忘れられない震災の日ですショボーン

 

石川県の皆さん

まだ平穏な日々ではないと

感じますが

平穏で

ご無事な日々が

来ますことをお祈りします

 

 

2011年3月11日

 

主人の実家は、東北です

 

 

当時主人は、普通に仕事に行き

私は、埼玉の店舗に

仕事に出ておりましたバス

 

 

地下で仕事をしていたので

揺れているとは

思いましたが

正直

 

「揺れたな」と思った程度でした

 

 

外に出ると商業施設の

窓ガラスが割れていて

恐ろしさを感じましたガーン

 

 

気付いたら電車も停まり

私は帰宅難民になりましたショボーン

 

 

同業者の自宅に私は

運よく泊めてもらえました

(当時から不眠症だったので

出掛ける時は必ず

睡眠導入剤を持参して

おりました)

 

 

 

 

主人には固定電話に掛けたら

比較的

すぐに連絡が取れた記憶が

あります不安

 

 

 

息子達にはなかなか

電話が繋がらず

長男からやっと

「生きてるか?」と

電話がスター

 

全員の無事を知りました

 

 

 

主人は一生帰らないと

言っていた

東北の実家

不安でオロオロしていたようです

自宅が

流されているかも?とショボーン

 

 

何とか連絡先を調べ

繋がれることが出来ました

 

 

5月に東北に

(発病前)

主人の運転で行きました車

レンタカーを借りて

東京から向かいました

新幹線はまだまだ難しかったのです

 

 

逆に今は

私が主人の実家に

助けられていますおじいちゃんおばあちゃん

 

 

前書いた

ブログにもUPした

写真がこれです

 

 

陸に乗り上げた船

 

 

 

街並みはこれでした

 

 

 

虹がでていました

逆に恐ろしい気持ちでした

 

お陰様にて

主人の兄夫妻

当時は父も無事でしたし

弟夫妻も無事でした

(義弟夫妻は自宅津波で

が流されました)

 

 

3.11を検索すると石川県や東日本大震災に

10円寄付出来るそうです

 

 

 

恐ろしい思い出で

忘れられませんえーん

 

 

土曜日

主人のデジカメで撮影した

写真を整理していましたら

色々出て来て

 

他の想い出の写真です

 

 

しんみりしましたえーん

 

 

 

今朝も寝ぼけて

「あれ?今入院してるんだっけ

にこちゃんは」と

考えるのか癖になって

一瞬勘違いしました

 

 

「もういないんだ」と

思いながら

抱き枕にしがみつきました悲しい

 

 

そして今自分が出来る事は

出来る事だけやることにし

最低限にやることを整理しました

 

 

デジカメ写真の事は後日書きます

 

 

今日は2011年3月11日

の事だけ記します

 

良かったことは

主人の

にこちゃんの

実家に繋いでもらえた事です

にこちゃん

ありがとう