カウンセリングを受けたり自己啓発系の本を読むなどすると、
「相手は鏡」「夫婦は合わせ鏡」などといった言葉に出会うことがあります。
私も初めてカウンセリングを受けた時にこの言葉に出会いました。
この「相手は鏡」の考え方は、
目の前にいる人の言動に対して何か感情(特に負の感情)を揺さぶられることがあった場合、
その要素を実は自分も持っているんだけど、それを認めていなかったり嫌っていること。
過去に似たような経験をしていて、その時の未完成の感情が蘇ったりすること。
つまりは相手の言動を通して自分自身を見せてもらっている(=鏡)ということになります。
例えばですが、私の場合、
元夫はマザコンで元姑の意見に左右されては元姑に従うところがあってイライラしていましたが、
実は私も母との関係に問題を抱えていて、つい母に従ってしまうようなところがありました。
元夫がマザコンという嫌悪感は、私が母との関係に問題があることを認めていなくて、
その問題から逃げていることを教えてくれていました。
他の例だと、子供たちが我慢もせずに自己主張ばかりすることに私が嫌悪感を感じる時、
私の心の声は「私は子供の頃、あんなに我慢してお母さんの言う事を聞いていたのに…」という嫉妬があり、
それは私が子供の頃に、
本当は自由に振る舞いたかったのに我慢して自分を押し殺していた。
本当は私も自由に自己主張したかった。
という当時には我慢して出すことはできなかった感情(未完了の感情)が浮上してきていることになります。
子供の振る舞いから、私の未完了の感情を教えてくれていることになります。
上記の二つはあくまで私の例であり、同じように悩む方が同じ問題にぶち当たるわけではないのですが、
私が過去に受けたカウンセリングでは、こうして誰かの言動から揺さぶられる自分の感情から
過去を掘り下げては記憶の書き換え(思い込みの修正や新しい考え方の構築)を行ってきました。
カウンセリングの世界では、誰かの言動にイライラすることは自分を変えるチャンス!と謳われているのを今も見聞きします。
でもこの「相手は鏡」という考え方、使い方や考え方によっては視界を狭める危険をはらんでいるなぁと感じます。
相手は鏡だから、自分が変われば相手も変わる、とイコールになってしまうと、それは違うんじゃないかと思います。
もちろん、変わるケースもあると思います。
夫婦カウンセリングや親子カウンセリングを受けて良好な関係を築けるようになった場合などは、
確かに自分が変わることで相手も変わったひとつの要因となると思います。
親子関係では親側が変わることでかなり子供との関係は変わりやすいとは思います。
でも大人同士の場合。(子供も場合によって)
相手が鏡だからといって自分が変われば相手も変わるというのは、お互いにある程度健全であることが大前提にないと
難しいのではないかと思います。
これまでの成育歴から、誰でも大なり小なり心の傷は持っているものです。
その傷が少なくて小さいものなら、つまりは健全な部分が多ければ、確かに相手は変わりやすいのかもしれません。
でもその変わり方は自分の思う変わり方ではないのが自然な考え方だと思うし、
相手が変わるということや変わり方というのは、誰にもコントロールできない領域の事です。
また相手に何かしらの精神疾患がある場合や発達障害などが隠れている場合、
病気や障害が原因で今のその人が成り立っていて、
その場合はまずは病気や障害に向き合う事が先になるのではないかと思うのです。
それに気付かずに「相手は鏡」だから「自分が変われば相手も変わる」と信じて努力した場合、
正直相手が変わる可能性はとても低いように思います。
それが私の考える、
『視野を狭める危険をはらんでいるなぁ』
『相手は鏡だから、自分が変われば相手も変わる、とイコールになってしまうと、それは違うんじゃないか』
なのです。
それで人が簡単に変わるなら、医療はそんなに必要ないんじゃないのかなぁ。
そして、こんなに離婚率は高くないんじゃないのかなぁ。
