シャボン玉ホリデー | あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

いつの間にか前期高齢者になっていました。65年以上生きてみると 色んな事を経験しました。「達成」「失望」「離別」「病気」...
それぞれの経験に意味があると最近思います。お会いすることのない、どなた様かのお役にたてば幸いです。      

2012年6月15日にザ・ピーナッツのほくろのお姉ちゃん伊藤エミさんが永眠されていた・・・

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ザ・ピーナッツ(The Peanuts)は日本の元女性歌手(デュオ)、俳優である。

愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)出身、同県名古屋市育ちの双子で、略称「ピーナッツ」。

姉伊藤エミ(本名、伊藤 日出代(いとう ひでよ)194141 - 2012615日)、妹 伊藤ユミ(本名、伊藤 月子(いとう つきこ)194141 - )。愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)生まれ。ただしすぐに転居し、子供-学生時代は同県名古屋市で過ごす。

所属事務所はデビューより引退まで16年間一貫して渡辺プロダクションに、所属レコード会社は各社の争奪戦となり、ビクターレコードと契約寸前まで達したが逆転され195942日にキングレコードと契約した。

発売したシングル、LPの累計売上は1000万枚以上に達する。

愛知県名古屋市立西陵商業高等学校(現・名古屋市立西陵高等学校)を2年生の時に中途退学後、主に名古屋市内などで「伊藤シスターズ」名義で歌っていたが、1958年に同市内のレストランにて渡辺プロダクション社長の渡邊晋にスカウトされ上京。同社長宅に下宿しつつ宮川泰に師事し、歌唱レッスンを受ける。

1959211日、「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビュー、4月、「可愛い花」でレコードデビュー。1959617日から1970331日までフジテレビ系の歌謡番組『ザ・ヒットパレード』のレギュラーに抜擢される。

その後196164日から1972101日まで日本テレビ系の人気バラエティー番組『シャボン玉ホリデー』でメイン司会を務めた。

日本国外でも活躍し、『エド・サリヴァン・ショー』(アメリカ)や『カテリーナ・バレンテ・ショー』(当時の西ドイツ。現・ドイツ)、『ダニー・ケイ・ショー』(アメリカ)にも出演したことがある。

また女優活動も少ないながらも行っており、映画などにも数作出演。中でもモスラでの「小美人」役は現在もなお人気が根強くある。

和製ポップスを海外公演などによって世界に広めた功績は大きく、特に当時の東西両ドイツやイタリアでは、日本の歌手と言えば即座に「ザ・ピーナッツ」と連想されるほどの活躍振りも高く評価された。

1975218日に当時東京都千代田区有楽町の三信ビルヂングにあった渡辺プロダクション社屋にて記者会見を開き、現役を引退することを表明(1972年頃より引退を検討していた)した。

同年331日には番組開始時より数多く出演をした「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)にて引退記念特集「さよならピーナッツ」が組まれ、続く45日にはNHKホールにおいて、高橋圭三司会で「さよなら公演」を興行。

この時、渡辺プロの主要タレントがほぼ総出で見届けていた。なお、このさよなら公演は3月から4月に掛けて大阪・京都・名古屋でも行われていた。なお同公演を最後に芸能界を引退した。以後は現在に至るまで一切公の場には姿を現していない。

姉の伊藤エミ197564日に同じ所属事務所であった元・ザ・タイガースの沢田研二と結婚し、ハナ肇宅の隣に居を構えていた。その後1男を出産するが、19871月に離婚した。

その後20051223日より2006115日まで東京都千代田区にある丸ビルで「渡辺プロダクション創立50周年企画 「抱えきれない夢」 日本のエンターテインメントの50年」が開催され、会場内の「ザ・ピーナッツコーナー」の展示品に、上記のさよなら公演で使用されたマイクが伊藤エミ・ユミの提供により展示されていた。

二人が奏でるハーモニーとメロディは美しく温かく、抜群の歌唱力を持つ。ザ・ピーナッツ以降、数多くの双子歌手がデビューするが、ザ・ピーナッツ以上の音楽的才能を持った双子歌手は現れていない。今も数多くのファン及びザ・ピーナッツの現役時代を知らない世代を含めた各年齢層に、その歌声は愛され続けている。

