「パコ・デ・ルシア」
ギターにそれほど興味はなくても、一度は聞いたことのある名前ではないでしょうか・・・
私はずっと「パコ・デル・シア」だと思っていました。正しくはパコ・デ・ルシア(Paco de Lucía)(1)。
サッカー選手の「ファン・ニステルローイ」(2)は、ずっと「ファンニ・ステルローイ」だと思っていました。
でもオランダ人に「マルク・ファン・ボメル」「マルコ・ファン・バステン」「ファン・デル・サール」「ロビン・ファン・ペルシ」・・・
「ファン」の付く名前が多いと知ってから間違いに気付きました。
外国の「地名」「人名」は勘違いして覚えていたりします・・・
別に大した間違いではないのだと思うのですが、ネィティブの人や専門家と話をするとき、「話が通じない」ことや「間違いを指摘」されたりします・・・
「ロサンジェルス」 正しくは「ロス・アンジェルス」で「ロサン・ジェルス」ではありません。
「Los Angeles」という都市名は、スペイン語の los ángeles、つまり「天使」を意味する ángel(アンヘル。男性名詞)の複数形 ángeles に男性複数定冠詞 los を前置したものに由来します。英語に直訳すると the angels 。
「サンタモニカ」は「サン・タモニカ」・・・・ ではありません。
「サンタ・モニカ」(Santa Monica)でした・・・ (笑)
ところで、「パコ」の話しに戻ります・・・
実は今、もう一度「フラメンコ・ギター」をギター教室に行って習おうかなって思っています。
きっかけは「フラメンコ・フラメンコ」(flamenco,flemenco / 2010 / カルロス・サウラ監督)という映画を観たから・・・
全編、踊りとギター演奏だけのBGVとしても逸品の作品です。
そのエンディングの曲を「パコ」が弾いていました。
それでは、今日はパコ・デ・ルシアの「Buleria por Solea」をお聴きください。
Buleria por Solea / Paco de Lucia
http://www.youtube.com/watch?v=zEhA5tu0ee0
Nico
(1)パコ・デ・ルシア
パコ・デ・ルシア(Paco de Lucía)はスペインのギタリスト。フラメンコやジャズの分野で現在も活躍しています。
スペイン、アンダルシア州カディス県の港町アルヘシーラスで生まれる。父や2人の兄もギターが弾け、パコもギターを習う。また、父の友人であるフラメンコ・ギタリスト、ニーニョ・リカルドやサビーカスからも影響を受けた。パコは後年、アルバム『Siroco』(1987年)に、「ニーニョ・リカルドに捧げる」という曲を収録。
わずか12歳で、兄のペペ・デ・ルシアとのデュオで初レコーディングを経験。1964年から数年間、リカルド・モドレーゴまたは長兄ラモン・デ・アルヘシラスとのデュオで活動。
1967年、カディス県サン・フェルナンド出身のカンタオール(フラメンコにおける唄い手)カマロン・デ・ラ・イスラとの初の共演アルバムを発表。1992年のカマロンの死まで共演は続き、フラメンコに大きな改革をもたらした。
1979年には、ジョン・マクラフリン、ラリー・コリエルとの3人で、アコースティック・ギター3本だけのツアーを行う。その後ラリーに代わってアル(Al Di Meola)が加入し、『Friday Night In San Francisco』(1981年)、『Passion, Grace & Fire』(1983年)を発表。この3人は、スーパー・ギター・トリオという愛称で親しまれ、1996年には再び活動を共にしている。
(Wikipedia抜粋)
スーパー・ギター・トリオの映像見つけました・・・
Morning Of The Carnival
/ Al Di Meola, John McLaughlin, Paco De Lucia
http://www.youtube.com/watch?v=w6WMuxx1Uco
(2)ファン・ニステルローイ
ルトヘルス・ヨハネス・マルティニウス・ファン・ニステルローイ "ルート・ファン・ニステルローイ"(Rutgerus Johannes Martinius van Nistelrooij "Ruud van Nistelrooy", 1976年7月1日 - )は、オランダ・北ブラバント州オス出身の元サッカー選手。
オランダ、イングランド、スペインの3つのリーグで得点王を経験し、UEFAチャンピオンズリーグでも3大会で得点王となった。また、2002年にはIFFHSの世界得点王にも選ばれた。
2011年10月1日のヘタフェCF戦で移籍後初得点を記録した。2012年5月14日に現役引退を表明した。
(Wikipedia抜粋)