現役の大学病院の精神科医が「精神科医は患者を薬漬けにしている」と認めざるをえないと書かれている「本」が出版されたようだ・・・
タイトルは「生活習慣病としてのうつ病」(井原 裕、弘文堂)。
私も「ニコ呟・・・」で、「うつ状態」と「生活習慣」の事は何度も記事にしている。
精神科医の書いた本は「クズ本」だから、読まないと決めていたが、この本は購入し読もうと思っている。
著作者の精神科医「井原裕氏」の経歴を調べてみた・・・
1962年だから今年51歳か・・・
井原 裕氏は・・・
1962年 - 神奈川県鎌倉市に生まれる
1987年 - 東北大学医学部医学科卒業
1994年 - 自治医科大学大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)。後に国立療養所南花巻病院勤務
2001年 - ケンブリッジ大学大学院博士号(Ph.D.)取得
2002年 - 順天堂大学医学部精神科講師。後に同准教授
2008年 - 獨協医科大学越谷病院こころの診療科教授
医学者、精神科医。専門は精神病理学、司法精神医学。獨協医科大学医学部教授。医学博士、哲学博士。
哲学博士とは、科学部、物理学、天文学などを含む自然科学のみならず、社会科学や人文学をも含む広範な学位となっている。
検索で「著書名」と「著者」を入力したら井原 裕氏のインタビュー記事があったので部分抜粋します。
以下「うつ病の怪 「悩める健康人」が薬漬けになった理由」(1)より引用・転載
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かねてより、マスメディアでは精神科医による薬の多剤併用が指摘され、多くの患者が薬から離れられず悩んできた。どうしてこれほどまでにうつ病患者が増えたのか。また薬の多剤併用が繰り返される裏には何があるのか。今回『生活習慣病としてのうつ病』を上梓された、著者で、獨協医科大学越谷病院こころの診療科教授の井原裕氏に話を聞いた。
以下、井原氏コメント抜粋
私は、大学病院に所属する現役医師です。だから「精神医学」の立場に立っているのであって、「反精神医学」の立場に立っているわけではありません。同僚を裏切るつもりもありません。
ただ、向精神薬の多剤併用や大量投与については、批判するマスコミに一理あると思います。
批判に対して、精神医学側はこれ以上「知らぬ存ぜぬ」を決め込むこともできないし、センセーショナリズムだとして逆にマスコミ批判をし返すなどできないと思います。
マスコミは怒っています。国民だって怒っています。私は少数の同僚を敵にまわすことよりも、1億の国民を敵にまわすことを恐れます。
逆に言えば、1億の国民の批判を少しも恐れない精神科医同僚たちを見ていると、「なんて度胸があるんだろう」とも思ってしまいます。
99年に最初のSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が日本で発売されました。同時期に、製薬会社はうつ病を啓発する一大キャンペーンを開始しました。「うつ病はこころの風邪」というフレーズをご記憶でしょう。
しかし、厚労省の気分障害の患者数を見ると99年を境に突然伸び始めています(99年の患者数は44.1万人、02年では71.1万人)。これと同じ傾向を示すのが、抗うつ薬の市場規模の推移です。
グラクソ・スミスクライン社がサイト上で公開しています。患者数の増加と薬の市場規模の推移が正確に一致しています。うつ病キャンペーンによって「私もうつ病ではないのか」と思った人が病院に殺到した。
その人たちに精神科医は処方箋を書いた。SSRIは飛ぶように売れた。すべては製薬会社の思惑通り。まあこういうことですね。
SSRIは80年代の後半から欧米で使われ始め、90年代には一大ファッションとなりました。しかし、当時から「効くぞ!効くぞ!」との喧伝のわりに「そんなに効かない」という患者の声も聞こえてきていました。
SSRIが日本で発売された頃、欧米ではその弊害が明るみになり始めていました。まずBBCが「Panorama」という番組で、ある製薬会社の情報操作疑惑を追及しています。
SSRIは一般に成人を対象にして承認された薬剤ですが、未成年へは有効性が未確立な上、自殺のリスクもあるとされています。しかし、同社はこの情報を隠蔽したと、BBCは指摘しています。
決定的だったのが、08年と10年に行われた研究です。まず、08年にイギリスのカーシュらがSSRIに関し、アメリカ食品医薬品局に眠っていたデータを未公開のものも含めて分析し直しました。
さらに10年にはフォーニアらが大規模なメタ解析を行い有力紙に結果を発表しました。2論文は、ともに抗うつ薬のうつ病への効果は、最重症例を除けば、プラセボとの比較優位性はないと結論付けています。
この2つの論文は、海外ではセンセーションをまきおこしましたが、日本の精神科医の多くは、読もうとしません。見たくないから目を塞いでいるのかもしれません。
