遅くなってしまいましたが、1125/2015について自分なりにまとめてみました。


今年の1125はチケットの枚数も少なく、一体この日何が行われていたんだろう?って思っている人もたくさんいたと思います。


そんな人にちょっとでもこの日の出来事、そしてこの日までの出来事が伝われば。。。








皆さんご存知の通り、古村が右手骨折のため年内のLIVE活動が不可能になってしまいました。

初の大阪城ホールワンマンを延期、そして年末のCDJをキャンセルと、かなり重要なタイミングにおいて「畜生古村、やってくれたな、、、」というのが僕も正直なところで。(苦笑)

しかし起こってしまったことはもうどうしようもない。4人もいるのに1人でも欠けたら機能しなくなる。バンドというのは時にものすごく脆い存在です。けど、こういう時だからこそ力を出し合って、この壁にきちんと向き合おうって思い合えるのは、これまた4人いるバンドだからできることなのかもしれません。現実的なことから根本的なことまで久しぶりにこんなにコン詰めて話をした気がします。


そんな中、目前に迫っていた1125。開催するか、はたまた中止にするか。開催するならどういう風に開催するのか。議論になりました。


僕は最初、正直どういう気持ちでステージに立って歌ったらいいのかわからなかったから、ものすごく迷った。たぶんその時点では7割がた中止にしようと思ってました。フルくんがいないのに、当初の予定通り東京大阪とステージに立って、いつもの調子でステージに立って歌うなんてぶっちゃけテンション迷子になるし、1125は僕らにとって年に一度のお祭りだから、今年は特にチケットの枚数は少なかったんだけど、会場に来られない人も一日楽しめるようにLIVEの生配信、東京大阪の移動中とか楽屋なんかもぜんぶ生中継する準備もしていて、今年はLIVEだけじゃなくて一日かけてお祭りにしたかったから、企画者としてとてもそういう気分になっている場合じゃない感がすごくて。

ただ、やっぱり今の僕らにはお客さんがいて。「1125だ!絶対に観に行かなきゃ!」ってチケットとろうとしてくれる人がものすごくたくさんいて。1125やり始めた2009年なんて品川ステラボールって2000人近く入るところでシークレットライヴだったってのもあったんだけど、ぶっちゃけ1400人ちょいしか入らなかったんだから。それが今や1万近く応募があるわけで。1125ってただの語呂合わせだけで始めた謎の一日に、だよ。(笑)その人たちの気持ち考えたら、やっぱりステージに立ってその人たちの目の前で伝えるべきこと、あるよなって思った。こんな状況だけど。

しかも今回は、東京大阪の初ワンマンライヴの会場。僕らの原点です。そこから数ヶ月後にはその何倍もの人が集まる武道館と城ホールのステージに立とうとしてる、ここから僕ら始まったんだってやっぱりどうしても伝えなくちゃ。1人欠けたステージだけど、4人のその思いを伝える機会はやはり今年の1125しかない。


議論は煮詰まり、当初のお祭りとしての一日はそこで諦めることにしました。ただチケットを取ってくれた人たちに、当初この日に伝えたかった思いを、そして期待してくれた年に一度の特別なLIVEとしての楽しさを、ステージからきちんと伝えよう。そう決意し、3人でLIVEを行うことを決めたのです。


フルくんの欠けた分は僕がギターを弾いて、ドラムとベースがそれによって欠けた僕の隙間を埋める。僕らの楽曲でそれが成立する曲がどれだけあるか、果たしてそれを残された時間で会得する技術がそもそも僕らに備わっているのか(笑)、不安要素はもうあげたらキリなかったけど、1からバンドをやり始めるつもりで、我々の3ピースバンド生活はスタートしました。







まずやりはじめたこと、



ランニング。(笑)




3ピースバンドたるもの、やはり個々の骨太な存在感が必要だ!ということで、体力作りからまずスタート。(笑)

