元夫と結婚する前の私は、完全に他人軸で生きていました。
他人軸。
自分の気持ちや考えよりも、他人の気持ちや考えを優先する生き方です。
自分を優先することは、私にとってはわがままなことでした。
そして、わがままを言ったら嫌われてしまう。とも思っていました。
自分という存在を、自分で完全に無視していました。
そういう私には、それを利用しようとする人とのご縁がよくありました。
つまり、自分勝手で相手の意見を聞こうとしない、
自分の我を何としてでも通そうとする強引な人に、私はよく好かれました。
問題がある人でも私のことを好きとしつこく言ってくる人に、
本当は嫌なのに、その人の希望に応えようとする危うさが私にはありました。
そして振り回されて傷つき、
「私は男運が悪い人なんだ。」
「わがままを言っちゃいけない。相手を受け入れなきゃ。」
「相手を受け入れることができない私は器の小さい人」
と本気で思っていました。
それでも心の底では温かいパートナーシップを望んでいたし、
いい意味で遠慮なく自分の気持ちを言い合える関係を望んでいました。
だけどそれですら、私のわがままだと気持ちを打ち消していました。
今振り返ると元夫との結婚も、見事に元夫ペースで進んでいきました。
結婚に至るまでいろんな決断がありましたが、
その度に二人で話をしつつ、
その中で私の意見も頑張って言うわけなのですが、
ものの見事に元夫の意見が採用されていきました。
それでも当時の私は不満を感じつつも、
「あ~。私、またわがまま言っちゃった。」
と罪悪感を感じ、元夫に従うことを選んできました。
本音を言うと、結婚前からこの結婚は苦しいかもしれないと、
実はどこかで気付いているところはありました。
この結婚を破談にした方がいい、と思ったこともあります。
だけどその思いを無視して、それですら私のわがままだと言い聞かせ、
この結婚を決めたのは私なのだから頑張らないと!と、
随分と自分に無理を課しました。
そして結婚、同居。
思った通りの苦しい結婚生活の始まりでした。
思った以上にしんどい結婚生活の中で
どうにか現状を打破したいともがきまくっていた時に、
自分自身に問題があることにようやく気付いたのです。
そこで受け始めたカウンセリング。
そこで知った、私が他人軸で生きているという現実。
自分の意見や考えを優先してもいいということ。
それはわがままなことではないということ。
理想を持っていいということ。
理想を口に出していいということ。
私は男運が悪いわけではないということ。
もう、え~~~~~~~?!!!!という感じでした。
今まで必死になって握りしめていた自分の考えが、
こんなにも自分を苦しめることになっていたとは、衝撃でした。
それから少しずつ、少しずつ、私の気持ちや考えを拾い上げる練習をしていきました。
それは私にとっては苦痛だし、修行のようでもありました。
私は何が好きで何が嫌いなのか、
何をしていたら、何があったら私は機嫌良くいられて、
逆に何をしたら、何があったら私は不快に思うのかがわからないのです。
自由に感じていいのに、その自由に感じることそのことができないのです。
いざ自分に向き合うと、私は自分を本当に知らないという事実に驚愕しました。
それでいて、自分を知るということに恐怖を感じていました。
当然と言えば当然です。
他人軸で長年生きてきた人にとって、急に自分を知ろうとしても、
それは相当難しいことだと思います。
思考回路が完全に「相手はどう思う?」と
自然に、勝手に思うように出来上がっているからです。
そこにある日突然「自分はどう思う?」と自分に問われても、
そんな思考回路がそもそも存在しないのです。
だから、できないのです。
全く新しいことに挑戦するので、怖いのも当然です。
それでも、楽になりたくて、自分軸で生きれるようになりたくて、
細々と自分に向き合ってきました。
そうすると、ぽつぽつと自分の気持ちを拾い上げれるようになり、
そして拾い上げることができたという成功体験が自信に繋がり、
また次を拾い上げることができるようになる。
いい循環ができるようになってきました。
そんな過程があっての、私の「離婚したい」が見えてきたのでした。
結婚生活は、どちらかと言えば知りたくない自分を知る期間でした。
感情的になる私。
言葉が悪い私。
実は強引に我を通そうとしてしまう私。
すぐに白黒つけたがる私。
完璧主義。
愚痴っぽい私。
言い訳ばかりする私。
自己防衛をしたくなる私。
子供に八つ当たりしてしまう私。
子供を叩いてしまう私。
眠いと機嫌が悪い私。
素直になれない私。
すぐ拗ねる私。
決めたことを最後までできない私。
ざっと思い返してみても、すぐにこれだけ書けてしまいます。
でもこれらから逃げるのではなく、
どういう時にこんな私になるのかを知ることもとても大切で、
私が機嫌良くいることができれば、上記の私は出てこないことも知りました。
自分の良い面も悪い面もきちんと知ることで、自分が自分を扱えるようになる。
自分を知らないということは、自分で自分を扱えないということ。
自分という大切な人の扱いが、他人任せになるということ。
そんな恐ろしいことはないと、今は思えます。
離婚してからの生活は、
子供たちが元夫のところに泊りに行っている日は、私は基本一人で過ごしています。
寂しさに苛まれるかと思いきや、その一人の時間がとても愛おしい。
そうやってゆっくりと一人の時間を過ごすことは、
自分を見つめて知らない自分に出会う楽しみがあるし、
私が機嫌良く過ごせる「何か」を探す楽しみもあるからです。
自分を知るということがいかに大切かということを、
自分を知れば知るほど、痛感する最近です。
私にとっての結婚は、相当学ぶことが多かったな。
いい経験させてもらったな。
そう思うと、元夫には相当感謝だな。
もう二度と顔も見たくないし、声も聞きたくないけど(爆)