン・ラシャ・リアン」

HK & Les Saltimbanks "On lâche rien" (Japanese subtitles)

https://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=miY5ZuB1lZM

 

 

20131030-1.jpgこの絵も忘れられない。



 

 



これ、なんだと思います?


先日、高知の室戸に行った時に
海岸で拾ってきました(^^)


室戸の海岸には一面に
これがいっぱい落ちていました。


天草(テングサ)です。


横須賀出身の私は小さい頃、
母が海岸から天草を拾ってきて、
煮込んで、トコロテンにして
フルーツ寒天としていただくのが
大好きでした。


また久しぶりにやってみよう(^^)


室戸の海岸はゴツゴツ岩場の
大変面白い地形で、
私の大好きな潮だまり(タイドプール)がいっぱい。


私はそこで
小さいカニやイソギンチャク、小さい魚、ウニ、貝、ヤドカニを見つけ、
観察するのが大好きでした。


子どものころはこういった場所に
何時間居ても飽きなかったなぁ。
あ、大人になってもか(^_^;)

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つじいゆき

 

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先日、私の加入している生協の催しで、養豚をされている生産者の方からお話を聞く機会がありました。

日本で初めてのアニマルウエルフェア(家畜福祉)に基づいて養豚が四国でなされるという話でした。

 

母豚が、子豚が、不快な思いをしないように、生き物としての生理に基づいた、心地よく生きていけるように、豚を飼う。

そして最後は屠殺する。

 

最後は食べちゃうのに福祉なんて何さ!って、自分の中に矛盾を感じながら聞いていた。

 

そう、食べもののこと、特にお肉のことを考える時はいつだって矛盾だらけ。

 

そんな時いつも思い出すのは石垣りんさんの一編の詩。

 

 

くらし      石垣りん

 

食わずには生きてゆけない。

メシを

野菜を

肉を

空気を

光を

水を

親を

きょうだいを

師を

金もこころも

食わずには生きてこれなかった。

ふくれた腹をかかえ

口をぬぐえば

台所に散らばっている

にんじんのしっぽ

鳥の骨

父のはらわた

四十の日暮れ

私の目にはじめてあふれる獣の涙

 

 

いのちをいただかないと生きられないのが、人間のさが。生きもののさが。

 

 

 

食べものとは生きものである。

そして、食べるとは、いのちをいただくことで、自分自身のいのちを育むこと。

食事の時間は、自分といういのちが、食べものといういのちを通じて、自分自身もまたその一部である大自然とつながる時間であり、目の前の食べものをめぐるすべての人間関係の輪の中に自分を見出す時間でもある。

「いただきます」という言葉には自分の存在を取り巻くさまざまな縁が凝縮されて、しかし、ひと筆書きのようにさりげなく表現されている。(スローライフのために「しないこと」 辻信一 著 ポプラ社)

 

 

 

 

去年の誕生日の日に書いた文章。

その半年後、助産学科を受験することになるとは思わなかったな。

 

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台風の日に

なぜかアニタ助産院を想う

 

知りあいも全くいない高知で

二人目も助産院で産みたくて

距離が遠いからダメかなと思いながら

ダメもとで電話してみたアニタ助産院

 

「いいよ」って気軽そうに言われてうれしかったな。

竹内さんはこわくて、ぶっきらぼうで、本当にここでよかったのだろうかと迷うこともあったけど

 

あの産まれる瞬間の竹内さんと谷さんの神業コンビ、痛みで朦朧とする中で聞こえてくる「痛いかもしれないけど、目閉じないで、目あけようね、目あけたら力抜けるからね」という言葉が神の言葉に聞こえた

 

ぶっきらぼうだけど、愛情たっぷりの竹内さん

 

そんな竹内さんをささえる名コンビのほっとする谷さん

 

知りあいがほとんどいない心細い産後も愛情たっぷり支えてもらった

 

だから助産師なりたいと思った

 

でもその夢に一歩進めない自分がいた

 

心が不安定だから


今この状態で助産師にはなれない、なったらやばい

心を建て直さなくちゃと


ストレスクリアコーチングという心理メソッドに出会い学んだ

 

最近高知県内の産む場所がどんどんなくなっているのを聞く

 

高知で唯一の助産院も竹内さんが70才で頑張っている

 

女性が自らの力で産み育てられる場所、そんなかけがえのない場所をこれからも守っていきたいなと思う今日この頃

突然ですが、苦手な人っていますか?

