現在のクリニックに通院して最初の頃、主治医のカウンセリング中に下記のような「治療方針」を書かされた。
今後のクリニックに通院するための「私」と「主治医」とのコンセンサスのようなものであった。
主治医の目の前で書くことに「認知行動療法」的に効果があるらしい。
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「治療方針」
1.「不安、うつ」の減少
2.気力の増大
3.「不安・うつ」に振り回されない
「不安・うつ」を待ちながら・適切な行動をして・不適切な行動を控える
4.方向性の明確化
5.不安の解明
減らせる不安と・減らせない不安の区別
6.不安を持ちながら適切な行動をし
不適切な行動は避ける
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その時は前の精神科で「多剤大量投与」を受けた直後で「うつ病」の症状が辛い時期だった。
拒否するのも面倒で言われた通りに書いた・・・
しかし、いま読み返してみると何か少し違和感を覚えるのだ・・・
「不安」という単語が7回もでてきた。
主治医がどこまで患者の「不安」を理解しているのか疑問である。
そして
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「不安、うつ」の減少・気力の増大 ⇒ したいから、嫌だけれど「精神科」に通院してる!!
不安・うつに振り回されない
「不安・うつ」を待ちながら・適切な行動をして・不適切な行動を控える
⇒ 無理! 先生も「うつ病」になったら分かりますよ
方向性の明確化 ⇒ うつ病治したいに決まっている!!!
不安の解明
減らせる不安と・減らせない不安の区別
⇒ 先生キェルケゴール「不安・絶望を探求した哲学者」読んだことありますか?
不安を持ちながら適切な行動をし
不適切な行動は避ける ⇒ 自殺したらダメなのは分かっている・・・
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と大阪人のツッコミを入れたくなった私は変でしょうか・・・?
みなさん、どう思われますか・・・??
最後に・・・
恐怖は特定のものについての不安であるのに対して、不安の対象は無であり、我々は「なんとはなしに不安」なのである。
原罪以前の無垢の不安は、自由の可能性における自由の自己自身への反省にほかならない。
しかし原罪とともに無垢は失われ、精神は現実的となる。ところがこの現実性は罪の現実性であり、罪の現実性はいかなる存立をもたぬ現実性であるから、ここに罪の結果としての不安が生ずる。
罪の結果としての不安が生ずる。 罪は不安のなかで出現するが、罪はまたもや不安をたずさえてくるのである。
恐怖が、我々を脅かす特定の内世界的な存在に対する恐れであるのに対して、不安は特定の恐ろしいものに対する反応ではない。
不安において我々を脅かすのは、いたるとこにあると同時にどこにもない。
そのとき内世界的なもろもろの存在は、すべて意義をも失い、世界としての世界そのものがあらわにされる。
我々は自己の「世の中にあること」に"対し"て、また「世の中にあること」"のために"不安をいだくのである。
というものも我々は有限な「死の存在」であり、「世の中にあること」の根底は無だからである。
不安は無の了承に他ならない。
キェルケゴール
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向精神薬・抗うつ剤・製薬医療・医学の犯罪 2
http://www.youtube.com/watch?v=u6NNhx0I7lg&feature=related
向精神薬・抗うつ剤・製薬医療・医学の犯罪 38
http://www.youtube.com/watch?v=RCQtXcuzqAw&feature=related
市民の人権擁護の会・CCHR
http://jp.cchr.org/quick-facts/introduction.html
うつ・薬・多剤大量処方・わたしの場合
http://www.youtube.com/watch?v=tq2pzyhqXxw
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