パートナーシップに悩んだ時に、成育歴含め自分自身を振り返ってみた時、
上手くいっていないパートナーが実父や実母とそっくりだった、というケースをよく耳にします。
子供の頃の未完了な思いや感情を完了させるために、その時と同じような境遇・人を引き寄せる(投影)とも言いますし、
ブログでも、パートナーが実家族の誰かとそっくり、と書いている記事を目にします。
じゃあ、私の場合は??と、長年気になっていました。
それが最近になって、例外に漏れず、私の場合も元夫=実母であることに気付きました。
かと言って実母がASDか、と言われたら、多少その傾向はあるものの、そこまででもない。
じゃあ、何がどう具体的にそっくりなのか?
「(人と人との)境界線のなさ」
がそっくりで、元夫との結婚生活は「境界線」を学ぶために必要なことだったのだろうと感じています。
元夫とのやり取りを思い返してみると、ある事柄で私が嫌だと思うことがあり、そのことを元夫に伝えると、「僕は嫌じゃないよ」と返ってくる。
ということがよくありました。
例えば帰省から戻る時間について。
私「あんまり遅くなるのは嫌やな~。」
元夫「僕は嫌じゃないで。」
私「私は嫌かな。帰ってから色々片付けなきゃいけないし、バタバタするのは嫌やから、早めに帰りたいな~。」
元夫「僕は嫌じゃないで。」
私「う、ん。あなたは嫌じゃないかもしれないけど、私がしんどい。もう少し早く帰らへん?」
元夫「だから、僕は嫌じゃないで。片付けとか一緒にやったらいいし、なんなら明日でええやん。」
私「えっと…、いや…、バタバタしたくないし、明日とかにしたら、バタバタすんのが後回しになるだけやん。」
元夫「ふーん。僕は嫌じゃないけど。で、何が嫌なん?」
私「(理由、言ったがな!怒)」
というような会話が、本当に何度も何度もありました。
今思えば突っ込みどころ満載なやり取りですけどね。
会話になってないし、人の話聞いてないし、お互いに自分のことしか喋ってないし、自分の考えを押し付けてるし。
突っ込みはともかく、元夫の中で何が起こっているかと言うと、
「僕は嫌じゃない」=「あなたも嫌じゃない」
なので、私が嫌だと思うことが意味不明なんですよね。
自分=相手になっているわけです。
自分が嫌じゃないから、相手も嫌じゃない、なんです。
それ以外の選択肢が全くない状態です。
じゃあ、この時の私の中で何が起きていたのか。
「嫌って言ってるのに伝わらない。なんでだろ?私の伝え方がおかしい?嫌と思う私がおかしい?あれ?何が正解??」
自分軸がなく、自分の考えに全く自信が持てず、相手の意見に影響されまくっています。
嫌だったんだからもっと強く「嫌!」って主張していいし、早く帰りたい理由をあれこれ並べなくていいし、元夫を置いて先に帰るという選択肢を持ったって良かったはずなのに、しませんでした。
私と元夫との間で何が起きていたのか?
元夫は私の境界線を侵害し、私は元夫との間に境界線を引くことができなかった。
つまり、お互いに「境界線」というものを大切にすることができなかった。
ということになります。
だから、私と元夫は結婚に至り、結婚生活が続いたんです。
ではどうして私は境界線を引くことができなかったのか?
それは私と実母との関係に起因しています。
母も、私と母との間に適切な境界線を引くことが出来ない人でした。
母=娘(私)
になっていました。
もちろん、赤ちゃん~幼少期というのは、子供は自分と他人の違いなど認識できるはずもなく、子供側が自分=母となることはあって当然だし、
主たる養育者(私の場合は母)が自分=子供になることは自然なことで、その過程があるからこそ、子供は安心して成長していくことが出来るのだと思います。
だけど残念ながら、母は、自分と娘は違う人間だ、という認識が弱かったように思います。
私と母で何かの好みに違いがあった時、私が「嫌!」と言えば母は「何で?!」と言う。
理由を聞かれて理由を答えると「それはおかしい!」と言う。
母からすれば、自分はこっちがいいと思うんだから、当然あなたもこっちがいいでしょ。なわけです。
母が他の人間関係でもそうなのかは不明ですが、少なくとも娘の私には、母=娘という考えは強固でした。
小さい頃からそんな状態だったので、私はいつしか自分の気持ちや考えに自信が持てなくなりました。
母が正解で私が間違っている。
そう思うようになり、何をするにも母の目が気になり、母がOKとすることばかりを探して選んでやる。
そうやって私は自分の気持ちや考えを言う事すらなくなっていったので、母はどんどん私を手名付けていきました。
(手名付ける、という表現が適切かどうかはさておき、一番伝わりやすい言葉なので、あえてこう表現しています。)
では私と母との間で何が起こっていたのか?
