「私」とはいったい何でしょうか・・・?
私とは相手が居てこそ「私」です。
世の中にあなた一人だったら「私」は存在しません。
私たちは「根源的」に他者と関係することを求められた存在なのです。
他者を介してはじめて「自己=私」として存在していることに気付くことができるのだと思います。
これに気付けばお釈迦さまの説かれた「諸法無我」を少しは理解できるのかもしれません。
「諸法無我」の「法」は「存在」を意味します。
つまり「諸法無我」とは
「一切の存在は永遠的なものではなく、私の存在も仮の移り変わるものである」という意味です。
他者を介してはじめて「私」として存在しているとは・・・
他者が「息子」の場合、あなたは「親」であり
他者が「母」の場合、あなたは「子」であり
他者が「祖父」の場合、あなたは「孫」であり
他者が「上司」の場合、あなたは「部下」であり
他者が「先生」の場合、あなたは「生徒」であり
他者が「医師」の場合、あなたは「患者」である。
あなたは「親」で居続けることはできません。
「子」「孫」「部下」・・・全て同じです。
全て移り変わる仮の姿です。
だからお釈迦さまは、
そんな実体のないものに拘ってはいけません
とアドバイスをされているのだと思います。
このメッセージの「拘ってはいけない」とは、
関係する「他者」、つまり「息子」「母」「友」「上司」を無視することとは違います。
お釈迦さまは、むしろ永遠に続かない「親」の時間を尊び
「慈悲」の心を持って「有意義な時間」を過ごしなさい
とおっしゃられているのだと思うのです。
Nico