今年もそろそろ折り返しの頃になりますが、実は今年に入ってから元夫にイライラする機会が多く、自分の感情の処理に苦慮している最近。
以前から続いている面会交流の取り決めの調停。
私が住んでいる地域の家庭裁判所の調停の進み方がゆっくりペースで、かつなかなか審判移行しないという事情から、今もまだ調停が続いています。
一回の調停が終わると次の調停まで2ヶ月くらい空くのも未だに続いている要因でもあります。(双方の弁護士さんの都合などを考慮すると、どうしてもこうなります。)
以前は宿泊付き面会交流をしていましたが、
元夫の親としての子供たちへの対応が不適切で、日帰りの面会交流のみを希望する私と、
宿泊付き面会交流を希望する元夫。
なかなか折り合い点が見つからないまま約1年ほど経っていると思います。
以前は宿泊付き面会交流を行っていたことから、裁判所は”成功体験があるから”と、どうにか宿泊付き面会交流にしたく、それを私がずっと拒否してきました。
その中で元夫から出てきた書面文書。
一部抜粋です。
すでに本件調停の開始から長い年月が流れている。
幼かった子どもたちも成長し、長男は4月から小学4年生となり、二男も小学校に進学する。父親である相手方が、監護補助者(実母を予定している。)の援助を受けながら監護養育することも十分可能である。
そこで、二男が小学校に進学するこの機会に、相手方としては、子どもたちを引き取ることも考えている。
申立人におかれては、子どもたちの意向を酌み、必要十分な面会交流を実施することを検討されたい。
これを読んだ時、自分で自分の感情のコントロールが出来ませんでした。
何かに当たり散らさないと気持ちが収まらず、衝動的に車の扉を思いっきり拳で叩いていました。
びっくりした子供たちには
「ごめん。あなたたちのせいじゃないから。お母さん、ちょっとむかつく事があって、今どうしても自分で自分の感情が抑えられない。ごめん。」
と務めて冷静に答えたものの、きっと尋常じゃない母の姿に子供たちを不安にさせたと思います。
(子供たちよ、本当にゴメン!!その後車を運転しましたが、事故らないようにと、そっちに意識を向けようと、必死でした。)
この文書を読んで、本当にこのタイトルそのまんまで、
育児、舐めんなよ!!
と思いました。
何で子供が小学校に進学したら、監護養育できるわけ?
何言ってんの?
今までは何だったの?
今までしなかった人が、出来るとでも思ってんの?
バカじゃないの?
だいたい監護補助者(実母を予定)の援助を受けながらって、
都合のいいところだけ育児して、やりたくない、嫌な育児は実母に押し付けるんでしょ?
見え見えなんだよ!
甘すぎんだよ!!
(この文書を読んだ弁護士さんも同様の感想を述べていました。もっとも、上記の私のような感情は乗せていませんでしたが。)
元夫は、”これまで全く育児しなかった”、とは言いません。
でもその育児は、(私から見れば)私がやっているのを真似するか、横取りするか、やりたい時だけするか、そんな感じでした。
子供が体調を崩して何日も保育園を休む必要がある時、時に元夫が仕事を休むこともありましたが、それは”病後の回復時期”だけで、病気真っ只中に病院へ連れて行ったり、何が原因かを先生から説明を受けて、薬をもらいに行くのは私。
元夫の子供でもあるのに、何故元夫は病院へ連れて行ったことがないの?
平日の仕事中に保育園から電話が入る順番を、私の職場を一番にしていたので、必然的に私が連れて行くのが多くなるのは私も納得していたことです。
でも休日に体調を崩した時に何故元夫は病院へ連れて行こうとしなかった?
”連れて行ってほしい”とお願いした時、
”みんなで一緒に行ったらいいやん”と、絶対に元夫一人では行こうとしなかったのは何故?
