10月10日・・・
ちょっと古い世代には「体育の日」
もっと古い世代には「1964年・東京オリンピック」開会式の日・・・
でも、私にとっては2年前「自死未遂」を起こしてしまった忘れることのできない日である。
私が「高所恐怖症」で腰が抜けなければ、今こうしてブログなど書いてはいないだろう
「13階」。 飛び降りてあの世に行くには充分な高さだった・・・
以前、ブログ仲間のパキシル・ジョーが私に言った
「向精神薬でゾンビになって、サバイバーした元社長さんって3人しか知らないな・・・」 と
そうかもしれない、
50歳も超え、借金苦から会社を潰したりして「うつ状態」になって「死にたい」と思うと、
私の世代は「首つり(憤死)」や「電車に飛び込む」などの確実な方法を選ぶような気がする・・・
リストカットやOD(オーバードース)などの「死ねる」のかどうか分からない方法はとらないのだろう・・・
偶然にも「自死未遂」した翌日がクリニックの「予約診察日」だった、
そして「治療中は、自殺はしません・・・」との誓約書を主治医の指示通りに書かされた・・・
その「誓約書」は今でも部屋の壁に貼っている・・・
今思うと主治医の「思惑」にまんまと嵌ったと感じている。
「自殺はしません・・・」と書いていたとしたら、それは「未来永劫」に
「自殺はしない」という約束をするというニュアンスにもとれた・・・
「治療中は・・・」ということは、ここに来る必要がなくなったら「死ねるな・・・」とその時考えた・・・
「ずっと自殺しない」って思うから辛くなるじゃないかな・・・
だったらとりあえず、今年のX’masまでとか、までとか・・・
マラソンじゃないけれど、「あそこのビルまで走ろう・・・」っていうのが大事なのかもしれない。
来年「桜が咲く」まで生きてみよう とかね・・・
今年の3月、「断薬」をした頃の話しです・・・
診察を終えたあと、主治医が話してくれた
「あなたがクリニックに またやって来るのか心配で、毎回あなたの顔を見るとほっとしていたんですよ。」と・・・
2年前の私は、とても「希死念慮」が強い患者だったらしい。
カウンセリングで「絵」を書かされたり、連想ゲームのような「質問」に答えたりする「診断」全てに
「危険な兆候」があったと話してくれた・・・
その頃はとにかく「電車に乗る」のが怖かった・・・
電車が怖いと言うよりも、「ホーム」が怖かった・・・
何度もホームに到着する電車に吸い込まれそうになった。
今でも、ホームでは中央で待つのが癖になってしまっている。
「断薬」して200日以上が経過した。
私の場合「希死念慮」はクスリが原因だったことは明らかである、今は「ガクブル」も「悪魔の囁き」も全くない。
今、この「瞬間」も「死んでしまいたい・・・」と悩んでいるあなたへ
どうせみんな「死ぬ」んだよ・・・
大金持ちも、精神科医も、政治家も、先生も、DV上司も・・・
嫌いな友人も、裏切った人も、助けてくれなかった人も・・・
あなたの愛した人も、大切な友人も、助けてくれた人も そう、みんな・・・
「幸せだ・・・」って思っている人も
「不幸せだ・・・」って思っている人も みんないつか 必ず死ぬよ・・・
どうせ死んでしまうなら、与えられた「寿命」を全うし、「死ぬ」その日まで生きてみなよ・・・
きっと何か いいことがあるかもしれないよ・・・
きっと何かが・・・
2013年10月10日、午後6時37分
Nicolas