また、精神科医の多くは薬物療法以外の治し方を知らないので、患者さんを治したい一心で薬を使い続けているのかもしれません。患者さんが「不安だ」と言えば抗不安薬を、「眠れない」と言えば睡眠薬を、「うつだ」と言えば抗うつ薬を、「治してあげたい」という熱い思いで出しているのでしょう。何か言えば、薬が出る。それが毎回の診察ごとに繰り返されます。受診するたびに薬漬けになっていくわけです。
患者さんが精神科医に求めているのは、「薬の自動販売機」ではありません。しかし、精神科医の中で精神療法を得意としている人は少ない。とりわけ深刻なのは、大学病院です。教師陣に精神療法が得意な人が少ないんですね。
ただ、精神療法への患者さんの期待が非現実な場合もあります。精神療法には、できることとできないことがあります。精神療法は魔法ではなく、かけてもらえばパッと治るようなものではありません。
患者さんの努力も必要です。患者さんに自分のこころや行動に気づいてもらい、自分の力で生活を変え、習慣を変え、行動を変えていただかねばなりません。治療とは第一に、患者さんに危機意識をもっていただくことなのです。
しかし、患者さんは驚くべきことに精神科医に癒しを求めてくる。
患者さんのニーズと、本人が自覚すべき課題との間には、巨大なギャップがあります。それを埋めていく作業も精神療法の大切な要素です。そ
のためには患者さんと医師とで話し合いをしなければなりません。そういうトレーニングが大学病院では不足しているのですね。
昔は精神科を訪れる患者さんというのは、自らの意志で来るというよりは、ご家族に連れられて来るような人が多かった。
しかし、ここ14、5年自ら進んで来る患者さんが明らかに増えましたね。ただ、それは悪いことではなく、我々医師としてはそういった新しいタイプの患者さんにもご奉仕させていただかなくてはいけないと思います。
自らの意志でやって来る方々は、「悩める健康人」であって、「脳の病気」ではない。
ところが、精神科医は「悩める健康人」と「脳の病気としてのうつ」とを区別することができません。
それに「悩める健康人」にどうご奉仕させていただいたらいいかわからない。
それで、とりあえず来院された以上は「病気だろう」とみなして、薬を処方しました。
薬は病気を治すためのもの。健康を創るためのものではありません。
それを「悩める健康人」に処方したのは大失敗でした。
この人たちに必要なのは、「健康に悩む」ように導くこと。
決して病気として治療することではありません。
2000年代に精神科医たちが行ったことは、「悩める健康人」を十把一絡げに「病気」と見なし、抗うつ薬を無差別投与したことです。今は、反省期にはいったといえます。
本書のタイトルも「生活習慣病としてのうつ病」です。うつ病には生活習慣病としての側面があります。
一般に生活習慣病というと、高血圧や糖尿病、高脂血症などを想像するでしょう。
そのための生活習慣の改善といったら、食事や運動、呼吸器の疾患なら禁煙などヘルシーな生活習慣への改善を思い浮かべることでしょう。
しかし、私が「生活習慣病としてのうつ病」という言い方をする場合の生活習慣とは主に睡眠です。十分な量の睡眠を取り、なおかつ睡眠・覚醒のリズムを整えることで、自律神経のリズムやホルモンのリズムも整い、ストレスに対する対応力も上がっていく。そうすることで、うつだろうが、不安だろうが、不眠だろうがよくなっていきます。
パソコンを使い、サイトにアクセスして、今この記事を読めている皆さんは、その大半が「悩める健康人」です。
人生の苦悩は深いでしょう。でも医学的には重症うつ病とはいえません。
批判よりも黙殺ですね。今、私は全国各地から講演に呼ばれます。多くは内科開業医などの地域医師会の皆さんです。つまり、まずはプライマリケア医の方々からご評価頂いたのです。最近、うつ病業界の重鎮の方から講演のご依頼を賜りましたが、精神医学からの反響は、これからでしょうね。
(引用・転載)うつ病の怪 「悩める健康人」が薬漬けになった理由
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3121?page=1
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「悩める健康人」に処方したのは大失敗・・・
ほんと、そうだと思う・・・
「悩める健康人」。 言い得て妙である。
井原氏は「薬をまったく使わないと宣言しているわけではありません。必要のない薬を使わないにすぎません。」と言う・・・
私も全く処方するな等とは言ってはいない。
ただし向精神薬の多くは、作用機序はいい加減だし、治験でプラセボとの比較も大差はなく、推奨論文もデータ捏造が多過ぎて「必要のある薬」などあるのか? という思いなのである。
精神科医で井原氏のような意見をメディアで発信される事は大歓迎である。
精神医学からの反響に臆することなく啓蒙を続けていただきたい。
Nico