今日は前回の記事↓の続編のような内容です。
二人目出産時、私から見れば元夫の理解不能な言動の数々から、
元夫との関係性が良くなるかもしれないという淡い期待はものの見事に消えていきました。
消えていったというより、期待するエネルギーは枯渇したとも言えると思います。
産後は自分自身の身体の変化についていくのが大変でした。
二人目を出産後、私はひどい尿漏れに悩まされていました。
くしゃみをした時、咳をした時、子供を抱っこした時、抱っこして歩いている時、重い荷物を持った時など
少しでもお腹に力が入る行動をした時には容赦なく漏れていました。
産院では「ちゃんと治るから大丈夫。骨盤基底筋を鍛えるといいよ。」とアドバイスをもらっていましたが、
確かにゆっくりとマシになってはきていましたが、本当に治る日が来るのかどうかとても不安でした。
思わず元夫に不安な気持ちを吐露することがありました。
私 「なかなか尿漏れが治まらなくて。ほんとにちゃんと治るんかなぁ・・・」
元夫 「それって、治るんやろ。」
私 「う、うん。一応治るって聞いてはいるけど、なかなか治らないから不安で。」
元夫 「だから、それって治るんやろ。」
私 「うーん。たぶん。て言うか、なんで治るか治らへんかそんなに確認するん?私が一番それ知りたいわ!それなのに、何で私に聞くん?」
元夫 「だから治るんやろ?」
私 「あのね、そうやと思う!そう聞いてる!だけど思ったより治りが遅いから不安やねん!ただ、心配だね、とか言ってほしいねん!」
元夫 「ふーん。じゃあ、治るってことやな!」
私 「・・・(涙)」
あまりに無関心な態度に、ただ傷つくだけでした。
不安な気持ちを口にするんじゃなかった。と後悔しました。
(余談ですが、現在は尿漏れはほぼ治りました。風邪をひいてくしゃみを連発する時にたまにあれ?ということがあるくらいです。
骨盤基底筋は定期的に鍛える必要があるようですが、私の場合は姿勢を正すことを意識することで鍛えられているようです。)
そんな体調変化にプラスして産後のホルモンバランスの乱れにも私は翻弄されていました。
ちょっとしたことでイライラし、自制することができませんでした。
そんな様子を見ても元夫は通常運転。
元夫 「産後ってイライラしやすいんでしょ。」
私 「そうだよ!それわかってるんやったら、ちょっとは自分にできること考えてやってよ!!」
元夫 「は?自分の機嫌は自分で取るもんでしょ。」
私 「確かにそうやけど、産後の妻のフォローだって、夫の大切な役割やろ!!!」
元夫 「は?何言ってんの?なんで俺がやらなあかんの?俺だって忙しいし、そんな余裕ないで!」
売り言葉に買い言葉でした。
ようやく体調もホルモンバランスも整ってきた頃のことです。
産後4~5ヶ月の頃だったと思います。
土曜日の夜遅く、元夫と他愛のない話をしていた時のことでした。
何の話をしていたのかは忘れましたが、その話の流れから産後直後の話になりました。
ふと、元夫が言ったのです。
「あのさ、産後のことやけどさ、もうちょっと僕に感謝するべきじゃない?」
と。
え?と思いました。
産後直後、長男がインフルエンザと溶連菌にダブル感染し、元夫は長男と私の対応に追われました。
と言っても、元夫は元姑を呼び寄せたので、結局は普段通りに近い生活を送ることができていました。
食事、洗濯、長男の世話を元姑がメインでやって、元夫は仕事に行き、仕事帰りに私の洗濯物を取りに来る。
(前回記事でダブル感染で産院へ出入り禁止になったと書いていますが、元夫は感染しなかったので後に出入り可になりました。)
そんな数日を過ごしました。
確かにイレギュラーの連続で気は休まらなかったことと思います。
子供が体調不良になるだけでも親は落ち着かないものです。
そこに産院へ行くという新しいタスクがあって、元夫はかなりへとへとになったと思います。
元姑が来てくれたからこそ、タスクを遂行できたという現状もありました。
元姑を呼び寄せてくれたことは本当に助かりました。
そんな産後直後の元夫に対して、実は私はお礼を伝えていました。
ちょうどバレンタインデーが近かったこともあり、お礼を兼ねて元夫が好きなお菓子を取り寄せて渡していました。
元夫はびっくりしていましたが、その時に
「産後は本当に大変だったけど、あなたのお陰で助けられたよ。ありがとう。」
と伝えていたのです。
ここまでする必要があるのかどうかと考えた部分はありました。
家族が増えるにあたって協力し合うのはある意味当たり前の事であって、
元夫の行動がものすごく特別なことかどうかと言われたら、そんなことはありません。
それまでの私と元夫との関係を考えると、私がこのような行動をすることで私たちの夫婦関係に不必要な上下関係が生まれないか?
