「人格」は精神医療の対象ではない… (反社会性人格障害という概念) | あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

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いつの間にか前期高齢者になっていました。65年以上生きてみると 色んな事を経験しました。「達成」「失望」「離別」「病気」...
それぞれの経験に意味があると最近思います。お会いすることのない、どなた様かのお役にたてば幸いです。      

「反社会性人格障害」という障害名がDSMに掲載されている。WHOによるICD-10 (疾病及び関連保健問題の国際統計分類)においては「非社会性パーソナリティ障害」F60.2)として表記されている。

 

「反社会性人格障害」の発症率は、アメリカの疫学的調査によると人口の1.03.0%と見られているそうである(1)

このデータを参考にすれば、日本に於いても120万人~360万人も発症する計算になってしまう。

 

前回紹介した「人格障害のカルテ 理論編」(2)の一節に、興味深い「座談会」(14P~56P)が収録されている。

メンバーは、高岡健氏(精神行動学者)、宮台真司氏(社会学者)、羽間京子氏(心理学者)、岡村達也氏(心理学者)。

 

社会学者の宮台真司氏は…

反社会性と言う場合には、何かを社会性と見なす価値観と一体でしか、カテゴライゼーションがありえない。だから、何を社会性と見なすかということに、合意がなければいけない。ところが複雑な成熟社会では、一枚岩の合意は不可能です。その意味で言うと、精神科医の一部が平気で反社会性という言葉をお使いになる素朴さは大変驚きです。」

そして

「社会的な不備、あるいは制度的な不備を、ちょうど隠蔽するかのように、あるいは埋め合わせるかのように、人格障害という概念が日本では機能しはじめています。制度が不備なくせに、病気として隔離したままにする。」

「不適応になった人間に、適応不全の原因になった問題があると考えるべきか。それとも、不適応者を出さざるをえない社会システムの側に問題があると考えるべきか。そういう選択が社会学者にはいつも課せられている。」(39P)

と語っている。

 

これは「社会学者」だけではない、「社会全体」で考えるべき問題である。

 

精神疾患においては、身体のどこが悪いのかと考える前に、その人に「何が起こっているか?」を考えなければ誤った治療になる可能性がある。しかし精神科医の関心の的は、心の病を患った人の「人生」より、「精神疾患そのもの」だった。

 

「病気は治ったが患者は死んだ」(3)という言葉があるが、向精神薬により一時的に「鎮静」や「覚醒」で症状がおさまったかのように見えてもQOLが著しく低下し、所謂「ゾンビ状態」という人間本来の生活とはかけ離れた状態に陥る。

また本人の意思に反し「鉄格子のある病室」で四肢拘束されている「患者」が存在するのも事実である。

 

一度でも精神科(心療内科)を受診すれば「精神科受診歴有り」という烙印を押され、制度が不備なくせに、「精神障害者」というレッテルを貼り、「病気」として隔離したままにする。

 

同著の中で精神行動学者の高岡健氏は…

仮に人格(状態像ではない人格障害)を治療の対象ととらえるなら、それは常に人間存在全体を排除していく危険を払拭できないことになります。

― 中略 ―

人格障害と言う用語は、それを有する個人のためと言うよりも、そのように名付けられた人たちの排除を通じて社会の安定を図るために使用される傾向があります。8P

 

「人格」とは、生涯を貫く特性であり、「精神医療」の治療の対象とはならない

 

「人格」は、各々の育った「環境」に密接に関わり、特に「教育」「宗教」に多大に影響を受ける。

 

先日、「ISの戦闘員」に関する海外ドキュメンタリーを観たが、インタビューに答えていた戦闘員は、異教徒を殺傷することことは「神の教え」だと語り、ジハード(3)で戦死したとしても天国で多くの処女と交わることができると信じていた(4)

 

このような戦闘員たちは、日本人の価値観からみれば「人格障害」といえるのかもしれない。

論ずるまでもないが、殺戮に対する罪悪感やジハードによる殉死の善悪論は「洗脳」からの解放や「改宗」というプロセスでしかなし得ない。精神医療ではどうすることもできないのである。

極端な例ではあるが、ここにも精神医療の危うさをみることができる。

 

「人格障害」と名付けられた人たちの排除を通じて社会の安定を図ろうとする者達と共に「精神医療学会」と製薬会社は巧妙にビジネス・スキームを構築したのである。

 

悩める健康人に「自傷他害」の疑いをかけ、鉄格子のある「病室」へ送り込むことが、治療なのか?

 

治安の責任を法的にも、社会学的にも「人権」の視点で「何も学ぼうとしない精神科医達」に担わせていいのか??

 

治療が必要な精神疾患があることには異論はない。しかし「多動」であるのが当たり前の「子ども達」、「老化」に伴う「認知」の衰え、そして「性格」「人格」まで向精神薬の投与で治療しようとする「生物学的精神医療」には異を挟まざるをえない。

 

「精神科医達の意識」が変わらないのであれば、社会全体(特に人権派弁護士、福祉関係者、政治家etc.)が不適応者を出さざるをえない「社会システムの問題」を論ずることが今求められていると感じる。

 

先ず見直すべきは「精神保健指定医」の「特権(6)であろう。

 

nico

 

 

(1)DSM-Ⅳによる反社会性人格障害の診断基準

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/griffin/anti-social.html

 

(2)人格障害のカルテ [理論編]

編集・高岡健、岡村達也 発行所・批評社 2004525日 初版発行

http://miyadaibot.blog.fc2.com/blog-entry-112.html

 

(3)松長高野山真言宗管長が仰られたとされる「病気は治ったが患者は死んだ…」という言葉

引用 : 高野山真言宗・高家寺HP

http://mantra.way-nifty.com/kokeji/2013/10/post-d45b.html

 

(4)ジハード

イスラームにおいて信徒(ムスリム)の義務とされている行為のひとつ。日本では一般に「聖戦」と訳されることが多いが、厳密には正しくない。(Wikipedia抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89

 

(5)ジハードで戦死した者

ジハードで戦死した者は、この世の終わりに最後の審判がなされた結果、天国にいけるとされている。イスラームにおける「天国」は、緑なす木々に覆われ、果実は枝もたわわに実り、清らかな川が数多く流れて、快適な風がつねに吹きわたっている清浄なところであり、天国行きを許されたものに対しては、現世の酒とは異なり、いくら飲んでも酔わない美酒や最上の食べものがあたえられるという。『クルアーン』にはさらに、男性は天国で72人の処女(フーリー)と交わることができ、彼女たちは何回性交におよんでも処女のままである、と記している。(Wikipedia抜粋)

 

(6)精神保健指定医

退院制限を要するか、措置入院の症状が消退しているか、医療保護入院や応急入院を要するか、隔離や身体拘束など行動制限を要するか、退院請求や処遇改善請求をした患者の診察、措置入院患者の仮退院が可能かどうか、の判断をすることなどである。また、医療機関内で著しく不適切な処遇がある場合には、管理者に報告などして改善する義務も課せられている。(Wikipedia抜粋)