毒親の話から

わたしのお恥ずかしい過去のお話に…

なまあたたかくお読みいただければ

幸いです




大学を留年した時

私を突き放した父


サウナ店での仕事を

そんな風俗に落ちるような娘は

自分たちの子どもじゃない


母と一緒に再び私を突き放しました


父の絶縁宣言は

今回も


私の反省を促すためのもののようでした


『おまえがそんなに愚かだったとは

 がっかりしたよ

 いちど親子の縁を切りましょう

 その間に

 どうか頭を冷やして

 考えを改めて

 その時にまた

 親子に戻りましょう』


このように

私の事情や気持ちはどうでもよくて


父のおもいどおりにしたいだけなのでした



これは、あれです。


『会いにきてくれないなら

 手首、切るから

 いまクスリも飲んだから』


とか言い出すメンヘラな人と同じです


メンヘラな人って

自分の命をふりかざせば

相手が自分の言うことをきいてくれると

思っていて

たいした覚悟もなく

命を賭けるマネをしますよね


父の場合は

ふりかざすものが

自分の命じゃなくて

親子の縁であり

つまりは遺産相続や経済援助であり


父にとって

俺がお前の親をやってるんだぞ、

ということが

手持ちのフダの中で

いちばん価値があって

強いカードだったってことです


でも

私にとっては

親子であることに

そこまでの価値はなかったので


『お父さんが

 そこまで言うなら

 しかたがないね

 じゃあ、さようなら』


と電話を切りました


親から突き放されると

私もすぐに

ああそうですか

それならそうします

今までありがとうございました


と突き放し返す性格で


私たちは


お互いの気持ちを分かり合おうとしたり

問題を解決しようとする、

建設的な話し合いが

まったくできない親と子なのでした


わたしは

経済的にはとても過保護に育ちましたが


精神的にはずっと孤立無縁でしたから


親から縁を切るといわれても

経済的に自活ができれば

なんの問題もないと思っていました


だからこの時も


じゃあこれからは頑張って働こう

ひとりで生きて行こう

貯金は0円だし

借金もあるけど仕方がない

自立しなければ、

と決めただけでした


ところが父の方は

留年の時と同じで

ちっとも本気じゃなかったのですから


わたしがその後

半年以上

音信不通になって

引っ越し先も伝えなかったことで

うろたえて


ある日突然

なんの連絡もなしに

サウナ店の社員寮に突撃して来たのでした



なぜ今、こうした昔話をするかというと


今回の絶縁を再確認した際に


しょうこりもなく

アポなし突撃をかましたあげく


『娘と連絡がつかない!』と

最寄りの警察署に駆け込んだという

騒動があったからです


父がこんなふうに

騒ぎ立てて

警察に頼るのは

彼のお決まりパターンなので


今回はちっとも驚きませんでしたが


父が

まったく変わっていないことには

それなりに驚きました



わたしが働いていたサウナ店は

大阪では老舗でしたので

両親も店名をきいて知っていました


そこでまず

ふたりして大阪にやってきて

くだんのサウナ店に突撃


わたしが今日は休みであることと

社員寮に住んでいることを知り


寮に押しかけてきました


寮といっても

一般のマンションの一部を借り上げていて

入口はオートロックでした


私はこの日

ヴィパッサナー瞑想という

ワークショップに参加する予定で


予定通りなら留守で

親に会うこともなかったのですが


当日の朝

なんともいえない気分になり

体調不良ということにして

参加を取りやめたのでした


虫の知らせ、というのは

こういうことなのかな

とあとになって思いました


それで

何もせずに過ごしていると

インターホンが鳴り


出てみると

両親でした


なんの御用ですか?

お帰りください


と冷たく言うと


母が切羽詰まって涙ぐんだ声で言うのです


『心配して来たんだよ

 後生だから開けて』


今にして思えば

自分の都合しか考えていない発言で

腹立たしい限りですが


その時は

ほだされて

中に招き入れました


まだ母も


『おまえには惨めでいてほしい』


なんていう本音は

自覚もなく

ひた隠しにしていた頃でしたから


わたしも別に

親のことが嫌いなわけではなかったからです


ただ


一緒にいても

安心できないし


気持ちの面で

寄り添ってもらった経験も記憶もない


話せば話すほど

嫌な気持ちになるし


いつでも

いつのまにか自分が悪者にされているし


うつ状態になりがちなのは

親との関係が原因に思えていて


つまりは

自分が抱えている問題の

原因はこの人たちにあるように思っていて


だから

なんだかとてもイヤだな、とは思うけど


楽しかった思い出もあるし

楽しかった時は

親のことは好きだと感じるし


何よりも


親子だから

家族だから


一緒にいなきゃ

許さなきゃ

好きでいなきゃ


そんなふうに思っていました


だから


この時も


『おまえもそんなに意地を張らないで』


などと言われて

仲直りをして


縁を切る前の

家族の関係に戻ったのでした


この時、母は

私がセミナーやら何やらで作ったローンを

肩代わりしてくれて


仲直りのしるしだ、と言いました


『これで、今までのことはリセットして

 新たな気持ちで頑張るんだよ

 お金は出してあげるから

 そんな仕事はやめて

 もっと普通の仕事を探したらいい』


と母は言いました


わたしは泣きながら

ありがたくお金をもらい

セラピストの仕事を辞めました


実家には戻りませんでしたが

引っ越し費用も出してもらって

大阪市内にアパートを借りて

派遣で営業事務の仕事を始めました