と考えたこともあります。
それでも元夫なりに頑張った事実があり、助け合うことができたこと、乗り越えることができたことに変わりはなく、
夫婦と言えども所詮は他人同士、だからこそきちんとお礼を伝えようと思っての私の気持ちでした。
前回書いたような元夫のKY言動がいっぱいあったとしても、です。
それなのに。
「もうちょっと感謝するべきじゃない?」
って・・・。
悲しくなりました。
私 「え?伝えたよ?それでお菓子も渡したんだよ?伝わってないの?感謝してるよ?」
元夫 「そうやけどさ~。でもちゃんとするべきだよね。」
元夫が言い終わった瞬間、私は間髪入れずに元夫の胸ぐらを掴んで怒鳴っていました。
「何言うとんねん!!!」
「感謝???」
「じゃあ、お前はどうやねん?!」
「私に感謝してんのか??」
「私、誰の子供産んだ??」
「こっちがどんな思いしながら産んだかわかっとんのか??」
「○○(長男の名前)の時もそうやった。」
「一度でも『生んでくれてありがとう』とか言うたか?」
「一度でも『お疲れ様』とか労いの言葉あったか?」
「そんなんもせーへんくせに、感謝とか求めてくんな!!!!!」
一気にまくし立てました。
もの凄い声量だったと思います。
元夫も一気に頭に血が昇ります。
「やんのか????」
「誰がお前じゃ!!!!」
「は?子供なんてみんな生んでるし!なんでそれでありがとうやねん!!」
私もさらに怒りが増します。
「サイテーやな!お前、子供産んだ全女性に謝れや!!!!」
お互いに腕を掴み合っての取っ組み合いでした。
元夫は私を力づくで押さえつけました。
男の人の力は本当に強くて、私は身動きが取れなくなりました。
どれだけこちらが力を出して元夫を振り払おうとしても、できませんでした。
怒りの言葉が次々に頭に出てくるのに、押さえつけられている悔しさで言葉にならず、ただただ涙があふれ出ました。
悔しくて悔しくてたまりませんでした。
ひたすら泣いて泣きまくって、元夫を振り払おうと必死でした。
先に冷静になったのは元夫の方です。
「もうやめよう」
と。
確かにこのままではどちらかが大きな怪我をしそうな勢いでした。
幸い子供たちは寝ていましたが、子供たちが目を覚ましてもおかしくない状況でした。
元夫が力を抜いたと同時に、私も力が抜けました。
その後、どんな会話があってどう過ごしたのか覚えていません。
翌日の日曜日、皆休みで家にいましたが、どんな顔で一日を過ごしたのかも覚えていません。
一連の出来事があまりにショックで、悲しくて、辛くて、その後数日は元夫が出勤している日中は勝手に涙が出てきました。(当時の私は育休中で、日中家にいました。)
取っ組み合いでつかみ合っていたお互いの腕には青あざができていました。
それを見るたび、青あざにふれて痛みを感じるたび、元夫とのやり取りが鮮明に思い出されて泣きました。
何も「生んでくれてありがとう」とか「お疲れ様」と言われたくて出産を選んだわけではない。
必ず夫側がそういった言葉掛けをするのが当たり前とも思わない。
でも、家族が増えるというイベントに夫婦二人で向き合いたかった。
同じ方向を向いて歩んで行きたかった。
多少歩幅が違っても、同じ道のりを歩きたかった。
だけどそれは叶わぬ夢なんだと、その事に直視しなければならない出来事でした。
その後しばらくは無気力でした。
少し気力が戻ってくるのと同時に、頭に浮かぶようになったのは
「どうやって離婚しようか?」
「どのタイミングで離婚しようか?」
でした。
それまで元夫との再構築を目指してきていた私の思考は、この出来事を境に気持ちは離婚へとシフトしていきました。
二人目出産が夫婦の再構築のきっかけになると思いきや、私の場合は離婚のきっかけとなったのでした。