形から入るの大事ってことで各々ランニングウェアを購入。スタジオ開始前の1時間をランニング時間にあてました。

心なしかリズムがどっしりしたような。多少の効果はあったように感じました。




そしてそこからセッションを重ねながらセットリスト決め。


東阪ともにそれぞれの初ワンマンLIVEのセットリストの中の曲から、徐々に現在の新しい曲へとグラデーションを描くセットリストをイメージしていたので、それぞれその中からまずはぶっきらぼうにやりたい曲をあげていく。

「TAXIだ」「アボガドだ」「いや行方だ」「雲空だ」と懐かしい曲は当時を思い出しながら、

「BUNGYだ」「天地?やれんの?」「渦はやりたい」「んーでもバイシクルも」と、当時存在していなかった曲たちは感覚的にやれるものもあれば、どう足掻いても納得いく形にならない、、、とうぅうぅ唸ったりしながら。


それでも現実的に曲数が足りなくて、本来予定していた各1時間半の公演時間を満たすために、3人でできそうな曲をかたっぱしからセッションしてレパートリーを増やしていきました。




あらかたセットリストの骨組みができあがったところで、僕は楽器および機材を1から見直しました。

ギター、アンプ、エフェクター類。3ピースで成立する存在感のある音になるようにという部分と、歌いながら弾いて一番ストレスのないものを、これまた僕の持っている楽器機材をフル動員してチョイス。

プラスアルファ、今回は東京大阪公演を一日で行うために機材はすべて手持ちで移動だったので、アンプやドラム等の大きい機材は持ち運びできません。因って、ライヴハウスでお借りできるようなスタンダードな機材でのセッティングというのも条件でした。

本当にバンド組み立て、ライヴハウス出始め、みたいな環境がいちいち懐かしくて。(笑)当時はお金もないから機材もそんなにいいもの買えなかったし、音作りの善し悪しなんてのもまったくわかってなかったからめちゃめちゃやってたんだよなあ。けど今は経験も積んでバランスのいい音みたいなのがわりと論理的に作れたりとかして、僕もちょっとは成長できてるんだなあなんてことを無性に実感してしまいました。

ギターはいろいろ試した結果、自宅用に使っているフェンダーUSAのストラトキャスターをチョイス。最近使っているテレキャスターとかとちおとめなんかも試したんだけど、どうもやっぱりじゃじゃ馬で。ストラトって音も伸びるし、それなのにリズムギターも軽やかに弾けるから本当によくできたギターなんだってことをひしひし実感。4ピースに戻ったらフルくんの爆音ギターに埋もれちゃうのでたぶん今回だけの登場でしょうけど。。。(笑)




そこまで決まったら、あとはひたすら毎日3人で練習!

アレンジが体に入って無心になって演奏できるまで。


あと、どうせやるなら、「1人欠けたらこんなもんだよねー」なんてなめられないクオリティまで持って行くために!!!(笑)


もし9年前の僕らのLIVEを観てるライヴハウスのスタッフさんなんかがいて、「やー全然成長してないじゃん。一から出直せば。」なんてだめ出しされたときにはもう9年どころか9万年分へこむだろうし。(笑)後悔しても「次回そこ修正して、、、」なんてことも許されない一回限りのLIVE。そこは武道館バンドのプライドとして絶対的なクオリティは超えねばならんと。(笑)


3人の中での日々の合い言葉は「LIVE終わったあと、楽屋で苦笑いだけは絶対にしない!」でした(笑)




いつも4人で練習するときに使っている13畳くらいのスタジオも、1人分の音と機材が減っただけなのに妙に広く感じて。その隙間を埋めていったり、逆にその隙間を楽しんだりするようになるにはなかなか時間がかかりました。今まで4人だと見えなかったお互いの変なクセとかが見えてきたり、単純にいつもはサラッと「ギターソロだー」なんてやってたところが上手くいかないだけでものすごくストレスがたまったり。もうなんかいろいろアタマきちゃって練習終わったあとスタジオが閉店するまでロビーで3人で話しこんでたら店員さんに「すんませんそろそろー、、、」なんて言われてケンカとめられる日もあったり。(笑)