私が母との間に境界線を引くことができず、母は私の境界線を侵害してくる。
私が自分の考えや気持ちを言わなかったというのは、”自分はこういう人間だ”とプレゼンすることを放棄した。
つまり、私が、私と母との間に境界線を引くことを放棄した。ということになります。
だから母はどんどん、どんどん、私に侵入してきました。
侵入というか、そもそも境界線がないから、入りたい放題だったと思います。
私は他の人間関係でもこのようなスタンスだったので、誰とでも境界線がない状態でした。
元夫に強く求婚されて、あれれれ?と言う間に結婚したのも、境界線がない故のことです。
エピソードを書いてみると、元夫=実母なのがよくわかります。
さて、ここで一つ告白をしますが、
私が元夫と離婚をした方がいいと思いながらもなかなか離婚に踏み切れなったのは、離婚したら、母の私への干渉(私への侵入)が嫌だった、というのがあります。
結婚そのものが、母から逃げたい、という思いが実はありました。
結婚することで明らかに母からの干渉は減ったので、それは私の思惑通りでした。
元夫との結婚生活はしんどかったけれど、母からの干渉がないのは、結婚生活を続けるメリットになりました。
このメリットを取るのか、元夫とのしんどい結婚生活を取るのか。
これはかなり揺れました。
離婚を決めて動いている時、母は沢山助けてくれましたが、同時にどんどんと私の境界線を越えようとしてきました。
離婚後の住む場所や子供たちの保育園まで、頼んでもないのにどんどん調べては私を説得してきました。
元夫との離婚と、母と適切な距離を取るということを、同時に成立させることはできないのか?
どうやったら両方を成立させることができるのか?
本当に、悩みに悩みました。
そして私が選んだのは、元夫と住んでいた家は出るけれど、私の職場と子供たちの保育園は変えない。ということ。
そうすることで母との距離を一定保つ選択をしました。
離婚後、予想通り、私と母の距離は一気に近づきました。
近づいたというより、結婚前の私と母の関係に戻っただけなのですが、母の干渉(境界線越え)がしんどく、結婚前に感じていた母への負の感情が再燃しました。
物理的には母との距離があるけれど、精神的には母との距離が全くない状態。
この状況を改善したいのであれば、私が母との関係を見直すしかない。
母との関係からもう目を逸らすのは止めよう。
どんなに逃げても、何らかの形で母との関係とそっくりなことが今後も起こるのだろう。
そんなのはもうゴメンだ!
離婚は、母との関係について真っ向から向き合うことを決意できた証でもあります。
私が人と人との境界線について知ったのは、実は10年ほど前のことです。
カウンセリングを受け始めた初期の頃、カウンセラーさんから教えてもらいました。
本来であれば、各家庭の中で学んでいくのが理想なのでしょうが、前述通り、私は家庭の中で学ぶことができませんでした。
でもそれは仕方のないこと。
境界線を知り、学び、他人との境界線を引けるようになってくると、母との関係だがいぶ楽になってきました。
母の場合はただ肯定されたい人のようで、私と母の間で意見が分かれた時に私が一言「母はそう思うんだね」と言うと、母はかなり柔軟になります。
そういう姿を見ていると、母が私と意見が分かれた時に私に「それはおかしい!」と言っていたように、
母もまた、養育者(祖父母。主に祖母?)から、母の意見を尊重してもらえない幼少期だったのかもしれません。
だから娘である私には、味方と言うか、同じであってほしい、と思っていたのかもしれません。
元夫に関して言えば、今現在、いくらこちらが境界線を引いても、全く通用しません。
相変わらず「僕は嫌じゃないよ」のスタンスで、今も私の「嫌」が伝わりません。
これこそがASDの特性そのものなのだと思います。
でも、これ、周りにいる人はめちゃくちゃしんどい…。
でも本人だけが気付かない。
なんだかなぁ、です。
それにしても境界線がない原因は色々あるんだなぁと、私自身を振り返って、元夫や母を見ていて思います。
境界線がないのはASDの特性があるから、だけでもないし、愛着障害やアダルトチルドレンだけが境界線がない原因とは言い切れない。
境界線がない人に対しての対応も、その人をじっくり見ないと適切な対応ができないものだな、と感じます。
夫婦関係に関して言えば、何をやってもダメな場合は、離婚は、適切な境界線を引く一つの手段なのだと思います。