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スコーレ早朝研修  (演壇の原稿)

 私は、父が40歳を過ぎてから生まれた子で年子の兄二人の末っ子です。父は私をこよなく愛してくれました。胡坐をかいた膝の上に乗るのが定位置でした。母は、着物を縫う内職をしていましたので、針仕事で危ないから近寄らないようにと言われていました。父は近隣の方たちにも慕われていたようです。
 現在、知的障碍者施設で働かせて頂いております。利用者様には、自立支援の意味があり、障害の程度により様々な仕事を与えます。私が担当する洗濯係には、二人手伝いに来ます。一人はコミニケションが取れる軽度のため、パン工房と洗濯係を掛け持ちします。もう一人は、いつも下を向いていて、言葉を発するにも声が小さく聞き取れないのです。洗濯物をたたみ棚に入れる作業が、非常に遅く見守るにしても難しいかなと思えました。私は、彼から返事が返って来なくても、話かけ続けながら作業をしました。そして、名前を覚えられない私は、洗濯物を棚に入れる際、彼に聞きながら入れました。ふと、名前を見ながら棚に入れる作業は私よりも彼の方が早い筈と気が付き、バスタタオルや下着等を私がたたみ彼に棚に入れるよう依頼しました。驚いたことに、とても作業が早いのです。私は単純ですので、大喜びで何度もありがとうと言いました。その頃から、彼は下を向いている事が少なくなったように感じます。先日は、彼が洗濯場に顔を出した途端、思わず 来てくれて助かったと本音が出たのです。そうすると、本音とは伝わるものですね。彼が一瞬笑顔を見せてくれたのです。その日は、更なる嬉しい事がありました。前日がフラワーパークへ遠足と言う事もあり様子を聞くと、「遠かった」と言い、お弁当はと聞くと「美味しかった」と答えてくれました。未だ眼を合わせる事は出来ませんが、確実に私とのコミュニケーションを取れるようになってきました。障害には、多種多様の形があります。父は首筋に、くっきりとした大きな痣がありました。それは、父の個性であり、近隣の方から慕われる存在に尊敬を抱いております。
 現在、私はツインレイとしての彼と、恋愛関係に在ります。彼は、障害者のグレーゾーンに当たるアスペルガー症候群です。そして、私はカサンドラ症候群です。この事を教えてくれたのは、紛れもない彼自身です。私へ伝えるにあたり、苦悩の日々を過ごしたのではないでしょうか。心理カウンセラーの勉強をしてアスペルガー症候群は知っていましたが、カサンドラ症候群と言う言葉は知りませんでした。彼は、会社や学習塾の経営手腕があり、類まれなる歌声の持ち主でもあります。彼と対等に向き合えるようになるには、カサンドラ症候群を認識し、真摯に取り組んでいかなければなりません。そして、その先に見えるのは、彼に認められる私ではないでしょうか。

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