10年以上やっていることを今回もやっているだけなのに、奇しくもバンドの状態まで原点に返っているような、その感覚は本当に不思議で、こうなったことに対して変な必然性まで感じてしまったのでした。


練習を重ねていく中でセットリストは多少変化し、本番2日前の23日にセットリスト確定、本番前日24日18時まで練習は続きました。


なかなか歯ごたえのある演奏にはなってきたんじゃないかと。




そして迎えた11月25日本番当日。


今年の1125も天気は雨。例年通りと申しましょうか。





初ワンマンのあの日以来、9年ぶりに下北沢251に入場。

こんな不義理ものにも関わらず、朝早くからたくさんスタッフさんが集まってくれて、

↑こういうのも本当にうれしいよね。





朝10時だったからまだ声とか寝起きだったけど、順調にサウンドチェック完了。



練習の成果もいい感じに出ていて、あとは本番アタマ真っ白にして、目の前のお客さんに伝えるべきものを伝えるだけ。


いつも以上に本番前の楽屋はリラックスした雰囲気だった気がしました。








下北沢CLUB251

1125のテーマ
バイシクル
SURVIVE
有言不実行成仏
アボガド
image training
April
そのTAXI,160km/h
(My Sweet)Eden
THE BUNGY
ニワカ雨ニモ負ケズ
手をたたけ
行方



ぶっちゃけミスも多くて、決して100点の演奏はだせなかったけど、想定していたことはすべて想定以上に伝わって、4人の思いを3人の音でLIVEとしてきちんと残せたと思う。

その証拠に終わったあとの楽屋もかなり笑顔あふれる空間でした。(笑)

来てくれていたキューンのスタッフや関係者の方々がみんなして「みっちゃんがBUNGYのイントロ弾き始めるときが一番緊張した」と。(笑)

そこは僕ら3人的には割と早めに仕上がっていたところでノーマークだったから、シャングリラはもうちょいこれ見よがしにBUNGYやってみようか、みたいな反省会もちょいちょいやりつつ大阪に移動。




18時前頃、梅田シャングリラに到着。




到着するやいなやそのままサウンドチェック。

お借りした機材の調子もいい感じで、これまた久しぶりの梅田シャングリラは、やはり雰囲気があってステキなライヴハウス。思っていた以上にステージが高い。こんなんだったっけ。


梅田シャングリラは、3度ワンマンライヴを行っていて、3度目にしてやっと売り切ることができた、という僕らにとっては少々因縁のあるライヴハウス。ステージからの景色で当時を思い出していると、ちょっと胃が痛くなるって言うか。(笑)251ではそんなことなかったんだけどな。




20時、LIVEスタート。






演奏の完成度はやはり下北沢よりぐっとあがりました。

声の調子がさすがにちょっと2本目って感はありましたが。それを踏まえても良いLIVEになった。

以下、セットリストを少しずつ解説します。東京も基本以下のようなイメージで読んでいただけたら。



梅田シャングリラ


★1125のテーマ

年に一度のこの曲。今年は二度演奏できました。(笑)
歌詞の中の替え歌パートも、東京大阪ともにそれ仕様。

★バイシクル

アコースティックでやろうというアイディアもあったけど、潔く3人で。
神様、古村様、僕らを試すのですか。(笑)応えてやりましょうと。
けど、ギターソロ緊張。

★SURVIVE

こういうアルバム曲ほどイントロでわっと歓声が上がるのが1125の珍景。

★有言不実行成仏

3コーラス目のテンポアップのところを3人用にリアレンジ。ベースの見せ場が増えたのと、よりディスコティークな雰囲気に。
セッション中にふっと誰からともなく始めたのがなかなかよかったのがきっかけ。

