バレなければいいという生き方
自分がやったとバレなければいいと思っている人はとても多いと思う。
匿名だと失礼な人とかいっぱいいるし。
バレなければ、社会的な罰はない。
バレなければ、許されない事も許してもらえる。
まあそうなのだが、はっきりいって僕はそんな人生をすごすのは嫌です。
まず、何度か書いているけど
そもそもの僕の価値観の前提として
人生の価値とは、その人が生まれた世界と生まれなかった世界の差だと思っている。
つまり、「僕」とは、
「僕が死ぬまでに行った全ての行動が世の中に残した影響、変化、差の合計」である。
それゆえに、僕の人生において重要な問いは
「結局、僕って、世界にとって生まれたほうが良かったんだっけ?」というものだ。
この考え方が正しいのかなんてことは知らないけど
死ぬまでに生み出した「差」こそが人生の価値であると考えるならば
「バレたかどうか」というのは自分の価値とは関係がない。
バレずに「いい人」と思われていたところで
僕が生まれたことによって世界に悪い差を残したという事実は動かしようもないわけで
死んだときに
「生まれてこなかったほうが世界にとっていい人間だった」という事実が残るだけである。
逆を言えば、誰にも認められなかったとしても
人を幸せにした人生にはすばらしい価値がある。
誰のおかげか認知されていなくても
死んだ後の世界に小さな幸せが残っているならば、それこそが生きた証でしょう。
優しい言葉をプレゼントしたり、人を喜ばせたりして
残された人がその良い事を広げてくれたとしたら
そこに残したポジティブな差は死後の世界にちゃんと残って人生の意味を形作ってくれると思う。
そう やって少しずつ積み重ねていけば、
きっと「生まれたほうが良かった人」になれる気がする。
バレなければ許される。他人に許されるかどうかで行動を変える。
しかしそれで、差が消えたわけじゃない。
息をはいても、人と他愛のない話をしても
そうしたものの全てが「自分が生まれた世界と生まれなかった世界の差」をかたち創ってる。
そのすべてが、僕たちが生まれた足跡としてバッチリ世界に残ってるんだよ。
だから、死ぬ前に、どんな足跡を残すか?
そのとっても単純な問いが、僕にとってはとても大事です。
「バレなくて許してくれもらえたからそれでいい」人生じゃ、
死ぬときに振り返って、きっと耐えられないんです。
それが誰の足跡かわからなくても、そこに確かに残された足跡こそが自分だよ。
足跡に名前が書いてなければ、その足跡でいいのか?
名前が書いてあるかどうかが大事なのか?
ちがう。
大事なのは、どんな足跡なのか、だけだ。
それなのに、足跡に名前が書いてるかどうかに支配されて、生き方を変えるのか。
認められようと、認められまいと、自分が生み出す差が何かに神経を集中させることが
信念のある生き方であり、主体的な生き方なんじゃないのか。
というわけで、まあ思うところは色々あるのだけど、最終的に大切なのは、一度しかない人生が
「自分が生まれたことで世界に悪い差が残った」、という
しょーもない人生だった・・・ということでOKなの?
それで妥協できるの?ではなかろうか。
そもそも、人間なんて不完全で、生まれだけでも悪い差を多少生まれるのは避けられないのだから
せめて、合計すると良いほうが上回るように気をつけるしかないわけで。
まわりの優しい人たちにお世話になって生きてきた分際で、
バレなければ許してもらえるからといって
のんきに悪い差を残して余裕かまして死んでもOKなほど、人生は安っぽいもんじゃない。
こんなしょーもない文章が、僕が一生会うこともない知らない誰かに読まれていたとしても
その差がすこしでも良いものであるといいな。
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上記の記事(1)はアメブロを書き始めた5年前に
アメリカの日本語SNSで話題になっていたブログ(著者不明)を知人から送ってもらい、
文末に数行のコメントを添え掲載したものです。
数日前、その記事に「いいね!」をいただきました。
(こんな古い記事を読んでいただき、恐縮です)
どんな内容だったのか忘れていたので読み返してみました。
(700編近く書いていると本人でもどんな記事かは憶えていません)
「一生会うこともない知らない誰かに読まれていたとしても…」
うん、これSNS「ブログ」の醍醐味だと思う。
「バレなければいい…」
最近の出来事に符合すると感じました。
「このハゲ~!」と運転中の秘書を罵倒した国会議員
「地獄を見せてやる!」と無実の中学生を無理矢理に自白させようとした警視庁の警察官
「バレない」と思ったんでしょうね。
でも今はみんな「ICレコーダー」や「スマホのボイスメモ」を使い熟しますよ…
バレずに「いい人」と思われたい…
バレなければ「許して」もらえる…
製薬会社と精神医療関係者の「利益相反」、
「子宮頸がん予防ワクチン」の定期接種再開にやっきになっている人たち…
お気のどくですが、もう「バレてます」よ…
nico
(1)バレなければいいという生き方(2012年7月4日掲載)
http://ameblo.jp/nicolas2012/entry-11293994533.html