1975-1978年 男が集まると「キャンディーズの誰がタイプ?? おれは ランちゃん」
みたいな会話がいたる所で交わされていた・・・
ちなみにランちゃん50% ミキちゃん25% スーちゃん25%ぐらいだったと記憶する
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キャンディーズ(Candies)は、1970年代に活躍した日本の女性3人組のアイドルグループである。所属事務所は渡辺プロダクション。多くの楽曲は、当時渡辺音楽出版の社員だった松崎澄夫(元・アミューズソフトエンタテインメント代表取締役社長)のプロデュースによるものであった。
メンバー
伊藤蘭(ラン、1955年(昭和30年)1月13日 - )
田中好子(スー、1956年(昭和31年)4月8日 – 2011年(平成23年)4月21日)
藤村美樹(ミキ、1956年(昭和31年)1月15日 - )
1972年(昭和47年)4月: NHK『歌謡グランドショー』のマスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)として「キャンディーズ」誕生
1973年(昭和48年)4月7日: TBS『8時だョ!全員集合』のアシスタントとしてレギュラー出演
1973年(昭和48年)9月1日: 「あなたに夢中」でレコードデビュー(当時のメインボーカル・センター位置はスー)
1974年(昭和49年)3月17日: 代々木・山野ホールで初コンサート(800人)
1975年(昭和50年)2月21日: シングル「年下の男の子」リリース・初の大ヒットでオリコン9位を記録
1975年(昭和50年)12月31日: 「年下の男の子」で第26回NHK紅白歌合戦初出場
1976年(昭和51年)3月1日: シングル「春一番」リリース・オリコン3位を記録
1976年(昭和51年)12月31日: 「春一番」で第27回NHK紅白歌合戦出場(通算2回目)
1977年(昭和52年)7月17日: 日比谷野外音楽堂でコンサート中、突然の解散宣言
1977年(昭和52年)12月31日: 「やさしい悪魔」で『第28回NHK紅白歌合戦』に出場
1978年(昭和53年)2月25日: シングル「微笑がえし」リリース・初のオリコン1位を達成(3月12日付)
1978年(昭和53年)4月4日: ファイナルカーニバル(後楽園球場/55000人)をもって解散
2008年(平成20年)4月4日: CB HALLにて「全国キャンディーズ連盟2008大同窓会」開催(参加者2000名)
2008年(平成20年)9月3日: 20枚組ボックスアルバム「キャンディーズ・タイムカプセル」リリース
2011年(平成23年)4月21日: 田中好子が乳がんにより死去
略歴
キャンディーズのメンバーは、3人とも東京音楽学院のスクールメイツ出身。
1972年(昭和47年)4月に、NHKの新番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールとして3人揃って抜擢され、番組プロデューサーから「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」を意味して「キャンディーズ」と名付けられた。
歌謡グランドショーに出てしばらくたった頃、東京音楽学院をたまたま訪れた松崎澄夫が、教室に入ってきたキャンディーズの3人を見て「かわいい子がいるなあ」と目を止めた。松崎が音楽学院の担当者にレコードデビューの有無を聞くと、「まだです」との返事が返ってきたので、松崎はそのままキャンディーズの歌手デビューを決定した。
1973年(昭和48年)に「あなたに夢中」で歌手デビュー。またデビュー前からは、人気バラエティ番組『8時だョ!全員集合』にもレギュラー出演していたが、デビュー後しばらくはヒット曲に恵まれなかった。デビュー当時のメインボーカルは、当時最も歌唱力が高かったスーが起用されていた。
だが当時のマネージャーである諸岡義明が、三人の中でランだけファン層が異なる(お姉さん的)事を発見、諸岡の提案により、1975年(昭和50年)に発売した5枚目のシングル「年下の男の子」で方針を転換。「お姉さん」的キャラクターのランをセンター・メインボーカルに据えて前面に出した処、これが当たって初ヒットとなり、又オリコンでも初のベストテン入りを果たした。その後も個性の違う3人という組み合わせや、「8時だョ!全員集合」や、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などのバラエティ番組でコントまでこなす積極的なテレビ出演と、愛らしい振り付けを交えた数々のヒット曲により、幅広い人気を獲得した。
しかし1977年の夏、人気絶頂となりつつあったキャンディーズは、突如解散を発表する。同年7月17日、日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで、3人は涙を流しながら、ランが「私たち、皆さんに、謝らなければならない事があります」ミキとスーが「ごめんなさい」と、それぞれファンに対して謝罪。それから突然の解散宣言後、ランが泣き叫びながら発言した「普通の女の子に戻りたい!」は非常に有名で、当時流行語にもなっている。
この解散発表からキャンディーズの人気は沸騰し、ラストシングルの「微笑がえし」では初めてオリコン1位を獲得した。このためキャンディーズは解散によってさらに人気を盛り上げたと言える。
1978年(昭和53年)4月4日、当時空前であった後楽園球場に5万5千人を集め、マスコミが歌謡界史上最大のショーと呼び、日本でも「ザ・ピーナッツさよなら公演」以来2例目となるお別れコンサート(ファイナルカーニバル)が行われ、4年半の活動に終止符を打った。
解散後は一度も再結成をしていないが、プライベートでは時々3人で集まっていたという。
伊藤蘭は、1980年(昭和55年)に芸能界へ復帰。俳優・歌手の水谷豊と1989年(平成元年)に結婚し、1児の母となる。現在は女優・ナレーターなどで活動中。