★アボガド

ギャングオブフォーのアンディギルをイメージしながら間奏のギターは狂い弾きさせていただきました。

★image training

MCを挟んでこの曲から少しメロディアスコーナーへ。
シャングリラ初ワンマンの1曲目が実はイメトレでした。

★雲空の悪魔

2度目のシャングリラワンマンで、煙を含んだシャボン玉をこの曲で飛ばす演出をしたことをきっかけに選曲。
僕の中でシャングリラといえば、雲空か、あとに出てくるBUNGYである。理由は後述。
東京はここでApril。

★そのTAXI,160km/h

これも3人用にアレンジ。ギターが一本足りないのでクールかつハードなリミックスっぽく。

★(My Sweet)Eden

MCでも話したけど、Edenなくして今の僕らはいないだろうと言っていいくらい、この曲はインディーズ時代のもっとも混沌として曲が書けなくなっていた時期を脱させてくれた曲。
歌いながら当時を思い出して東京大阪とも目頭が熱くなった。このセットリストの個人的なピーク。

★THE BUNGY

このイントロを僕がLIVEで弾くことになる日が来るとは。(笑)
まあ元々このイントロの生みの親は僕なので、作った当時は技術的に弾けませんでしたけど、あれから7年近く経てば多少弾けるようになっているものです。
ギターソロはフルくんのフレーズですがこれも日々コピーしてやってはいましたから、これ見よがしにやったりました。
BUNGYは3度目のシャングリラワンマンで初披露をしたのです。
CDリリース前にも関わらず、めちゃくちゃ盛り上がって、「これは俺ら売れてまう」なんて安易に思ったものです。
まあ結果としてはそんなに売れなくて(笑)、世の中そんなに甘くないんだな、と思い知らされた曲でもあります。
でもLIVEでは未だに僕らの鉄板曲ですから、人の心と体を動かす曲というのと売り上げは決して比例するわけではありません。
相変わらずなんとも皮肉な曲です。

★ニワカ雨ニモ負ケズ

歌いながらこのイントロを弾くのは大変練習が必要でした。(笑)

★手をたたけ

観てくれた人はここまできて気づいたと思います。
「これただのオールドスクールなパンクバンドのLIVEやん」と。(笑)
ええ。我々も練習途中からうすうす感じてはいました。
もうちょいアタマ良いことやったりなんだりして、センス見せつけちゃうー?みたいなこともやりたかったんですけど、全然できなくて!(笑)
気づいたら、本当にオールドスクールな3ピースのパンクバンド化していました。
そこへの自分たちなりの仕上げが、手をたたけをフロッギングモリーかポーグスかと言わんばかりのドアイリッシュパンクに仕上げたこの日限りの超お馬鹿バージョンでした。
自己満になってしまうんじゃないか、とギリギリまでこのバージョンで演奏するか迷いましたけど、1125だしいいよね?ってことで、唯一の祭り感をここに集約した形です。
想像以上に東京も大阪も盛り上がってしまったので、もう二度とやらないなんて本番中は言いましたけど、案外リバイバルあるかも(1125限定で)とか思ったり思わなかったり。

★天地ガエシ

城ホール。5月に4人でリベンジさせてください。
アコギ、ベース、小さい音のドラムというたぶんもう二度とやれないくらい素朴なアレンジにて。
東京は行方。夜明けを1月8日3度目の武道館で。




無事にやりきることができました。

本当は4人でこの日のLIVEのステージに立ちたかったけど。

でもフルくんもLIVEに登場することはできませんでしたが、新聞(これまたシュールなやつ)を書くという形で参加できてよかったと言っていたし、当初の予定からはだいぶ変わってしまいましたが開催できてよかったと思っています。



もうまもなく、フルくんもスタジオに合流できそうです。なのであと少しだけ3人でのスタジオは続きますが、武道館の準備も少しずつ始まりましたし、3人でできる部分を今はしっかりやって、フルくんを迎える準備をしておこうと思います。







ということで書き始めたら長くなってしまいました。最後まで読んでくれてありがとう。