ロックに影響を受けたのは実に最近のことだ。


ビートルズだって、そりゃ『プリーズプリーズミー』みたいに遺伝子に書き込まれていたかのような曲はもちろん小さい頃から知っていたけど、『ホワイトアルバム』に衝撃をおぼえたのは小学校高学年の頃。パンクとかニューウェーブなんかのルーツは高校卒業するかくらいの頃までまったく理解できなかった。中学の頃にブラーとかバーブとかプライマル、ステレオフォニックス、ラーズも聴いたかな、あとはケミカルとかレフトフィールドみたいなものを聴いたこともあったけど、ヘタウマで荒い作りのロックミュージックにグルーブなんて見いだそうともしなかったし、よっぽどジャミロクワイとかスティービーとかドゥービー、マンハッタントランスファーとかマリーナショウとかアレサもそうかな…そういうブラックでソウルフルでハーモニーしてるものの方が聴いてて気持ち良かった。落ち着く。


だから、俺が作る音楽を狭い意味での『ロック』として縛られてしまうことは正直、本意じゃない。いうならば固定観念的なロックに囲われるつもりはない。
俺自身の中にある『音楽』を解放するのがあくまで本意なんだ。


そりゃ今はパンクだってニューウェーブだって、ロックンロールだって理解できるし、もちろん大好き。エレキギターでガツーン!ってやってさ、気持ちいいじゃん。


だけど、俺の音楽はやっぱりそんな『インパクト』じゃ表現しきれない。
じわじわじわじわ…がいい。そんな気がする。
今回はただ、そこの理想と現実のギャップについ落ち込んでしまった。それだけ。なにも望みを失ったわけでも、他人に嫉妬したりうんざりしたわけでもない。中途半端な自分自身にがっかりしただけ。


囲われないよう、囲われないよう、気をつけていたつもりだったけど…やっぱり俺は自分で囲いを作ってた。囲いの中で大きくなったって、所詮は囲いの中。その通り、いわゆるミドリガメよ。




今こそ、己を解放するとき、なんじゃないか。