(はてなブログ2016-09-18upのブログです)



いやぁ、ブログを始めると、いろんな事を綴りたくなるものですね。


頭の中に今まで経験したいろいろな出来事が駆け巡ります。



人生で一番悲しかった事は、ガンになった事でも抗がん剤でつるっぱげになったことでもありません。


さかのぼる事10年前。


まだ結婚していた頃。元ダンナの件です。


私は28才で結婚。

ダンナも同い年。

職場の同僚として出会いました。


私はインストラクター。

彼は仕事のできる商社の営業マン。

背も高く細身でスーツも私服もオシャレ。

そしてどんな人も分け隔てなく応対する素敵な人でした。

そしてとりわけ音楽が好きでクラブ遊びを一緒に楽しめる、、というか遊びもスマートにリードしてくれる男子。


まるで高校の同級生に会ったかのように私達は仲良くなりました。


友達から恋人関係になりそのままゴールイン。

実に順調。


新居も憧れの自由が丘。


バブルも絶頂でしたから一生この楽々人生が続くものだと思っていました。


お気楽ね。わたしのオツム。


結婚も5年が過ぎた頃、だんだんダンナの元気がなくなってきました。


鬱病になっていたのです。


それまでの彼は、受験勉強をして一流大学に入り、就職しても営業マンとしていい成績をおさめ、先輩からは目をかけられ、後輩からはリスペクトされ、女子受けが良く(分け隔てなく接するため)、、と絵に描いたようなパーフェクトマン。


なのに鬱。


どうしてなのか、、


彼は自分の思い描く¨パーフェクトマン¨になるために、必死に自分を作っていたのです。


本当の自分とのギャップが出始めて、修正が効かなくなってきて、疲れて果ててしまった、、それが鬱の原因です。


涙ながらに(彼が人前で泣くなんて考えられない性格です)告白されました。


もぅ、会社という組織で俺は生きていけないと。頑張って自分を作ってきたけど限界だと。


、、私は受け入れ、そして許しました。


私はフツーの社会でフツーに生きていけるだけの精神を持っていました。


でも実は私も子供の頃にはかなりの神経質で、たぶんきびしい親だったらノイローゼまっしぐらだったはず。

だが母が私の性格を理解してくれ、のんきに、そして放任主義で育ててくれたおかげでフツーになったのです。


だから、私はダンナを許しました。

母のように。


私が会社で働いて一定の給料稼ぐから、あなたは好きな事すればいい。

一度切りの人生だ。

¨これがやりたい!¨と明確な物を持っているなら、そーゆー人はそれをすればいい、と。


そしてダンナはDJになった。


私の態度に彼はとても感謝していた。(そりゃそーだ!)


でも、鬱はずっと治らなかった。。



そして10年前のタイ、パンガン島での出来事。


その日、山肌にバンガローが点在する所に宿を決め、ランチを食べ部屋に戻った。


とっても気持ちのいい日で、部屋に入ってベッドに寝転んだとたんに睡魔に襲われ眠り込んでしまった私。


いつもなら昼寝なんてしないのに、、でも、入り口のテラスではダンナが音楽聴きながらタバコ吸ってるし、、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ寝よう、、、


ハッ、と目が覚めたらもう日が暮れている。

ダンナもちょうど起きたみたい。

ん?やつも寝てたか〜。ははは。


じゃあ、山下りて夕飯でも食べに行こう!となり自分のポーチを探したが見当たらない。


確かベッド上の棚に置いたような、、んー、クローゼットにしまったんだっけ?


と、どこを探しても無い。


部屋はというと、窓は開けっ放し、ダンナがテラスにいたが部屋のドアも開けっ放しで寝ていたようだ。


、、やられた。盗まれたのだ。


そのポーチには現金は数千円しか入っていなかったが、部屋の鍵と、なによりセキュリティボックスのキーも入っていた。


時計を見ると夜の9時をまわっている。


そのバンガローのスタッフはみな通いなので明日の朝までフロントには誰もいない。


フロントといってもほったて小屋にかろうじてチェーンロックしてあるだけで、男の力をもってすれば簡単に壊せるような建物だ。


セキュリティボックスには、パスポート、クレジットカード、帰りの旅券を預けてある。それ盗られたらもう大変!


私はガックリしていた。

うっかり眠り込んだ事をものすごく反省した。


もちろんダンナにすぐ謝った。


そんな私に、、打ちひしがれている私に彼は刃を向けた。


「どーすんだよ!!警察呼んでも盗られたものはもどってこないからなっ!それに書類もいっぱい書くんだからなっ、英語で!おまえがやれよっ!」

「それに帰りのチケット盗られてたらどーすんだよ。今からフロント行って見てこい!盗られてなくても明日の朝までスタッフが来るまで見張ってろっ!」


その間、椅子を床にガンガン叩きつけながら怒りを爆発させている。


まだドロボーがその辺りにいるかもしれない、しかも夜中に女一人を人っ気の無い所に行かせるつもりだ。


私はとてつもなく悲しかった。

理由はドロボーにあった事ではもちろん無い。

彼の態度だ。


ダンナが鬱になってから、収入がなくても、ずーっと、ずーっと応援してきた。

彼の音楽(選曲)のセンスを誰よりも信じファンとして支えてきた。


それがこの顛末。


なんてことだ。。


ふと、中学の時の先生が言っていた言葉がよぎった。


「自分のタバコの火の不始末で火事を起こしうなだれているダンナさんに向かって、それを罵っている奥さんを見ましたが、そのような行為は人間としてやってはいけません。反省している人に更に追い打ちをかけるのはしてはいけない行動です。」


、、私はそんな人と結婚したのだ。


人生で一番悲しい時間だった。。


悲しすぎると涙も出ないもので、

ココロはシーーンと

冷えきっていた。


(その2へ続く)


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