移り変わる私・・・ | あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

いつの間にか前期高齢者になっていました。65年以上生きてみると 色んな事を経験しました。「達成」「失望」「離別」「病気」...
それぞれの経験に意味があると最近思います。お会いすることのない、どなた様かのお役にたてば幸いです。      

「私」とはいったい何でしょうか・・・?



私とは相手が居てこそ「私」です。


世の中にあなた一人だったら「私」は存在しません。



私たちは「根源的」に他者と関係することを求められた存在なのです。



他者を介してはじめて「自己=私」として存在していることに気付くことができるのだと思います。



これに気付けばお釈迦さまの説かれた「諸法無我」を少しは理解できるのかもしれません。



「諸法無我」の「法」は「存在」を意味します。



つまり「諸法無我」とは

「一切の存在は永遠的なものではなく、私の存在も仮の移り変わるものである」という意味です。



他者を介してはじめて「私」として存在しているとは・・・



他者が「息子」の場合、あなたは「親」であり



他者が「母」の場合、あなたは「子」であり



他者が「祖父」の場合、あなたは「孫」であり



他者が「上司」の場合、あなたは「部下」であり



他者が「先生」の場合、あなたは「生徒」であり



他者が「医師」の場合、あなたは「患者」である。



あなたは「親」で居続けることはできません



「子」「孫」「部下」・・・全て同じです。



全て移り変わる仮の姿です。



だからお釈迦さまは、


そんな実体のないものに拘ってはいけません



とアドバイスをされているのだと思います。



このメッセージの「拘ってはいけない」とは、



関係する「他者」、つまり「息子」「母」「友」「上司」を無視することとは違います



お釈迦さまは、むしろ永遠に続かない「親」の時間を尊び


「慈悲」の心を持って「有意義な時間」を過ごしなさい



とおっしゃられているのだと思うのです。



Nico