グループ名は元・日本テレビの敏腕プロデューサー、井原高忠がグループ名、2人の芸名ともに名付けた。井原はのちにとんねるずの芸名も名付けている。

シャボン玉ホリデー(シャボンだまホリデー)は196164日から1972101日まで、日本テレビ系で毎週日曜18:3019:00JST)、1976109日から1977326日まで同局系で毎週土曜23:4524:15(日曜日未明0:15)に放送されたバラエティ番組である。放送回数は第1期が全591回、第2期が24回。

1期・第2期ともに、化粧石鹸メーカーである牛乳石鹸共進社(牛乳石鹸)の一社提供だった。

制作は日本テレビと渡辺プロダクション(後年タレント部門をワタナベエンターテインメントに継承)。渡辺プロが目下売り出し中の双子の女性デュオ・ザ・ピーナッツを主役に据えた音楽バラエティショーとして制作された。現場の指揮は、渡辺プロダクションの制作部長、松下治夫(現、株式会社ワイズメン代表)が執った。

このため、この番組は当初司会者のザ・ピーナッツの冠番組『ピーナッツ・ホリデー』として放送することとなっていたが、当初提供契約に難色を示していた牛乳石鹸が最終的にしぶしぶ行った経緯から同社より見返りを求められ、日本テレビが見返りとして番組名を『シャボン玉ホリデー』に変えた経緯がある。なお、牛乳石鹸の一社提供だったため、番組冒頭には乳牛の鳴声「モーォゥ!」と番組テーマ曲をバックに「提供・乳牛マーク・牛乳石鹸」が書かれていた提供クレジットが入れられていた。その代償として、テーマ題の最後に「ピーナッツ!」とサブタイトルを入れることにした。ただし、後年は「ピーナッツ!」のサブタイトルは省略された。なおザ・ピーナッツの冠番組は1本も実現しなかった。

番組はまず『牛乳石鹸提供・シャボン玉ホリデー!!』のタイトルコールに次いで、乳牛の鳴き声でオチとなるコントをやり、その後ザ・ピーナッツがテーマソングをシャボン玉の舞う中で歌い、毎回一つのあるテーマ(テーマ題の最後に「ピーナッツ!」というクレジットを入れた)に沿ってザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、並びに毎回登場するゲストを交えて、コントや歌、トークなどを展開。特に植木等の「お呼びでない…これまた失礼致しました」は番組を代表する伝説的なフレーズとして親しまれた。

1回からカラー放送で、生放送ではなく、カラーVTRに収録して放送を行った。収録は出演者のスケジュール上、深夜に撮影されることが多く、時には、明け方までかかることもあったという。OP及びED、テーマでも伺えるとおり番組の主役はザ・ピーナッツであるが、実質的にはハナ肇とクレージーキャッツとのW主演となった。

また、例年の8月にはクレージーが大阪の梅田コマ・スタジアムで特別公演を行うため、系列局である読売テレビのスタジオ(当時は東天満に存在)を使って収録したこともある。

19714月頃からクレージーは全員出演しなくなる(ハナ肇か谷啓が出演)。そして19725月からの約半年間は公開番組となり、井上順之(現・井上順)がメインをつとめ、この頃にはジャッキー吉川とブルーコメッツもレギュラーとなっていた。

なお、当番組は提供スポンサー探しに苦労したというエピソードがあり、最終的に提供することになった牛乳石鹸はしぶしぶ提供契約を結んだという。また、このような経緯があったため、日本テレビは牛乳石鹸からの見返りとして『ピーナッツ・ホリデー』を『シャボン玉ホリデー』に番組名を変えて対応している。ただ、視聴率が高かったため、結果的には成功ということになった。

通常『シャボン玉ホリデー』と言えば、こちらの第1期を指すことの方が多い。

2012615日にザ・ピーナッツ姉:伊藤エミが永眠した。

Wikipedia抜粋)

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Nico的にはザ・ピーナッツといえば「モスラの歌(モスラーヤッ モスラーヤッ )懐かしい」なんですが、探しても映像は見つかりませんでした・・・

余談ですがNicoの結婚披露宴の司会はハナ肇さんでした。

きっと今頃天国で伊藤エミさんとハナ肇さんはシャボン玉ホリデーの思い出話をしているのでしょうね

合掌

恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)

http://www.youtube.com/watch?v=qpCUBqfEFb0

ザ・ピーナッツ恋のフーガ

http://www.youtube.com/watch?v=8vbZj5XyXQE&feature=related