うちの主人の病気は
神経難病の一種です
多系統萎縮症という病気でした
最初、2014年辺りから主人が
職場で「〇〇さん(主人)歩いている時
ふらついているよ」と
言われたそうです
そういえば、なんとなくそれ以外の
いつもと異なることが多く
なってきました
下痢症だったのに
便秘になったり
寒がりだったのに
そうでもなくなったり
めまいがするとか
飲み込むとき変だとか
何だかわからないけれど
症状が出てきました
ネットで調べて(主人はそういうことは
わからない人)
私が「男性更年期?」と思い
大学病院に連れて行きましたが
そうではありませんでした
その時期が、5月くらいでした
自宅から自転車で行ったのに
主人が乗っている
自転車のバンドルがぶれると
言ってもいたので
それも驚きました
わからなかったので
私の(当時)行っていた
心療内科に連れて行き
それも違うと
その病院の中の神経内科に
紹介されました
急遽入院が決まったのが9月
一週間の検査入院でした
その間ネットで色々調べつくしたのが
主人の一番言われたくない
病名でした
当時調べた病名が「オリーブ橋小脳萎縮症」
=多系統萎縮症でした
ネット調べると余命9年~10年
というのが
出てきます
退院の説明時には
口頭で説明はなく
病気をの説明をプリントアウトされた
ものを渡され
(余命云々を書かれていないもの)
「切り取って治る病気ではありません」
とだけ告げられました
その後の通院でも特に
どうなっていくという事は
言われず
主人は自分で調べたりはしなかった
ので
(インターネットで調べたり
何かで調べるという知識が
ない人なのです)
「難病」という事だけは
理解していました
私だけ調べて知っていて
悲しくて悲しくて
その当時良く自宅で泣いては
主人に慰められていました
あなたのために悲しんでいるのに
悲しんでいる私を慰めてくれる
んです
仕事は出来るだけしてください
とだけ
病院に言われていたので
2018年まで
主人も私も仕事をしていましたが
何とかして
治せればと色々迷走し
民間療法に頼り
2015年自宅から2時間くらいかかる
千葉県の某所のヒーラーさんに
治療してもらいに行きました
その場にいる時は元気なのですが
良くはならないので
行くのを辞めました
アメリカのヒーラーさんに
国際電話で施術もしてもらったりも
しました
全部私の独断で決めて
藁をもすがる思いでした
大阪にインド人の医師が
来日するという事で
泊りがけで行って
マルマセラピーという
施術を受けにも行きました
色々やって病気に抗っていました
2018年には東大病院の
治験にも参加し
(この頃はもう歩行器使用)
これで治ってくれ~と思ったし
治験が当たった時には
嬉しくて
興奮しました
もしかしたら
治るかもしれないと
ユビキノール
コエンザイムの治験でした
プラセボ(偽薬)と本物の治験と
どちらかわかりませんでしたが
一時的に良くなったような
感触もあったのですが
その薬も正式に治療薬としては
未だに認可はされていません
その間、尿閉もあったので
尿カテーテルも
つきました
主人は私の言われるまま
黙ってついてくる感じで
(理解力があまりない人)
必死に何とかしなきゃと
主人に降りかかるものを
取り払う作業を
していた感じでした
介護の先輩にも
旦那さんに決めて頂いては?
とアドバイスを
皆さんに
頂きましたが
言っても理解できる
タイプではないのです
何とかしなきゃと
正直気負っていました
主人が楽天的な部分にも
随分助けられていました
2019年くらいには
車椅子を使うように
なりました
一気に悪くはなりませんが
徐々に
歩行がこんなになり
呂律も回らなくなり
嚥下も悪くなっていく病気です
2020年に誤嚥線肺炎になり
6月に気管切開をしました
急な事だったので
心の準備もなく
声もしっかり録音すればよかったと
(入院してすぐ手術だったので)あとで
後悔しました
これが一番辛かったし
コロナ禍でだったし
面会もしにくくなっていたし
その後すぐ9月に胃瘻もつき
2021年までは室内歩行も
出来ていましたが
胃瘻から経鼻管経腸栄養になり
2022年は入退院の繰り返しでした
12か月中10か月くらい
退院してきた時は
もうすっかり体が動けなくなり
手も動かなくなり
表情も硬くなっていました
自宅でリハビリしたら
少し戻って来て
少しの笑顔も出てくるように
なりましたが
2023年2月の胃瘻へ戻す手術
以降は順調に良くなっていたので
亡くなる前まで立位の
練習もしていたくらいでした
こんなに急変が起きるなんて
医療従事者の方々も
もちろん私も
誰も思っていなかったので
無念でたまりませんでした
主人が亡くなったのは
2023年の11月ですから
ちょうど余命と一般的に書かれている
9年半くらいでした
(発病時は2014年の5月とされていたので)
主人
にこちゃんは
リハビリ辛かっただろうけれど
管(胃瘻も気管切開も)取れたら
治ると信じて頑張っていたので
私もそれは否定せず
応援していました
少年のような赤ちゃんのような
純真な心を持った主人を
守ってあげられなかったな
これからもう少し
一緒の時間が持てると
思っていたのに
難病ブログで書いていた方
この病気で23年生きていた
方もいらしたようなので
覚悟もしなければいけないのかも
しれませんでしたが
期待もしていました
IPS細胞が正式に認可されれば
神経難病なんて良くだろうに
途中、誤診であったら
と思ったこともありました
ブロガーさんで
実際誤診であった方も
いらしたようなので
(その方はパーキンソン病
だったようです)
我が家もそうなりたいと
願っていました
昨日の夜
主人の病気の事を
こちらでは書いていなかったので
書こうと思いつきました
今週 東京は天候があれています
私の心も
良くなる日もありますが
担当看護師さんも
2週間ほど休んでおられて
心細くなっています
主人のカラオケ動画を観たりして
懐かしんでいますが
ちゃんと声
録音しておけばよかった
スピーチカニューレ
(気管切開をした人用の発音
出来るチップ)
で喋った声の録画しか
残っていませんが
「好きだよ」と
言ってくれているのがあります
名前も呼んでもらって
録音しておけばよかった
でも
私は大好きな人と結婚できたこと
出会って15年
結婚して14年
(再婚同士)
人生の大事な時期を
過ごせました
あとは私がどうやって
上手に乗り越えるか?
試行錯誤して
行こうと思います
今日もにこちゃんの
遺影は笑顔ですから