田中好子は、1980年に復帰後、ソロで音楽活動を行いシングル「カボシャール」などをリリース後、女優に転身。1991年(平成3年)に結婚(夫は夏目雅子の兄)。2011年(平成23年)4月21日に乳がんのため55歳で死去。
藤村美樹は、1983年(昭和58年)にソロ歌手として期間限定で復帰し、カネボウ春のキャンペーンソング「夢・恋・人」(シングル、アルバムともに同名)を発表、マスコミにも取りあげられ、ザ・トップテンにも10位にランクインしスマッシュヒットとなった。間もなく結婚して以降、芸能界の表舞台には出ていなかったが、2011年4月にスーの葬儀に出席し、28年ぶりに公の場へ姿を現した。
田中 好子
田中 好子(たなかよしこ、1956年4月8日 - 2011年4月21日)は、日本で活動していたアイドル歌手でキャンディーズのメンバー・女優である。本名:小達好子(おだて よしこ)。旧姓:田中。愛称はスーちゃん。
足立区立第四中学校、東京成徳高等学校を経て、東京成徳短期大学卒業。
東京都足立区千住生まれ。実家は田中屋釣具店。ビートたけしの実家が近くにあり、たけしは子供の頃いたずらをしに行った事がある。その愛らしいルックスに反して、子供の頃は男の子をいじめるような腕白振りでガキ大将的な存在だったという。小学校4年生で町内の民謡研究会に入り、発表会で「ソーラン節」等を披露。後の才能の片鱗を窺わせる。
1969年(昭和44年)、渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院に入学。入学後、スクールメイツのメンバーに選抜される。
1980年(昭和55年)、芸能界へ復帰し、ソロシングル1枚を発表。その後は女優業に専念した。
1989年(平成元年)に公開された『黒い雨』で、主役・「高丸矢須子」役を演じ、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画コンクール・報知映画賞などで主演女優賞を受賞。日本アカデミー賞などでは作品に対しても大賞を受賞し、第42回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上演された。また、原爆症の表現の為に、入浴シーンで体の変化を表現する為に敢えてヌードになり話題を呼んだ。その頃から、演技派女優の評価をされた。
1991年(平成3年)5月21日、実業家の小達一雄(夏目雅子の実兄で小達は再々婚)と結婚(結婚は夏目が亡くなった後だが、生前から夏目と親交があった)。
テレビでは、1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)の連続テレビ小説『おしん』のおしんの養女「田倉初子」役や、1994年(平成6年)の『家なき子』(日本テレビ)でヒロインの母・「相沢陽子」役、2001年(平成13年)の連続テレビ小説『ちゅらさん』では主役の母・「古波蔵勝子」役などを演じた。映画では、1999年(平成11年)の『鉄道員(ぽっぽや)』で同僚の妻・「杉浦明子」役、2003年(平成15年)の『鏡の女たち』で主要キャストの「尾上正子」役などを演じた。
田中には、継娘にあたる真由子が居たが、自身に子供は生まれなかった。しかし、女優としては母親の役を当てられることが多く、田中の子供役として共演した経験のある俳優は男22人、女25人で合計47人にものぼる。田中の葬儀の際、夫の小達一雄は「(好子は)22男25女、合わせて47人もの子供に恵まれた。好子はそのすべての子供たちを心の底から愛していました」と言い、その名母親役ぶりを称えた。
また女優以外にも、夫の小達一雄が夏目雅子の実兄であることより夏目雅子ひまわり基金の活動、厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団及び日本エイズストップ基金運営委員なども務めた。
結婚翌年の1992年(平成4年)に乳がんが見付かり、幾度か再発を繰り返したが、いずれも早期発見で秘密裏に治療を受けながら芸能活動を続けていた。これらの事実は、田中の死去直後の記者会見において、夫の小達一雄により初めて公式に明らかにされた。闘病の事実は親族のみに伝えられ、盟友である伊藤蘭と藤村美樹ですら、伝えられたのは死の約3年前で、共演者には一切明かされていなかったという。
2010年(平成22年)10月に十二指腸潰瘍を患い、その治療のため絶食をしたことで体力・免疫力が低下、乳がんが再発。2011年(平成23年)2月には、がん細胞組織が急激に増殖するラッシュ状態となり、肺や肝臓にもがんが転移した。
2011年(平成23年)4月21日午後7時4分頃、懸命の治療も甲斐なく、国際医療福祉大学三田病院にて逝去。
55歳没。長年の盟友だった伊藤蘭と藤村美樹は、田中が危篤状態になった際、「2人とも家族同然だから」という親族の計らいで病室に呼ばれ、田中が息を引き取るまで、7時間にもわたって田中の名前を呼び続けていたという。
通夜は4月24日、葬儀・告別式は25日に青山葬儀所でそれぞれ営まれた。棺と葬儀場の絨毯は田中のキャンディーズ時代のイメージカラーだった青で彩られた。
葬儀では藤村美樹が「私たちは永遠にキャンディーズだから」と語りかけ、伊藤蘭は「もう一度だけでいいから、(キャンディーズの)3人で逢いたかった」と涙を堪えながら弔辞を読んだ。
葬儀の最後の喪主の挨拶の中で、本人のラストメッセージとなるの肉声録音テープが流された。
遺体は品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。
(Wikipedia抜粋)
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春一番
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=cmALLmMWoz8&NR=1
年下の男の子
http://www.youtube.com/watch?v=chTGlsWkaa0
ハートのエースが出てこない
http://www.youtube.com/watch?v=7YP5qY11uxA&feature=related
スーちゃん Nicoは三人の中でスーちゃんが一番好きでしたよ、そっちでゆっくり休んでください・・・
合掌