大事な主人との出来事を
思い出してみました
主人と再婚したのは
40代になってから
(お互い再婚同士)
2008年に出会い
2009年に結婚しました
TVでよく見かける商店街の
ある場所に住んでいました
(当時、私の次男と三人で)
2014年に進行性の難病だと
わかり落胆しました
本当に辛くて悲しかったです
発見が早くても治らない
多系統萎縮症という
段々動けなくなる病でした
平均で9年~10年で
亡くなるという病です
主人は発病後9年半です
主人は、自分でその認識はなく
「動きが悪くなる病気」程度の
認識でした
父が他界して
2015年に今の私の実家に
引っ越ししてきました
当時は母もおりました
(2019年4月他界しました)
前回のブログで書きましたが
主人は
NGが出る2018年6月まで働き
私も精神的におかしくなり
そうでしたが
2018年11月まで外での
仕事をしていました
私は
とにかく外で働いて
出来るだけ貯金をしました
どうしても主人の病気を
治したくて
民間療法も使い
抵抗をしましたが
当時のケアマネージャーに
「そんなにしても
IPS細胞は、2030年ですってよ
諦めなさい」と
言われました
酷い
ショックのためケアマネを
変更しました
主人を救いたかったんです
どんな方法でも
治るかもしれないとか
誤診かも?とか
思いたかったんです
でも主人の病気は待ってくれなくて
2020年には誤嚥性肺炎で
気管切開
続く胃瘻造設
が虚しく行われました
その時の
少し入院が長引き
主人が記憶違いをして
「二階に俺の金があるから
束にしてまとめてね」と
(数百万ある認識)
退院前
スピーチカニューレを
使って
私に言うんです
「二階にはお金ないよ」と
言っても
きかなくて
二階に上がりたがりました
廊下歩行程度は出来ましたが
もう階段を上る力は
ありませんでした
「二階に俺の革靴がある」と
言い出して
どうしても
見に行くと言った時がありました
2020年の12月24日夜でした
(私は記憶力だけが取り柄です)
デイサービスのクリスマス会に
履いていきたいと
言い出したら聞かないので
廊下まで行き
階段を気持ちの勢いで
5段目まで上りました
主人は力尽きて
座り込みました
13段の階段
「どうしても上がりたい」
落ちるのを心配しながら
座らせたまま
主人の脇を持ち
一段ずつ引っ張り上げました
二階の一番奥の部屋に
横にして
二部屋通し越して
ずりずりずりずり
引っ張り
「もう無いんだよ」と
私も半狂乱で
泣き叫びながら
連れて行きました
押し入れにも
もう無いけれど
上の段を見せるために
立ち上がる力は
主人も私もその時は無くて
入っていた入れ物を見せて
「ほらね
もう売りに出すって
言ったでしょ?」と
泣きながら
言って
(主人に売る事は、許可済みでした)
階段を下るのにも大変でした
この作業に30分以上かかりました
主人
おしゃれだったので
デイサービスで褒めて
もらいたかったんです
でもワイシャツと、
スラックスをはいて
おしゃれで褒めて
もらっていました
でも様々な思い出も
今になると私は自責してしまい
「ごめんね🙇にこちゃん
靴売らなければ良かったね」
「頑張って働いたよね」
「頑張ってリハビリもしたよね」
「頑張って生きたよね」
「ごめんね 助けられなくてね」
主人は
人を
僻むこともなく
人のせいにもせず
素直に健気に
生きてくれました
そんな可愛くて愛おしい主人を
思い出し
もう一生会えないんだと
思い出して
泣いてしまいます(´;ω;`)
明日は26日
5か月目の月命日です
東京では7月の新盆も
12日にお願いしました
今朝も
「夕飯は八宝菜にでもしようかな」と
母まで生きていると
勘違いして
落胆しました
毎日、後悔と悲嘆の連続ですが
でも主人に出会えて
過ごせたこと
毎日大笑いして
過ごしていた日もあったから
その想い出を抱きしめて
生きていきます
にこちゃん
私を忘れたりしないで
どうか
覚えていて
会ったらあなたに
抱きついて
きっと「ごめんね」って
言うんだろうな
でも
許してね
大好きだからね
そして
私を妻にしてくれて
ありがとう
好きになってくれて
ありがとう
私の方がもっと
好きだからね
図書館で借りてみました
ちょっと私には
しっくりこなかったですが
また色々探してみます