はじめまして
優しい笑顔の愛の電波塔♡魂覚醒コーチのNicoriと申します。
あなたの応援団長として全力であなたを本質の光へと導きます♡
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わたくし、先日2回目の成人式を迎えました!
まずは自己紹介をさせていただきます。
私は神奈川県で自営業を営んでいる家の次女として生まれました。
家族構成は父と母、2つ上の姉、父方の祖父と祖母で一緒に住んでいました。
姉も含めて私たちは家族に愛情たっぷりに育ててもらいました。
私が1歳になる前に、出来たばかりのディズニーランドへ初めて家族で行きました(覚えてません笑)
とても寒い冬だったようで、帰ってきてから体調を崩し、脱水症状を起こしてしまいました。
そのため、1歳の誕生日は入院先の病院で迎えることになります。
私は病院で泣いてばかりで同室の子供にずっと泣いていたよと言われたそうです。かわいそうだったのよと母。
小学生になってもよく母にくっつき虫の甘えん坊だったのはこの時のさみしい経験が原因かもしれません
幼稚園に通っているとき、「知らない人にニコニコしちゃだめよ」とよく母から言われていました。
母は私がかわいくて、誘拐されるのではないかと心配になったようです。
今思うとこの時に、世の中には怖い人がいるという恐怖が潜在意識に刻まれていたように思います。
(でも、私ってとても大切にされていた!)
おじいちゃんが優しく大好きで、禿げた頭を触ったり首によじ登ってまとわりついたり、よく遊んでもらいました。好き嫌いが多かった私は食事中に母から嫌いなものも食べなさいと言われて困っているとおじいちゃんが助けてくれました。
(おじいちゃんは私に何も求めずにありのままを受け入れて愛してくれていた)
そんなおじいちゃんは私が3歳のときに突然天国へ行ってしまいました。
幼い私は部屋に横になっているおじいちゃん(遺体)に起きてもらおうと目をこじ開けて起きてもらおうとしました
月日が経ち、おじいちゃんに会えなくなってしまったことを理解し、しばらくは思い出し泣きをしていました。
おじいちゃんの死は身近な人の死を経験する初めての体験でした。
(祖父は戦争中、ロシアへ抑留され想像もできないほど過酷な環境を生き抜いた人でした。そんな祖父を心から誇りに思うし、精神的にも肉体的にも強いDNAが私にも入っていると思うととても心強い!)
休日になると両親は牧場やサーカスなどいろいろな場所に連れて行ってくれました。
母曰く、2つ上の姉と大人しくて反抗することのないぼーっとしている子供だったとのことです。
私は姉よりも両親に愛されたい、気に入られたい、注目されたいという気持ちがこの頃からありました。
シャボン玉で遊んでいた時、シャボン玉液を誤って飲んでしまったことがありました。不味かった~
でも両親はとても心配してくれました。その時の私の気持ちは一瞬で親からの注目を浴びることができ嬉しかったのです!
そして再びシャボン玉をやる機会があった時、また飲んで注目を浴びようとしてしまうのでした。
(思い出すと、2回目は完全に確信犯でした)
小学生になり、両親と寝室が別になってからはテレビで寝ている間に誘拐されるというノンフィクション番組を見て、私も誘拐されるかもしれないという恐怖に苛まれます。
(幼いころに潜在意識に刷り込まれた恐怖?)
毎晩寝る前に「(居るかどうか)見に来てね」と言っていました。(大人になって聞いたら見に行っていなかったそうです)
感受性が豊かで不安や恐怖が人一倍大きい子供だったように思います。
家では母にべったりの甘えん坊でした。
家族経営の自営業、しかも小姑家族も仕事で毎日来る状況だったのでいわゆる嫁姑、嫁小姑問題が我が家にはありました。
若かった父や母は結婚当初に祖父祖母と確執があり苦労をした話や母からは日常の愚痴をよく聞いていました。
私は少しでも母の重荷を軽くしてあげたかった!
(結婚=大変という固定概念が入ったのはこの時かもしれません。)
小学校4年生からは姉と同じように中学受験のための学習塾に通うようになります。
姉は塾の授業中にサボって友達と遊びに行くことがありました。
そのことが両親にバレて夜中にこっぴどく叱られているのを見ていた私は、「私はやらないよ」って両親に言っておりました。
姉を反面教師に、両親の目を強く意識して生きていくことになります。
受験勉強はほどほどに頑張って第二志望の中学校に合格し、中高一貫の女子校に進学することになります。
自己紹介②に続きます。