 

私はストレスクリアをはじめてから、

そういう苦手な人というのもなくなってきたのですが、

まだ大嫌いな人というのがいました。

 

こういう人だけは許せない、苦手だというのがありました。

 

それは、計算高い人です。

 

人よりもまず、損しないように、われ先に多く取ろうとする人、苦手です。

 

そしてそこに対して、本当に許せない自分がいるのです。

 

長年、許せないと思ってきましたが、

ふと、ビジネスをする上で、お金をいただくという上で、

もしかしたら、この自分の許せないという思いが、

なにか足かせになっているかもと思いました。

 

きっと何かある。

 

他人のそういう行動を許せていないのだから、

自分自身にもそういう行動をとることを絶対許せていないはず。

 

計算高い自分でもいいじゃん。

隠してるけど、結構計算高い自分じゃん。

そうなのです、隠しているけれど、結構計算高い自分なのです(*^^*)

 

損したくないもんね。そう思うのも自然じゃん。

時と場合で得したり、損したりして生きていきたいね。

 

あれれ、書いているうちに、どちらでもよくなった?

 

じゃんじゃん。

おしまい。

私は寺尾紗穂さんが大好きです。

特に好きな曲が、アジアの汗です。

https://www.youtube.com/watch?v=JBvpqKFDd9w

 

この曲を聴くと、身体の奥底から力がこみ上げてくるような気がするのです。


この曲は、寺尾さんが学生の時、日雇い労働者の町をおとずれた時に出会った方を歌にされたそうです。


立派な建物が建つと、「これは〇〇さんという著名な一級建築家が建てたビルです。」などと、言われるけど、実際にコンクリートを積み重ねて作った人がいるのですよね。


私が寺尾さんの歌で好きなところは、高い芸術性はもちろん、研ぎ澄まされた感性と知性できりとられた社会性のある歌でもあるところです。

 

寺尾さん、来年は高知にライブで来られるかもという噂もあり、ぜひ今度こそはお会いして、歌声を聴きたいです。

映画「オーガズミックバース」を見てきました。

 

このようなお産の映像は看護学校の時から授業で見てきました。

 

実習でも病院でのお産も実際に産婦さんに付き添わせてもらい立ち会わせてもらいました。

助産院でも実習させていただきました。

 

病院と助産院の両方をみることができて、将来、産むことがあったら、この助産院で産みたいと思いました。

 

そして数年後、こちらの助産院で産むことになったのです。

 

看護学生として病院と助産院を比べることができて、本当によかったです。

そうじゃなかったら、助産院で生んでいなかったかもしれません。

 

この映画のなかで、「知らなかったことさえ知らなかった。」という言葉がありました。

 

99%の人が病院で出産する現代。

お産の真実を、知らなかったことを知ること。

そして、真に産む人に寄り添ったお産になるように環境を整えること。

 

映画の中でなぜかCareという言葉が印象に残りました。

ケア。

そうだ、私、今まで、ずっとケアにたずさわってきたんだな、とあらためて思いました。

 

20代、父が倒れたことをきっかけに看護師になり、主に成人期の方やお年寄りのケアにたずさわってきた。

 

30代、自らの子育てに追われ、子どものケアに専念してきた。

 

40代は、どんな人にどんなケアを?どんな40代になるのだろうか?

 

映画を見て、ただただCareという言葉がずっと残りました。

このタイミングでこの映画を見れてよかったです。

 

企画してくれた方に感謝です。