子供の体調不良時に元夫が仕事を休んで家で診ていた日は私が仕事に行くことになりますが、
そんな時に周りから「旦那さん、優しいね。男の人でなかなかそこまでしてくれないよ。」と言われたことがありますが、この言葉を言われると、正直私はモヤっていました。
確かに元夫が休んでくれたお陰で私が仕事に行けたことはありがたかったです。
でも。
2人の子供なのに、どうして母親が休むことが当たり前なの?
休んでくれることが優しいことなの?
もしも父親、母親両方が育児に対して”自分事”だと捉えていると、お互いに日程調整をして協力するのが自然な流れだと私は思っています。
でも、元夫は”病後の回復期”を選んで仕事を休んでいた。
時に「僕も疲れてるから休みたかったんだよね~。ラッキー」とか言いながら。
楽な方を選んでいたのは見え見えでした。
(体調不良で一番しんどいのは子供本人なのは承知しています。ただ育児ってキラキラしたものだけではなく、こういった大変な側面があるのも事実。体調不良時の原因がわからない時というのは、この後どういった経過をたどっていくのが全く見えないので、不安から看護する方は精神的も体力的にもしんどいものだと思います。これがまだ言葉を上手く喋れない時期となれば尚更。病後の回復期の育児は、病時真っ只中の育児より楽だと私は思います。あくまで私の考えです。)
子供の体調不良時を例に挙げましたが、元夫の育児って病気以外でもこんな感じなので、自分で考えて動くということが圧倒的に欠けていました。
親も人間なので、未経験の事はあたふたとして当たり前。
でもあたふたしながらも、どうしたらいいのか自分で考え、実際に動いてみるからこそ経験となり、育児力も上がっていくものなんじゃないのかなぁ?と思っています。
それをしようとしなかった元夫が育児できるなんて、どうしても思えません。
だから、育児を舐めているとしか思えない。
元夫がこれまで本気で”自分事”として育児に向き合わなかったからこそ言える、無知で、無謀な考えの文書としか思えず、怒りと共に情けなさも感じます。
今回挙げた文書は、「親権をこちらに渡せ」とも言っていますが、弁護士さんに、面会交流の宿泊を拒否し続けることで親権が父親に行く可能性はあるのかどうかを聞いてみると、
「父親の望む形ではないとはいえ、これまで定期的に面会交流を行ってきた実績がありますから。今回拒否し続けることで親権が父親にいく可能性は低いでしょうね。」
という回答でした。
ほっとしました。
理想を言えば、離婚しても協力し合って育児していけたらいいと思います。
でも、それができるんだったら私と元夫は離婚に至らなかった。
協力し合うということが婚姻時から致命的にできなかったから、今があります。
また仮に元夫の方が育児力あるなら、私は元夫に親権を渡していたと思います。
でも、上記に挙げたような育児の仕方の元夫に親権なんて渡せない。
そこは私なりに覚悟を決めて子供を引き取とったつもりなので、現段階で親権を元夫に渡す気などありません。(私の独りよがりかもしれませんが…)
離婚後に、ここまで感情をかき乱されることが起きるのは予想外だったので精神的なダメージが大きい出来事でした。
ちなみにこの4月から次男が小学生になりましたが、今も親権は私の元にあります。
この文書以降元夫から親権のことは何も言われず、一見穏やかな日々ではありますが、また何か起きたらどうしよう、と不安と隣り合わせの日々でもあります。
また面会交流は元夫の望む形ではないものの、宿泊の面会交流を再開させました。
私が少し元夫に歩み寄った形です。
毎回ヒヤヒヤしながら子供たちを送り出しています。
子供たちは嬉しそうです。
ASDグレーゾーンであり、かつ愛着障害を持つ相手と結婚・離婚したらこんなことになっています。という一つのケースとして知ってもらえると今回記事を書いた意義があるかもしれず、ブログにアップしてみました。
まだネタはあり、またゆっくり更新していけたらと思います。