今まで書いてなかった
父と母の事に触れますね
父はそう昭和はじめ生まれの
生粋の昭和人間でした
(良くない意味で)
酒乱で、殿様で愛人も
数人いたと思います
母は優しいけれど
芯は強い人
父に絶対服従で母は父にとっては
良い奥さんのように
映っていたはず
二人とも娘三人には
あまり興味なかった親でした
(長女の私と年子で双子の妹達
祖父母に育ててもらいました
言わば産みっぱなしです)
殿と女中のような母と
愛されない娘の家族でした
愛されてないと常に
幼心に思っていました
私が小学校1年の時交通事故
(バイクとの接触で頭部を打った時)
父も母も
加害者に
免停になりたくないのでと
言われて
警察に届けることを
しませんでした
大人になって
気付いた事は
「頭部を事故で打って後遺症
出るかもしれないのに
何故加害者を許した?」と
聞いたら
父に「加害者も被害者なんだ」
と
怒鳴られました
父も母もその人の名前も
住所も
聞かず
許したそうでした
もっともっとここには
書けないくらいのことも
ありましたが
ブログの本来の目的と
ずれるので
辞めておきます
悲しかったけれど
私は仕事のために
セラピストの勉強をし
父への接し方を変えたら
最後の方は父の態度が
軟化したように
感じました
両親に愛された感覚は
無かったけれど
私は主人を愛せた
主人の事は
今、生きる方向性も
わからなくなるほど
辛いほどに
愛せた
反面教師かもしれないけれど
辛かったけれど
最後の父との関係は軟化した
気がしました
すっと仏頂面だったの父が
笑顔になりました
母は父が(肺がんによる急死)
亡くなって
正直
伸び伸びとして
人生を楽しんでいたから
我慢してきた部分が多かったようで
解き放たれたように
老後を楽しんで
ショートステイ先の
ヘルパーさんに恋をして
(孫くらいの歳の)
人生を謳歌していたのです
こんな母を見て来たので
配偶者を亡くすって
正直こんなに悲しくて
辛くてしんどいと
思わずに
予想外の虚無感に戸惑っています
ですが
両親のお陰で
住む場所は
あるので
感謝しています
両親の遺影にも
毎日
ありがとう
と伝えています
愛されたと感じなくても
主人をとても
愛すことが出来る
自分になれて
良かった
ブロ友さんのブログを拝見して
思ったけれど
相手を変えたければ
己を変える
と
辛かったけれど
乗り越えるには
自分を変えないと
求めるだけでは難しい
私ごときも
そう思います
私の苦労も無駄ではなかったと
思いたいです
世界一好きな主人に
出会えて
悲しいけれど
その大事な時間を
持つことが出来た
それは両親が産んでくれたから
そう脳内変換して
天国では
三人で
過ごしてほしいから
他人には優しい父だったから
そしてご報告です。
昨日ごたごたしていましたが
「よりそいホットライン」一人で悩むよりまず相談を (279338.jp)
今日
「よりそいホットライン」に
電話が繋がりました!!
悩んでいる方は
根気よくかけてみてください
生きる方向性を
ゆっくり決めればいいと言ってもらいました
そして
地域の保健センターにも電話して
保健師さんとの面談も
お願い中です
探せば色々あるし
話聞いてもらうだけでも
ホッとしました
主人のために練習した歌
「あなたがいるだけで強くなれる」という意味の
荒川静香さんがオリンピック?で使用した曲です
今日も一日何とか過ごすよ
にこちゃん
見ていて
そちらに行くまで
待っていて
そっちに行ったら
抱きしめてね