私がこの「相手は鏡」という考え方を取り入れてカウンセリングを受けてきて思うのは、
相手は鏡となって何を映し出しているか、の断定は、とても繊細で慎重に行われる必要があると思いました。
その断定は自分にとってしっくりくる(腑に落ちる)ものでないと、全くカウンセリング効果がないどころか、
新たな傷を作りかねないようにも思えてなりませんでした。
ある時このカウンセラーさんが、カウンセリングを受けているクライアントさん向けのセミナーを開催したことがあったのですが、
ある方が「私の夫は発達障害のように思えて、私が変わっても夫は変わらない思えて…」と仰ったことがありました。
その時のカウンセラーさんの答えは「じゃあ、あなたも発達障害っていう事になるね。だって、常々相手は鏡って言ってるでしょ。」でした。
当時の私は衝撃でした。
え?それ本当?と。
それが心に引っかかっていました。
後に私はこのカウンセラーさんにお世話になることを止めて、その後カウンセリングショッピング状態になるのですが、
私にとってこのカウンセリングショッピングは「相手は鏡」以外の新たな視点を持つ貴重な経験となります。
あるカウンセラーさんには「相手は鏡という考え方はどう思われますか?」などと聞いて意見を求めたこともあります。
カウンセリングを受けるのではなくて、何か講座を受けるという方法で自分を変えることを試みたこともあります。
そうやってカウンセリングショッピングを続けていると、
私が「相手は鏡」という考え方が全てではない事にようやく気付き始めます。
(当たり前と言えば当たり前です。私がいかに視野が狭かったのかがわかります。)
しばしのカウンセリングショッピング後、私は長くお世話になることになるカウンセラーさんに出会います。
そこで元夫の発達障害の可能性を示唆され、発達障害を本格的に勉強し、
元夫は発達障害のASD(未診断。確定診断は難しいだろうけれど、かなりグレーゾーン)であること、
私がカサンドラ状態に陥っていることに気付きます。
発達障害の事を学んでいくと、生まれつきの脳の作りから発達障害の特性が出ていることを知ります。
という事は。
相手は鏡だからと言って自分が変わっても相手は変わるわけがない。
だって、脳の作りが違うんだから。
もしかしたら変わるかもしれないけど、その変わり方は予測不能ってこと。
前述したあるクライアントさんが言った
「私の夫は発達障害のように思えて、私が変わっても夫は変わらない思えて…」
に対するカウンセラーさんの返答、
「じゃあ、あなたも発達障害っていう事になるね。だって、常々相手は鏡って言ってるでしょ。」
はあまりにも雑な答えになると思います。
たった一言の質問で、相手が鏡となって映し出していることの答えが出る訳がない!!!!!
ずっと心に引っかかっていたもやもやが、ようやく晴れました。
そして繰り返しになりますが、
「相手が鏡」という考え方をカウンセリングで使うのであれば、
慎重に、本当に慎重に、何を映し出しているのかを見極める必要があると改めて思います。
今思うのは、何が映し出されているかの答えはクライアントさんが知っているんですよね。
ただ潜在意識の中に埋もれてしまっていて意識に上がってこない(わからない)だけ。
それをクライアントさんが自分の口から出てくるように伴奏してくれるのが、良いカウンセラーさんのように思います。
カウンセラーさんが話を聞いてクライアントさんに「これが原因じゃない?」と言うのは果たしてどうなのか?
と思います。
ちなみにこの「相手は鏡」という考え方で自分の問題に向き合って問題を克服した場合、
確かに誰かの言動に不必要に感情を揺さぶられることは減りました。
でも嫌なものは嫌だし、それを受け入れるか受け入れないかは自分次第、ということなのだと思います。
元夫がマザコンなのは相変わらずですが、そういう姿を見ると今でもあんまりいい気分はしません。
でもそれを元夫が選んでる、と冷静に見れるようになりました。
子供たちの自己主張は今でもまだ感情が揺さぶられることがあります。
これはまだまだ私の課題の一つです。